エイプリルフールズ・コミュニケーション
第65話「ファッションでパッションな一言が欲しい」

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 紅茶ファッションショーという聞きなれない言葉を、現子うつつこは脳内で三回ほど繰り返してみたが、言語のゲシュタルト崩壊を招きそうなのでやめた。  なんのことはない。学園祭で現子たちのクラスが催す模擬店の名称なのである。  紅茶とビスケットを出すのだが、ウェイトレスの格好が一風変わっていて、女子が他校の制服を着用してお茶を運ぶのだ。  姉がいる生徒は調達するのが簡単なのだが、いない場合は中学時代の友人から借りたりする。中には、ただ制服を着るだけでは面白くないからと、例えばブレザーの下にパーカーを着たりとそれぞれがそれぞれのコーデを凝らしたりするので、ファッションヨーというわけだ。  この試みは評判が良く、学園祭当日の午前中から行列が出来るほどの繁盛をみせた。  現子も他校に通っている友人から制服を借りた。ワンピースタイプの制服は、滅多にないデザインで周囲の目を引く。  ちなみに兎月とげつには、「ぜっっったいに来ないでね!」と念を押してある。  ――だって恥ずかしいったらありゃしない。  しかし見に来ないなら来ないで、なにやら物足りない気持ちを持て余してしまうのだから、乙女心は複雑怪奇だ。教室のドア越しに覗くくらいしたって罰は当たらないのに、まったく変なところで律儀りちぎな義兄である。  ――あ、母さんが来てる。  教室の窓から、霧花きりかさんが中庭で知らない女の人と会話をしているのが見えた。母は笑顔で嬉しそうに話している。  相手は現子の知らない女の人だ。この前、演劇部にお邪魔したときの猫間ねこま 貴路きろという眼鏡をかけた女生徒にどこか似ている。  ――兎月ちゃんにはねー、産みの母と育ての母と義理の母とで三人の母親がいるのよー。  義理の母が霧花さんで、産みの母と育ての母のどちらかは死んでいるとも言っていた。  ――あの人は、きっと生きている方のどちらかなのではないだろうか。  そう考えだすと居ても立ってもいられなくなって、現子は近くにある誰かのウィッグを掴んでいた。さらに気がつくと、コンタクトを外して眼鏡をかけて、ついでに駆け出していた。制服も違うから、誰も現子だと思わないほどに容姿が変わっている。  完璧な変装。からの全力疾走。向かうは中庭。  きっと、いや間違いなく、二人は兎月について何かとても重要な会話をしているに違いない。  押さえられない好奇心が走る少女の激情を掻き立て、物理法則さえ無視して廊下の角を壁伝いに曲がってゆく。  うおぉぉぉぉん! パラリラパラリラ! 不運とダンスするための一人舞踏会。  もはや紅茶を運んでいる場合ではない。ギアをトップに入れて、走る走るほとばしる青春の情熱。  果たして、教室から中庭に出るまで三分はかかる距離を、現子は一分で走りきった。 「へっへっへ、レンジでチンも真っ青。現子さまの俊足ナメたらイカンぜよ!」  現子は何食わぬ顔で二人が話すベンチの隣に腰を下ろした。  聞き耳を立てる。 「それで、今でもやっぱり目玉焼きに味の素かけてるの?」 「そりゃそうだよ。なんたって味の素・・・なんだからね~」 「相変わらず気持ち悪いわね」  ――何を話しているのかしら? 日常会話? 「でも塔子さん、わざわざ学園祭に来るってコトは、兎月ちゃんに会いに来たってことでしょ~」  塔子とうこというのが、相手の名前らしい。  そして兎月というワードが二人の会話に登場すると、現子は興奮を抑えるのに苦労しなければならないのだった。  やはり、塔子という女性は兎月のことを知っていた。 「懐かしいと思っただけよ。私、この学園の卒業生だから」 「もう随分と昔のような気がするね~」 「随分と昔なのよ。アナタ、ほとんど当時と同じ姿のままだから実感しにくいのでしょうけど」 「そうかもだね~」 「後悔してない?」 「してないよ~。今、幸せだもん」 「なら、いいのよ」  過ぎ去りし年月に相応しい容姿で微笑む塔子に、霧花さんが笑顔で応える。  去りゆく塔子に霧花さんは「また会おうね」といって手を振ったけれど、塔子が振り返ることはなかった。 「変な会話……」  現子が小さく呟く。兎月のことが殆ど話に出なかったのが不満でもあった。 「ところで現子ちゃんは、こんなところで油売ってていいの? 売るのは紅茶とビスケットじゃなかったかしら?」  ビクンと現子の体がハネた。バレていた。どんな変装も、母の目を誤魔化すことは出来ないものらしい。  例えば現子が蛙に姿を変えられたとしても、霧花さんなら気づきそうである。 「それより母さん、さっきの人ってもしかして――」 「あら? あらあらあら~。今日の現子ちゃん、何か雰囲気が違うのね~」  露骨に話題を逸らされたと思った。 「兎月ちゃんには見せた~?」 「え? 兎月には……まだ見せてないけどさ」 「きっと現子ちゃんって気がつかずに、見惚れちゃうんじゃないかな~」 「あー、私、用を思い出したからもう行くわ」 「行ってらっしゃーい。兎月ちゃんに宜しくねー」  予想以上にチョロい娘に、霧花さんは一抹の不安を抱えたまま、校舎の中へと駆けてゆく現子の後姿を優しい瞳に映すのだった。  兎月を探すにしても校舎内は広い。  兎月のクラスを覗いても見つからないし、スマホを使うと現子であることがバレてしまう。何より兎月がメールやコールに素直に反応するのはまれなのだ。 「これは見つけるのは無理そうね。残念だけど、教室へ戻ろうかしら」  現子は紅茶ファッションショーのウェイトレスなのだ。本来なら私事わたくしごとで動いている場合ではない。 「ねぇ、君」  二人組みの男子生徒に話しかけられた。 「僕らは比良坂ひらさか学園、新聞部の者なんだけど、少しだけ時間を貰ってもいいかな?」 「私、急いでるんだけど」 「今度『比良高際で見つけた可愛い娘』って特集記事を組むことになっているんだけど、写真撮らせて貰ってもいいかな? 個人情報は何も聞かないし、写真一枚撮るだけ。君の場合、着ている制服で学校名が分かっちゃうんだけど」  もちろん嫌なら無理強いはしないよ。と、新聞部員は締めくくった。  二人は現子が他校から来た見学者だと思っている。制服が違うのだから無理もない。 「あの、もしかして私可愛いですか?」  妙な質問に新聞部員は顔を見合わせた。 「もちろん、可愛いから声を掛けたんだけど……」 「どこがどんなふうに可愛いですか?」 「え? 長くてサラサラの髪とか、眼鏡と制服も似合ってるし……」 「えー、そっかぁ……えへへー」  現子は母親である霧花さん以外から、「可愛い」なんて言葉を言われたことがない。兎月はたまに言ってくれるが、本心でないのは分かっていた。  恥ずかしいけれど、やっぱり嬉しい。「可愛い」は、なんて不思議な言葉なのだろうと思う。  現子はしばし思考する。  制服を貸してくれた友人の学校には自分という生徒は存在しないのだから、身元がバレることはない。何よりこれは、兎月に自分を見直させる良い機会かもしれない。 「これは……ついに来たか! 私のターン!」  ガッツポーズを取ると、現子はそのコブシを新聞部員に突き出してみせた。 「よっしゃー! これは学園祭どころではないわ。どうしても兎月に今の私の姿を見せないと!」  使命感を露わに全速力で走り去ってゆく現子を、新聞部員は幻覚でも見たかのような表情で見送った。 「写真、撮り忘れたな」 「いいんじゃね? 何か楽しそうだったし」  一時間かけて校舎を彷徨さまよい歩いた現子は、保健室でやっと兎月を見つけた。ベッドに寝そべって積極的に学園祭を否定する姿勢は、なんとなく何処かの誰かのようでもあった。  先生が不在なので大っぴらにカーテンを開ける。どうせ仮病なのだし、ちょっと脅かしてやろうと思ったのだ。  しかし現子は声を出せない。出せばバレる。  せっかく深海魚から人魚姫に変身したのだ。魔法が解ける前に、何か一言だけでいい。  ――毒にも薬にもならない無言よりも、私の心に毒の一滴を垂らして波紋を作ってほしい。  その後に、正体をバラしてあげる。 「やぁ、現子。また変わった格好をしているね」 「…………女の子には、いろいろあるのだよ」  なんでこの男はこういう時だけ目が利くのか。イメチェンしたときは、まったく気づいてもくれなかったくせに。  現子はやり場の無い怒りに名前を付けようとして、諦めた。

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