残照
7ー1

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 彼女は死にたがっていた。  オブラートに、なんていっている場合じゃない。  このままでは本当に、その選択をしてしまう。  けれど、無力だ。1人では、何もできない。  また、助けられない?    涙が頬を伝う。  誰でも、なんでもいい。彼女を助けてください。救うのが自分じゃなくたっていい。それでもいいから。すべてを笑顔に変えてしまえるような大きな力が、欲しい。  彼女を救える、そんな力が。                                              15  ※  実家で散々怠惰を貪った反動は大きく、久しぶりのバイトは体にこたえた。おまけに急なシフトの問題で、二週間くらい残っていた休みの大半は出勤することになってしまった。そのおかげもあって凜とは一度も会うことなく、喫茶店に行くこともなく、ひたすら働いた。バイト先の人間以外との交流と言えば、帰宅中偶然に日向と出会ったというくらいだった。  そして徐々に休みの終わりが見えてきて、また学校が始まるのだと思うと憂鬱な気持ちになった。何かポジティブな要素があるとすれば、だんだんと暑さが和らいで過ごしやすくなったということだ。  とうとう新学期が始まる日、崩れきった生活リズムのおかげで、僕はあまり眠れないまま朝を迎えた。初日から欠席するわけにもいかず、重たい体でなんとか大学に向かった。  睡魔と激闘を繰り広げ、なんとか1日を終えて帰宅した僕は、夕方だということもお構いなしにさっさと眠ろうとした。すると大学の知人から、どの講義を選択するつもりかという連絡が来た。僕は仕方がなく大体の見通しを教えた。やりとりを終えて眠ろうとすると、今度は凜から電話が来た。僕は電話に出た。 「はい、もしもし」 「おつかれさーん、ね、どの講義とるか教えて」  僕は同じように自分が選択する予定の講義を伝えると「私もなるべく同じのとるから一緒にうけよーね」と言って、用件は済んだし、今日は疲れているからと一方的に電話を切られた。彼女の様に自由気ままに振る舞えたら楽だろうなと思った。  ただ、当初は学校の再開を恨めしく思っていても、すぐに体も心も自然とリズムを取り戻していくものらしい。だから一週間がたつ頃には、当たり前の様に講義を受け、帰宅し、バイトに行き、たまに携帯で凛とやり取りをして眠るという夏休み前からのライフスタイルに戻ってきた。バイトがない日は、その隙間に喫茶店に行って、あとは同じだった。 「ねえ、樹。わたし今日この後暇なんだけど、ゲームしない?」  講義が終わるなり、少し離れたところに座っていた凜が近寄ってきてそう言った。一緒に受ける予定だったけれど、彼女が遅れてきたせいで、僕の隣は埋まっていたのだ。 「ま、いいけど」 「よーし、そういえばきのうさ」 「樹君」  ふと、僕は名前を呼ばれた。一瞬凜が呼んだのかと思ったけれど、流れがおかしいし、声も違う。僕が顔を上げると、目の前には、1年の頃から同じゼミに所属する白木灯里が立っていた。  絵にかいたような優等生、とまでかはわからないけれど、単位は落とさず講義もゼミもまじめに出て、おまけに美人だとゼミの中でも評判で、僕とは正反対の、まともな人だと思っていた。 「あ、お疲れ様」 「なんだか、久しぶりだね」  白木さんはその美しい顔に柔らかな笑みをたたえる。 「うん、そうかもね。ゼミも夏休み前はなぜかほとんどなかったし」 「そうだよね。樹君さ、なんでゼミが全然なかったか、知ってる?」 「え? 知らないけど」 「実はね、先生が旅行に行ってたかららしいよ」  辺りをちらりと見てから、白木さんは僕に耳打ちした。それからいたずらっぽく笑った。 「へえ、あの先生が? 旅行とかそういうもの全く興味なさそうなのに」 「ね、本当そうだよね」 「旅行」  凜がぽつりとつぶやいたのを僕は聞き逃さなかった。どうやら僕だけじゃなく、白木さんにも聞こえていたようだった。僕と白木さんは凜の方を見た。僕たちの視線に気が付いた凜もこちらを向き、しまったというような顔を浮かべたけれど、その微妙な表情の変化に気が付いたのは、多分僕だけだろう。それくらい、とても小さな変化だった。 「あ、ごめん。気にせず、どぞ」  凛の目はせわしなく動いている。さすがにこれは白木さんも気がついただろう。 「あ、ううん。私の方こそ急にごめんね。えと、白木です、白木灯里。樹君とは同じゼミで、いつもお世話になってます」  どういう目線なのだろうかと、僕は苦笑した。 「あ、これはご丁寧に。鈴野です。樹くんとは友達やってます」  対抗して僕の名前を出さなくてもいいと、後で説教することにしよう。  奇妙な雰囲気になった。自己紹介を終えた2人はすっかり黙ってしまって、僕がどうしたものかと思案していると、白木さんが僕の方を向いた。 「あ、樹君。この後まだ講義あるの?」 「いや? ないけど」 「ほんと? それならさ、映画見に行かない?」  彼女の提案に、僕はどうしたものかと頭を悩ませる。講義があるかではなく、予定はあるかと聞いてくれればもっと断りやすかったのにと思いつつ、慎重に断りの言葉を選んだ。無論、凛とゲームの約束をしていたからだ。 「あ、それじゃ私バイトだから、お先にー」  選んだ言葉を喉まで運んだところで、凜がそう言って、そそくさと教室を出ていった。不自然極まりない動きに、白木さんは不安そうに、凜が出て行った扉の方を見つめていた。 「あ、何か、悪いことしちゃったかな」 「いや、大丈夫だよ」  僕が言うと、白木さんは困ったように笑う。きっと気遣いのできる人なのだろう。その顔には依然として不安が含まれているようだった。 「なら、いいんだけど。でも、今度謝らなきゃ」  僕はその言葉には何も返さず、話を戻した。 「それで、映画だっけ。ちょっとこの後バイト先の店長と話さなきゃいけなくてさ、それ次第なんだけど、少し待っててもらってもいい?」  もちろん、そんな予定はない。 「あ、うん。いいよ。ごめんね、急に」  それから僕達は話しながら一緒に門の前まで向かって、一度別れた。僕は家に帰り、さっそく凜に電話をかけた。 「はいはーい」 「はいはいじゃないよ、なんだ、あの嘘」 「いや、別に、いいかなって」 「はあ?」 「映画、行きなっ」  何か力が込もっているような声と、遠くからかちゃかちゃと鳴る音、それから現代にはまず聞こえるはずのない、鋭い剣戟の音や化け物のような声が聞こえてくる。どうやらゲームをしているらしい。 「あのさあ」 「それに、約束してたわけじゃないじゃん。樹からイエスもらってなかったから、うん、セーフだよ。白木さんに付き合ってあげなよ」  凛の弁明に心から納得したわけではなかったけれど、もはや結論は決まっているようなものだった。白木さんをあまり待たせるのも悪いと、僕は無理やり飲み込むことにした。 「分かった、じゃあ切る」 「うん、またねー」  でもやっぱり、どうにも納得がいかなかった。それがどうしてなのかはわからない。人生は分からないことばかりだと頭の中でボヤきながら身体は外出の準備を整え、白木さんに連絡を入れた。  少しだけ、腹が立っていた。言い知れぬ怒りのせいで険しい顔にでもなっていたのか、チケットを購入してソファに座り、上映を待っていた僕を、白木さんは不安そうに覗き込んできた。 「樹、君?」  弾かれたように僕は顔を上げる。 「あ、ども」 「ごめん。遅れちゃって」  彼女にいらぬ誤解を与えないように、僕は全力で否定する。 「いやいや、時間ぴったりだよ。全然待ってない。むしろ僕が早く来すぎたよ。思いのほか、早く話が終わってね」  するりと出てきた嘘に、方便という言葉を与える。白木さんは口元に手を当てて、上品に笑った。 「そっか、よかった」 「うん」  白木さんは僕の隣に座った。 「来れてよかった。もうすぐで上演終わりだったんだ」 「そうなんだ。それは、何より」 「樹君は、普段映画見ないの?」 「うーん、あんまり見ないかな。テレビで入るのは見ることもあるけど、こうやって映画館に行くことはほとんどないね。だから今日は、一体いつ以来だろ」 「そうなんだ。本は好きだったよね」 「うん。まあ、単純に外にあまり出たくないから、映画館にいかないだけだと思うけど」 「不思議な言い方するね。自分のことなのに」  白木さんは苦笑いを浮かべる。 「そう、かな」 「うん。前から思ってたけど、樹君って変わってる」 「・・・・・・よく言われるよ」  ふと、凛以外の女性と二人きりというのはあまりないことだなと思った。別にだからどうということもないんだけど。  二時間ほどの映画が終わり、僕と白木さんは映画館を出た。恋愛映画ということで、興味を持てるのかいささか不安だったけれど、内容は十分に面白かった。誘ってくれたことに対する礼と、素直に感想を伝えると、白木さんは嬉しそうだった。それから同じ監督の他の作品や、実は原作が小説なのだということを教えてくれた。 「ほんとに、付き合ってくれてありがとう」  最寄りの駅まで歩きながら、白木さんは笑顔で言った。 「いえいえ、こちらこそ面白いものを教えてくれてありがとう」 「迷惑じゃなかったら、また、誘ってもいい?」 「もちろん。今、ほかに何が上映してたっけ?」 「あ、違うの。映画じゃなくて、例えば、うーん。お茶とか?」 「そっちね。いいよ、もちろん」 「良かった、約束だよ。誘うから」 「うん。基本的に暇だから、僕」 「ちなみに、この後も予定なし?」 「え? まあ、うん」 「そうしたら、少し歩かない? もっと話したいし」  急な提案に戸惑ったけれど、話したいと言われて不快な気持ちにはならない。僕は一瞬、凛のことが頭をよぎったけれど、最終的にはその提案に頷いた。 「良かった。じゃ、行こうか」 「うん」  空には夕陽があった。涼しい風が通り抜け、木々を揺らしていた。僕達は河川敷を歩いていた。少年たちの活発な声が聞こえてくる。近くの球場で野球をやっているようだった。散歩は河川敷に限るというわけではないけれど、僕の散歩の記憶は大半が河川敷だ。 「この間まで僕達を苦しめていた暑さはどこへやら、って感じだね」  綺麗な黒髪をなびかせながら、白木さんは頷いた。 「そうだね、涼しくて気持ちいい。夏は嫌いじゃないけれど、やっぱり、これくらいがちょうどいいね」 「うん」 「樹君の、好きな季節は?」 「好きな季節? うーん、ごめん。特にないかな。どれもこれも一長一短で」 「ふふ。樹君っぽい答えだね」 「そうかな」  少しくすぐったくて顔を白木さんとは反対の方へと向ける。 「うん。普段は何をしてるの? やっぱり読書?」 「そうだね。あとゲームかな」 「ふーん、ゲームは何を?」  いくつかゲームのタイトルを述べると、一つも知らないようだった。住む世界が違うというのは、こういうことを言うんだろうか。 「鈴野さんもやるの?」  凛の名前が出るとは思っていなかったので、僕は驚いて、白木さんの顔を見る。ただ興味がある、というわけではなさそうだ。 「うん。一緒にやってるけど」 「ふーん。ね、鈴野さんって、どんな人なの?」  さらに予想外なことに、そのまま凜の話になるようだった。 「凜が、どんな人か?」  おまけに質問が非常に難しい。思わぬところで難問にぶつかった僕は、頭を必死に回転させる。  思えば、凛のことを誰かに話したことはなかった。だから、いざ彼女のパーソナリティについて問われると、どうにも言葉が出てこない。一緒に過ごした時間を振り返り、彼女の言動を思い浮かべる。だめだ、やはりよくわからない。  白木さんは静かに答えを待っているようだった。適当なごまかしは通じなさそうだと観念した僕は、とにかく正直に答えることにした。 「よくわからない奴だね」  それから、と僕は自分自身の背中を押すように前置きをした。 「自由な感じで、でも、ただ何も考えていないってわけでもなくて、時折じっとどこかに行っているような。いや、そういうことじゃないね。ごめん」  白木さんはじっと僕を見つめたまま、ゆっくり首を横に振った。僕は頭を掻いた。 「まあ、なんというか、形容しがたい人でして。ああ、でも悪い奴じゃないから」  から、なんだろう。  僕はいま、とんでもないお節介を焼こうとしたんじゃないか。 「そっか・・・・・・よし、決めたっ!」  神妙な面持ちから一転、力強い表情で、白木さんは小走りで僕の前に立った。 「ど、どうしたの」 「このあと、時間あるんだよね!」 「え、うん」 「お願いがあるの」  埋蔵金でも探しにいくかのような、若干鼻息を荒くして何かを期待する目に、僕の中にあった白木さんのイメージが崩壊していく音が聞こえた。だからなんだという話なんだけど。

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