きみに届けるシンフォニー
第一章 届けたい想い 12

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 ギターを抱きかかえて周囲に目を向けると、将棋を指していた年配の男が立ちあがって何か騒いでいる。  拓人が怪訝そうに見ていると、わめいていた男がこちらに向かって威勢よく歩きだした。  まっすぐ自分に向かってくる姿から拓人は危機を感じとる。  男は拓人の目の前で立ち止まると鼻息荒く口を開いた。 「おい小僧!」  頭ごなしに怒鳴られた拓人はギターを抱いたまま背筋をしゃんと伸ばした。男の顔をよく見ると、ぼうぼうに生えた眉毛が怒りで逆立っているように拓人には見える。 「小僧がノコギリみたいな演奏するから負けちまっただろうが!」 「す、すみません」  謝ったはずみで作詞ノートが転げ落ち、あろうことか男の足下に辿り着く。 ――破られてしまう!  荒々しくノートを拾った男は、内容に目を走らせると意外にも丁寧に拓人に手渡してきた。 「人のせいにするなバッハ! 彼だって悪気があった訳じゃない」  ぼうぼう眉毛の背後から銀縁眼鏡をかけた男が駆け寄ると、バッハと呼ばれた男は不機嫌さを露わにした。 「何だと! あのまま指し続けていれば俺の勝ちだったんだ」 「勝負と演奏の世界にたらればは禁物だ」  銀縁眼鏡の言葉にバッハは憤懣ふんまんを吹きだすように鼻を大きく鳴らす。  おろおろする拓人に気づいた銀縁眼鏡は一転してにこやかな顔で歩を詰めてくる。 「驚かせてすまなかったね、きみ」  七三分けにした豊かな白髪をぺこりと下げられ、当惑した拓人は『いいえ』と返答した。 「私は山岡秀松やまおかひでまつと言います。こっちはバッハ――じゃなくて馬場光三郎ばばこうざぶろう」  丁寧に自己紹介する山岡に冷静さを取り戻した拓人は、ギターを置いて立ちあがった。 「早坂拓人です。僕の方こそ、ご迷惑をおかけしたみたいでごめんなさい」  拓人が謝ると、馬場はそっぽを向いてしまう。 「拓人くん――か。いい名前だね。なあ、おい、バッハ」  和やかな山岡に対し、馬場は眉間に皺を寄せて返答を拒む。  拓人は自分の名を話のネタにされたのは初めてなので気になったが、こちらに向き直った山岡はそれにはふれないまま自分たちの話をはじめた。  山岡たちは仕事をリタイアした後、青空将棋の会と称して仲間内で将棋を楽しんでいるそうだ。  彼が指差すベンチから三人の仲間がこちらを見つめていたので、拓人は深くお辞儀した。気の毒をしたのは間違いないので拓人が再度謝ると、馬場はもういいと言うように乱暴に手を振ってくる。 「おい、学校はどうした?」 「今日から夏休みです。それで、ここで練習をしようと思って……」 「そうか、夏休みか」  納得した馬場が拓人のギターをつかむ。  慌てた山岡が何か言う前に、馬場は練習曲の題名をちらりと見るなり演奏をはじめた。  荒々しい演奏だが、教本の指示に従わない自由な演奏が拓人の心を惹きつける。  セーハも完璧にこなし、心地よい揺りかごに身をあずけた演奏が終わると拓人は呆然と馬場を見つめた。 「外で弾くなら、せめてこのくらい――」 「お、お願いします!」  反射的に拓人は腰を直角に曲げていた。 「僕に、僕にギターを教えてください!」 「はあっ⁉」  馬場と山岡が揃って声をあげた。

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