残照
8-2

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 学園祭三日目を迎えた日、特に目的もなく、なんとなく参加できればいい僕達は、いつもの喫茶店前に朝11時に集合し、それから大学に移動した。周辺は、やはり学生たちが行き交っていて、最終日を楽しもうとしているようだった。 「なんか、きんちょうする」  正門を前にして、凜が立ち止まった。 「なんで?」 「いやあ、こういうの、不慣れで」 「一年だからね。さ、行こう」  的外れなことをわざと言って、僕は先に歩き出す。 「あー、ちょっと、先行かないでよお」  正門をくぐると異世界に迷い込んだように、異様な熱気に体が押しつぶされそうになった。あちこちに出店が展開されていて、メニューはたこ焼きとか焼き鳥のような定番の物から、店名からは何か想像できない、一風変わった店もあって、バラエティに富んでいた。食欲を駆り立てる匂いと、学生たちの楽しそうな声に満ちていた。 「人、食べ物、人、食べ物」  凜は呟きながら、きょろきょろしていた。完全に不審者だけど、周囲の学生たちはいちいち気にかけない。誰も彼も自由に、目の前のあらゆる娯楽に夢中のようだった。 「ふう、ほんと、すごいね」  建物内に入ると、各サークルの催し物なんかが教室で行われているようだった。ときおり、コスプレをした学生が走り回ったり叫んだりしていた。外とはまた違った異質さが、ここにはあった。凜はコスプレ学生たちに怯えながら、足を進めていた。 「大丈夫?」  かくいう僕も、大丈夫ではない。はっきり言って帰りたくなった。 「とりあえず、一周しよう」  凛は青い顔で全身から振り絞るように声を出した。 「・・・・・・ま、そうだね」  半ば意地の様に、とにかく目につくところを回って、けれど実際体験することはなく、あくまで傍観者として散策した。当初はとてつもない数だと思っていたけれど、回るだけだったからか、あっけなく大体のものを見終えてしまった。  拍子抜けというか、どうすればいいかわからくなった僕達は顔を見合わせて、どちらからともなく大学の外へと足を向けていた。門をくぐると、目の前の道路を走る車が現実への帰還を知らせてくれた。背後は相変わらず熱狂していた。今は11時半。終わるのは確か20時だったから、まだまだ続くのだろう。 「いやあ、凄かったね。樹、少しふけたんじゃない」  たった30分だったけれど一応満足したのか、顔色の良くなった凜はけらけら笑って僕の肩を叩いた。 「そうだね。ピエロが走ってきた時は、寿命が縮まったよ」 「あれはおどろいたね」  僕達の身にふりそそいだ災いは、そのくらいだった。昨日起きたような辛いことは、異世界においては起こらなかった。 「これから、どうしよう」  僕は言った。 「うーん、歩く?」 「いいけど。でも、先に腹ごしらえをしよう」  僕達はいつもの喫茶店へ行った。お昼時だけど、客は僕達以外には誰もいなかった。理恵子さんはいろいろと察してくれたのか、苦笑いで、けれど優しく僕達を出迎えてくれた。すっかり食べ慣れた、けれど飽きることのない料理に舌鼓を打って、お礼を言って店を出た。それからはあてもなくふらふらと歩き、河川敷の土手にさしかかった。 「あ、日向だ」  どうやら昨日、たっぷりと学園祭を楽しんだらしい日向から、写真付きでメッセージが届いた。映っていたのは、日向と友達らしき男子たちと、僕でも知っているような大人気バンドのボーカルだった。『超ラッキーでした!』と興奮が文面から伝わってきた。 「どうしたの?」  凜にその写真を見せた。 「日向から」 「あ、この間の。ん、この真ん中の人は?」 「え? ああ、昨日来てたバンドの」 「ふーん。にしても日向君、イケメンだねえ」 「そう思う」 「写真、か」  凜が小さく言ったのを、僕は聞き逃さなかった。 「・・・・・・僕達も、撮る?」 「え?」 「いや、折角だし」  驚いた凜を見て、僕は途端に恥ずかしくなった。自分から写真を撮ろうなんて、僕はもちろん言ったことがない。受け入れられても、断られても、気まずい。 「うん、撮ろうか」 「あ、ああ、うん。じゃあ。あ、でもここは邪魔になるか」  僕達は道の脇に寄って、周囲に人がいないタイミングを見計らって、写真を一枚撮った。初めてだったけれど、ちゃんと映っていた。撮った写真を二人で見ていると、僕はおかしさがこみ上げてきた。 「どうしたの?」  凜は首を傾げた。 「いや、写真撮るタイミングおかしくない? どうせなら、学園祭で撮るべきだったような」 「ああ、そういうものかもねー」 「まあ、でも」 「でも?」  ――僕達らしいか。 「いや、なんでもない」    夜、僕は黒い手記の隣に携帯を置き、凛と一緒に取った一枚を、眺めていた。へたくそに笑う僕たちと、背後には太陽が昇っている。昼間はうまく取れたと思ったけれど、こうして冷静に見ると、光で僕たちの顔が少しぼやけてしまっている。まあ、それもらしいだろうかと、口元がほころんでしまう。    僕は黒い手記を開き、適当にページをめくる。  五月の連休明けから、すべては始まったんだっけ。  水を一滴、垂らすように。僕は自分の胸にそっと始まりの記憶を置く。  ゆっくり瞬きをして、黒い手記の表紙を、指でさする。  気が付けば、僕は彼女との世界の中に浸っていた。

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