赤き月は巡りて
【第三章 まほろば】花火

「涼ったらぁ、花火いやなの?」  不満そうに玲奈がにらむ。 「ああ、ごめん、ごめん。今日、担当しているばあちゃんが具合悪くなって。ちょっと心配でさ」 「涼のそういう優しいとこ、すごくいいとは思うけどぉ」  そこまでで言葉を切って上目遣いにちらりと見る。玲奈お得意の表情だ。きっと自分が控えめでかわいく見えると思っているのだろう。俺もそう思っていた。昨日までは。でも、なぜだか今日はその計算が見えてしまってうんざりしてしまう。 「思うけどなんだよ? 最後まで言ってみろよ。自分が悪く思われそうなことは相手に委ねるってズルくね?」  玲奈は一瞬ひるんだ。そりゃそうだ。普段は玲奈に対してこんなこと言ったりしない。  けれど俺が思っている以上に玲奈はしたたかだった。なんと、めそめそ泣き始めたのだ。公衆の面前で! これじゃ完全に俺が悪者じゃんか。  恥ずかしいのと、少しばかり言い過ぎたことを反省したのとで、玲奈を慰めるため顔をのぞき込もうした時、嘘泣きだと気づいてしまった。昨日までの俺だったら、それすらも気を引こうとしているのだとかわいく思ったのだろうか。でも、今日の俺は「もういいや」と玲奈を置いて花火会場へ歩き出す。すると、玲奈もわざとらしく鼻をすすりながら後ろをついてくる。  俺たちは無言のまま階段に並んで腰を下ろす。海に向かって下りていく幅の広い階段は、すっかり人で埋まっている。遊園地ということもあって家族連れも多く、海上から打ち上げられる花火を待つ人達で騒がしい。  やがて、派手な光とテンポのいい音楽に乗せて、小さめの花火から上がり始めた。目の前に座っているおばあちゃんに連れられた小学生の女の子が甲高い声で「きれい、きれい」と叫び続ける。  低い位置で開いていた花火は徐々に高度を上げていく。それに合わせて音楽は宇宙を思わせる壮大なメロディーに変化していく。光の帯が地上から上空に向けて伸び、右に左に夜空を照らす。 「おばあちゃん、すごいね。あの明かり、お空まで届くね」  例の女の子が、花火の打ち上げ音に負けないようにキンキン声を張り上げる。隣にすわっているおばあちゃんがなにか呟くが、打ち上げ音と音楽にかき消される。 「えー? なぁに?」 「サーチライトみたいだよ」  おばあちゃんが孫の耳元に口を寄せ、大きめの声で答える。 「さーちらいと、ってなぁに?」 「戦争の時、夜になると敵機がいないか空を照らして監視したんだよ」 「てっき、ってなぁに?」 「アメリカとかの飛行機だよ」  花火は色とりどりの巨大なあじさいのような花を咲かせたところだ。女の子はおばあちゃんの話より花火に気をとられ、口を開けて見上げている。  おばあちゃんはサーチライトのような照明が次の演出に切り替わるまで目をそらしていた。  俺は花火よりそのおばあちゃんの様子が気になって仕方がなかった。ここのところ、カヨさんから戦時中の話をよく聞いたが、この目の前のおばあちゃんはカヨさんより若そうだから、当時はちょうど隣で花火を見上げている孫と同じくらいの年齢だったのだろう。そんな幼い子にとって戦争は悪夢以外のなにものでもなかっただろう。  サーチライトのような照明は色を変えてまだ続いている。  ヒュー、ドーンと爆弾が落ちる様子が目に浮かんだ。  はっと見上げれば、ひと際大きな花火が打ち上げられたところだった。  そうだよ、こんなところに突然空襲があるわけがない。そう自嘲してみても空襲の情景は脳裏を離れない。鳴り響くサイレン。燃え広がる炎。空を覆うほどのB29の大編隊。  これはカヨさんが語った話だろうか。そうに決まっている。けれども、それを眺める自分のいるところは攻撃を受けない。横浜で空襲被害のなかった数少ない地域だ。墓地と刑務所しかないようなところは爆弾の無駄使いになるだけだからだ、と誰かが言っていた。これもカヨさんだろうか。いや、違う。横浜大空襲の時、カヨさんは横浜の中心地にいたはずだ。  それなら、これは誰の記憶だ?  俺が把握しきれていない俺の記憶がある。真夏の熱帯夜にもかかわらず震えが止まらない。  「蛍の光」をBGMに閉園のアナウンスが流れた。いつの間にか花火は終わり、人影もまばらだった。隣にいたはずの玲奈の姿はない。携帯端末の画面で時刻を確かめると、固まってしまった関節をポキポキ鳴らしながら立ち上がる。もう一時間近くこのままだったようだ。  モノレールの駅の上に巨大な月が出ていた。生卵の黄身のようだとぼんやり思った。

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