赤き月は巡りて
【第三章 まほろば】俺、なにかした?

 花火大会には甚平で行くと玲奈に約束したが、ボランティア後に着替えるのも面倒だから朝から甚平で行くことにした。 「あら、いいわね」  牧田さんが会うなり挨拶も抜きに目を輝かす。 「今日、花火大会に行くんでこんな恰好で来ちゃったんですけど、大丈夫ですかね?」  どうせ今日も一日カヨさんの話を聞いているだけだろうから問題ないとは思うが、一応聞いてみる。 「大丈夫、大丈夫。夏らしくていいじゃない」  牧田さん以外の職員やヘルパー、更には入所者までが「いいね、いいね」と声をそろえる。着ているものが違うだけで注目の的になるのは、やはり変化のない環境だからだろうか。俺はカヨさんを見つけると、みんなに取り囲まれないうちにそそくさと車椅子をテラスへと押していった。 「涼君、大人気ね」 「こんなに注目されると思わなかったから、まいっちゃうよ」 「いいじゃない。男前よ」  カヨさんはそう言ってフフフッと笑った。その瞬間、俺は不覚にもドキッとして耳が熱くなるのを感じた。普段はこの程度の言葉なんてなんともないのにどうしたんだろう。ともかく車椅子を押していたおかげで赤面した姿を見られずにすんだ。 「今日、花火見に行くからさ、彼女が甚平着て来いってうるさくて。俺はなに着ててもいいと思うんだけどね」 「……そう、お付き合いしている子がいるの」 「まぁ一応ね」  それきりカヨさんは黙り込んでしまう。 「どうしたんだよ。静かなカヨさんなんて初めてだよ」  俺がからかっても、カヨさんはぼんやりしている。 「……どこか痛いのか? 具合悪いのか?」  カヨさんは首を横に振るが、それでもいっこうに話し出す気配がないので、心配になって牧田さんを呼んでくる。 「カヨさん、どうしましたぁ? 今日は藤倉君とお話しないの?」  牧田さんの問いかけに、カヨさんはこくんと頷く。俺の頭の中でまさにガーンと音が鳴り響いた。俺、なんか気に触るようなことしたっけ? 「藤倉君、なにがあったの?」  牧田さんの疑いの目に、俺は両手を挙げた。 「なにもありませんって。わからないから牧田さんを呼んだんじゃないですか」 「……そうよね」  牧田さんは納得いかない様子でカヨさんの額に触れる。 「んー、体温計もってくるから、ちょっと待っててね」  去っていく牧田さんの後ろ姿を見ながら、俺が原因だと思われているな、と暗い気分になった。 「カヨさん、勘弁してよ。俺、なんかしたっけ? 謝るからさぁ」  膝を折ってカヨさんの顔をのぞきこむと、必死になにかを堪えている顔をしていた。どうやら本当に俺が原因らしい。テラスに来る短い時間でなにも起こりようもないが、カヨさんをひどく傷つけてしまったのは間違いないようだ。 「ごめん。なにが悪かったかわからないんだ。でも、カヨさんを傷つけるつもりはなかったんだ。本当にごめん」  俺はきちんと頭を下げた。こんなちゃんとした謝り方をしたことなんかないかもしれない。 「いいの」  カヨさんが小さな声で言った。 「涼君は悪くないわ。私がいけないの」 「カヨさんがいけないことなんかあるわけないだろ」 「ううん。涼君を独り占めしている気になっていたの。ごめんなさいね、こんなおばあちゃんがおかしなこと言って」  きっとほかのおばあちゃんが言ったのなら、心の中で「けっ」と笑っただろう。けれども、カヨさんが言うととてもせつない。昨日牧田さんが冗談半分で言っていた、初恋の人に似ているのかもという話を思い出した。もしカヨさんが俺をその人と重ね合わせていたのだとしたら、俺に彼女がいることはそうとうショックに違いない。 「カヨさん、俺……」  そこへ牧田さんが体温計を片手に戻ってきた。体温計をカヨさんの脇にはさみながら 「夏バテかもしれないわね。熱中症になるといけないから今日はお部屋で休んでいましょうね」  まるで俺がテラスへ連れ出したせいだと言わんばかりだ。  言っておくが、牧田さんも知ってのとおり、俺はついさっき来たばかりだぞ。一瞬で熱中症になるのかよ。  ……と、声に出して言えるはずもなく、口の中でもごもごと「すみませんでした」と聞こえなくもない言葉をつぶやいてみる。 「涼君」  車椅子の向きを変えられた時、カヨさんがまっすぐに俺を見上げた。 「赤い月を……ううん、もし、なにか思い出したらまた会いに来てね」  俺が問い返す間もなくカヨさんは部屋へと連れて行かれた。  俺、なにか忘れているのか? 赤い月ってなんだ? これはなぞかけかなにかなのか?  晴れ渡った夏空とは対照的に俺の頭の中は靄がかかっている。

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