残照
8ー1

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「樹、私がもし、君のことを好きだといったらどうする?」  にやりと笑って、風香は言った。僕は顔が熱くなるのを感じる。 「どうって、どうしてほしいの」 「その質問は反則だよ」 「いや、風香の質問だって、反則」 「ふふふ、そうだね。ねえ樹、好きってなんだろうね? どんな気持ちなんだろう。目の前はどう変わるんだろう」 「さあ、わからないよ」 「私たちの周りの人は、みんな、抱えているんだよ。恋心ってやつを」 「それなら残念だけど、僕と風香には一生理解できないことかもしれないね」 「ふふっ、容赦ないね、樹。でも、そっか。そうだね。私たちは、どこかおかしいから」  風香はベンチから立ち上がって、くるくるとその場で回った。 「うん」  僕が頷くと、回るのをやめて、僕の前に立った。 「おかしいってことは、特別ってこと。好きな人っていうのは、特別らしいよ」 「・・・・・・じゃあ、少しはわかるかも。風香は特別だから」 「ふふふっ、私が特別なら、樹も特別だよ」  ※  大学生なんてあっという間だと、高校時代、担任の先生が言っていた。確かにその通りで、気が付けば大学2年も半分が過ぎていた。ちらほらと就活に関する話題が否が応にも入ってきて、少し気が滅入った。そんな僕を見て、凜は「良かった。私1年で」と、のんきに言っていたので、先輩らしく担任の言葉をそのまま送ってやることにした。  その一方で、例年10月中旬に3日間開催される学園祭ムードが大学のあちこちに漂っていた。本当に久しぶりに会った知人や、情報通の白木さんが、今年は若者に大人気のバンドが来るだとか、出し物や出店について教えてくれた。けれど、僕は参加する気持ちが微塵もなかったので、ただ情報として頭に入れておくだけだった。  学園祭まであと数日と迫っても、興味関心および関係の全く無い僕は、講義を終えるなり、活気づく大学をさっさと後にして喫茶店へと向かった。 「そろそろ学園祭でしょ?」  サンドウィッチとコーヒーを持ってきてくれた理恵子さんが言った。 「そうなんですよー、なのに、樹全然行くつもりなくって」  先に入店していた凛は、ナポリタンを巻きとりながら、理恵子さんに答える。 「いいだろ、僕の勝手だ」 「そういえば、青年は、去年も学園祭の日にうちに来てたよね」 「はあ、そういえば、そうですかね」 「今年はほら、こんな美少女がいるんだし、一緒に行こうよ。みんなに自慢できるよ?」  凛は得意げな顔で言った。 「あのさ、僕達仲良くなって時間経つよね。僕がそんなこと望まないってわからない?」  凜は下手くそに笑った後、思い出したように拗ねた態度をとり、ナポリタンをずるずる食べた。巻くのが面倒になったらしい。 「まあまあ、連れて行ってあげたら? 思い出になるよ」  理恵子さんは煙草に火をつけた。 「いやあ、さすがに。人ごみも苦手ですし」 「ま、うちはガラガラだからね」 「あ、いえ、そういうつもりで言ったんじゃ」 「冗談、わかってるって」  僕と理恵子さんが笑い合っている間、凜は何か考えているようだった。理恵子さんが厨房へと戻って行ったタイミングで、僕はその腹の内を覗いてみることにした。 「で、何をたくらんでるの?」 「たくらむ?」 「君も、僕と同じだと思っていたんだけどね。人ごみとか、嫌いでしょ」 「全然平気だよ。むしろ行きたい」 「本当に?」 「いや、ごめん。苦手です」  だろうね、と僕は心の中で頷く。 「だったら」 「でも、友達イベントだし・・・・・・」 「なら一人で行ってきな。それで帰ってきたら感想聞くよ」 「それは、意味わからないじゃん」 「まあ、うん」 「では、樹君、一緒に」 「ああ、もう面倒くさい。白木さんと行きなよ」  あれから凛と白木さんの距離は少しずつ縮まっているのだと白木さんが言っていた。 「だめだよ、あの人忙しいらしいもん」  そういえば、そんなことを言っていた気もする。 「ねー、頼むよー。私はとにかく君と行きたいの」 「フォーク向けんな。はあ、我がままだな」  押し問答を繰り返すうち、僕はだんだんと、どうせ行くしかないんだろうなと思い始めた。ただただ億劫で、ポジティブなものは何もなかったけれど、友人付き合いとは得てしてこういうものであると自分に言い聞かせた。  ※  僕は一度うやむやにしたけれど、後日、凜の誘いを承諾した。彼女は驚いて、それから笑って、執拗にその結論に至った経緯を聞いてきたけれど、なんとなくと答えると、納得したようだった。  それから僕は白木さんに会うことがあって、凛と二人で学園祭に行くと伝えた。彼女はとても羨ましそうに、来年こそは自分が凛と一緒に行くのだと、決意を固くしていた。ぜひ連れ出してもらえるとありがたいと、お節介なことを思った。  3日間の学園祭の内、僕たちは最終日に行くことにした。初日は僕がバイトを入れていたこと、2日目は芸能人のイベントがあったりと一番人が多そうだったので避けたかった。なので、消去法で最終日を選んだ。  とうとう学園祭前日ともなると、講義の前、最中、終わってから、いつでもどこからかその話題が聞こえてきて、期待度の高さが伝わってきた。去年こんなに盛り上がっていただろうかと白木さんに訊くと、やはり今年のゲスト、大人気のバンドによるところが大きいんじゃないかとのことだった。またそれを抜きにしても、それなりに立派なものではあるらしいけれど、正直どうでもよかった。誘った張本人である凜も、全く楽しみにしている様子はなく、僕達は平常交わすようなくだらない会話をするだけだった。  そんなわけで、学園祭初日も僕はいつも通りだった。予定通りバイトに行き、問題なく仕事をこなした。  二日目、家でゆっくりと過ごそうとした僕だったけれど、散歩がしたいと凜に連れ出された。30分くらいだらだらと歩いた僕達は、休憩をしようと、近くにあった公園のベンチに座った。 「僕達は一体、何をしているんだろうね」 「どういう意味?」 「いや、意味はまったく思いついていないんだけど」 「なにそれ」  凛は宙に浮かせた足を、横にふらふらとさせていた。 「あ、ところでさ」  彼女はリュックから講義で使用しているノートを取り出した。 「え、まさか勉強しようっていうの」 「ちょっとだけだって。ここ、よくわからなくて、教えてよ」 「今日は学園祭の日だよ?」 「いや、樹がそれを使う資格ないでしょ」  僕は口をつぐんだ。全くその通りだったからだ。 「はい、私の勝ちね」 「なんでこういう時に限ってやる気出すの」 「まあまあ、深い理由はまったくないよ」  不本意だけれど僕は凜に付き合ってあげた。熱心に講義をしてあげていたのに、途中で飽きてしまったのか、凛の足がまた落ち着きなくふらふらし始めた。 「聞いてる?」 「へ、うん」 「嘘つけ」 「ばれたか」 「やろうっていったのはそっちじゃないか、まったく」 「ごめんごめん、気が変わってさ。これがまさに、女心と秋の空ってやつでしょ」 「もしかして、それが言いたいがために全部?」 「いや、さすがにそれはないでしょ」 「そう思わせる何かが、君にはあるんだよ」 「ふふふ、よくぞ見破ったな。さすがだよ、成瀬君。私が見込んだだけのことはある」  妙なスイッチを押してしまったことを後悔した。本心なんて、やっぱり滅多に口にするものじゃないなと反省する。 「そんなことよりほら、そろそろ歩こうよ、寒くなってきた」  歩いて温まった体は、秋風によってどんどん冷えてきていた。 「そうね、じゃあ紅葉狩り兼散歩、再開しようか」 「そのテーマ、初めて聞いたんだけど」 「初めて言ったもんねー」  どうやら紅葉狩りを勘違いしていたらしい凜は、綺麗な葉を見るたびに木からちぎろうとしたり、落ち葉を拾おうとしていた。最初は冗談だと思ったけれど、どうも本気でやっているように見えてきたので、思い切って注意すると、衝撃のあまり開いた口がふさがらないようだった。 「紛らわしい名前、つけないでほしいね!」 「まあ、うん、その気持ちはわからないでもない」  憤慨する彼女となおも紅葉狩りをしていると、公園を出てから五分と経たず、小腹がすいたと言い出した。食欲の秋とのたまう彼女は、もう食べ物のことしか頭にないらしく、しきりにあたりを見回していた。 「うーん、なんかない?」 「知らないよ。一人でこんなところまでこないし」 「うーん」 「ネットで調べたら?」 「あ、その方法があったけど。店に行くほどじゃないなあ。ね、じゃんけん」  ぽん、に合わせて僕はグーを出した。彼女はパーだった。とりあえず、負けたのだと理解した。 「なんのじゃんけん?」 「肉まんとお茶ね? はい」  手際よく小銭を取り出して僕に無理やり握らせてきた。ひんやりとした手が触れあう。 「何の真似?」 「マネーだけに?」 「いやあ秋の風って、こんなに冷たかったかな」 「ひどいね。ほら、あそこ。コンビにあるでしょ」  凛が指差した先には確かにコンビニがあった。 「行けと」 「負けたからね、それに私、買い食いってしてみたかったんだ」  そんな貴重な体験でもないだろうにという言葉は飲み込んだ。 「しかたない」 「なんだかんだで、樹は行ってくれるよね」 「いかない方が面倒だからね」 「ほんと、一言多いけど」 「君に言われたくはない」  寒さもあったので、僕は足早にコンビニに向かった。託されたお金はあまりにも多すぎたので、あとでいくら返そうかと考えながら、所望された品を買って寒空の下に出た。すると僕はすぐに、凛の姿が見えないことに気が付いた。  店内の滞在時間は10分と満たないはずだった。かくれんぼには充分すぎるけれど、そんな約束をした覚えはない。小走りで元々いたところに戻ってきたけれど、やはり凜の姿はなかった。  子供でもないのに迷子になるだろうか。いや、鈴野凜なら、ありうるか。  逡巡したのち、僕はようやく携帯電話という文明のことを思いだした。本当に小さな子供ならいざしらず、あらゆることを体験していない子供もどきの彼女は、ちゃんともどきであって、携帯の使い方は知っている。かじかんだ指で、焦りもあってか、何度か入力を間違えてようやく電話をかけた。すぐに出た。 「ちょっと、どこに行ったの」 「あー、ナイスタイミング。ちょっと、来てよ」 「は? どこに?」  それから僕は彼女の声に従って、まっすぐ行ったり、右に曲がったり、左に折れたりしながら進んだ。途中から薄々気が付いてはいたけれど、さっき休憩した公園にまで戻ってきた。 「さっきの公園って言ってよ」 「いやあ、万が一君が方向音痴だったら困ると思ってさ」  僕は電話を切って、紅葉をたくさん纏った木を見上げるようにして佇んでいた凜に駆け寄った。 「まったく、何してるの」 「ほら、あれ」  彼女の指が示す道を追っていくと、木の枝に猫がいた。 「また、ベタなしくじりをしているね。あの猫」 「いやあ、現実世界で見たのは初めてだよ」  驚き半分、凛は笑っている。 「まあ、確かに」 「助けたいんだけど、ほら、私筋力も胆力も人並み以下だから」  僕は彼女の細腕を一瞥し、その顔を一瞥し、言いたいことを理解した。 「・・・・・・ごめん、僕、高所恐怖症なんだけど」 「それは、困ったねえ。どうしよ」 「筋力も人並みだし、助けよぼうか」 「私、人脈もないけど?」 「仕方ない」  僕は電話を取り出し、こういう時に頼りになる男に助けを求めることにした。 「はいはーい、お久しぶりっすー、どうしましたー」  快活な声が聞こえてくる。 「日向、お前、今どこにいる?」 「へ? なんすか、急に」  僕は事情を素早く伝え、すぐに来てもらえないかと打診した。 「任せてください、俺マジで近くにいるんで」  頼れるところの一つ、フットワークが軽い。僕からすれば異常なほどに。首を傾げる凜に、最高の助っ人が来ることを伝えると見知らぬ人間が来ることに動揺しているようだったけれど、背に腹は代えられないと、腹をくくったようだった。それからあっという間に、助っ人はやってきた。元気よく手を振りながら駆け寄ってきた。 「こんちはっす、先輩! あと、えーっと、あ、初めまして、高峰っす」 「あ、ども。鈴野です」 「へー・・・・・・」  意味ありげな声を出して、日向は僕に視線を送ってくる。僕はそれに気が付かないふりをして、猫を指さす。 「見ろ、あの猫を」 「ん。あー、ほんとっすね。べたな猫だなあ。かわいそうに」 「だろ、さっき同じこと言ったよ」 「光栄っすね、それは」  爽やかな笑みのあと、日向は軽々と木を上って行った。さすがの身体能力に凛も「おー」と感心しているようだった。すぐに猫のいる枝へとたどり着くと、猫の方から自然と日向に近寄っていって、確保に成功した。どうやら動物にももてるらしい。 「さすが!」 「せんぱーい、なんとかもう少し降りたらこの子ちょっとあれっすけど、落とすんで、受け取ってあげてくださーい」  日向の指示通り、僕は猫を受け取ることに成功した。その後日向は、木から飛び降りた。 「見事な忍者っぷりだな」 「でしょ」  ズボンについた木片や葉を手で払いながら、爽やかな笑顔を浮かべた。 「さて、良かったなって、うわ」  僕の腕に抱かれていた猫は、窮屈さに耐えかねたのか暴れ出して、僕の腕をひっかいた。僕は肉まんたちを守りつつ、体を支えようとしたけれど猫は身軽に飛び降りて、どこかへと去っていった。 「あらー、いかにも猫って感じっすね」  日向はやれやれと笑った。 「ありがとな、助かったよ」 「いえいえ、それにしても良かったっす、近くにいて」 「今日はまたどうして?」 「学園祭前に景気づけようって、カラオケに行ってたんですよ」 「あれ? そっちの大学も今日なのか?」 「いやいや、俺も先輩の方に行くんすよ。友達がいるもんで」 「なるほどな」 「それより、先輩らはなんだってここに? 文化祭は、まあ先輩は行かないんでしょうけど」  僕と凛の顔を交互に見て、日向は首を傾げる。凛は無表情のまま固まっている。 「え、あー、紅葉狩りかな」  言うと、日向は笑った。 「紅葉なんか狩ってどうするんすか。コレクションすか? 先輩ってやっぱ変わってるっすね」  僕はこらえきれずに噴き出した。ちらりと凛を見ると、心なしか顔が赤かった。一応と、日向にも紅葉狩りの意味を教えてあげると、恥ずかしそうに頭を掻いていた。 「ま、まあとにかく! 先輩は学園祭だろうがなんだろうが、関係ないってことすね! さすがっす!」  なにがさすがなのかピンとこなかったけれど、日向からひしひしと感じる好意はありがたく受け取るとことにした。 「まあ、うん、それはそうだな」  そこで、日向の携帯が最近テレビで良く流れているアイドルユニットの歌を流した。 「あー、はいはい。今戻るわー」  日向は端的にそう答え、携帯をしまった。 「それじゃあ戻るっす」 「ああ、ありがとう。今度、何かおごるよ」  楽しみにしてるっすと言い残して、手を振って日向は走り去った。 「いやあ、爽やかだね、君の後輩は」 「でしょ。良い奴なんだよ、今度紹介しようか」  凛は首を横に振った。それから僕たちはさっきと同じベンチに座って、休憩することにした。行ったり来たり、本当に何をやっているんだろうか。 「うーん、肉まんって、冷めてもうまいね。あ、樹も半分食べる?」 「ん、じゃあ」  凛が割いた肉まんを受け取って、口に放る。うまい。 「あ、そういえばさ。結局、君はどうしてここにきたの。まさか猫に助けてって言われたわけでもないでしょ」 「面白いこと言うね、樹。でも惜しいかも。小さい子に、呼ばれた」 「小さい子?」 「そう。猫助けてって。それで公園に行ったら、猫がいて」 「・・・・・・何で君に? わざわざ数分歩いて、君に? そして依頼主はどこに?」 「怒られて、連れてかれた」 「は? なんかわからないけれど大事件じゃないか」 「いや、そうじゃなくて」  要領を得ない彼女の話を懸命に聞いて、理解した。  どうやら小さい子は猫を助けようと人を探して、公園内では力になってくれそうな大人が見つけられずに街に出た。しかし行き交う大人達に話かける勇気もなく、不思議なことにその子を気に掛ける人もおらず、途方に暮れているところで凜に出会ったらしい。その子がなぜ凜を選んだのかはまったくわからないけれど、とにかくそういうわけで助けを求められた凜は、とりあえず引っ張られるまま公園に向かった。  その後、どうしようかと思案していると、依頼主の子の親が探しに来て、事情も聞かずに凜は散々怒られたらしい。そしてその親は子供を連れて公園を出て行った。僕から連絡が来たのは、その後だった。 「まあ、全部聞いてもよくわからないことだらけなんだけど。まずなんでその親御さんは、怒ってたの」 「さあ。でも、誘拐だとか、他人の子に話しかけるなんて、とか。言ってたな」  形容しがたい感情に襲われた僕は、行き場のないそれをどう発散しようかと、とりあえず大きくため息をついた。まったくすっきりしなかった。 「小さい子に助けを求められたんだってことは、伝えたの?」 「あー、言ったような。言ってないような」  まるで他人事みたいに、少しの興味もないように、彼女は理不尽を受け入れているようだった。到底納得のできないものであるはずなのに、凛の意識はもうすでに肉まんへと注がれているのだろう。  前にも、こんなことがあった。消しゴムの話だ。彼女のような思考をすると、どうなるか。いや、そもそもしてやる必要なんてあるんだろうか。 「怒ってもいいんじゃない?」  まとまらないまま、僕は感情のみを頼りに口にする。 「いいよ、別に。それより、樹、次はあんまんを食べたい」  どうやら本当に興味がないようだった。本人がその調子では、所詮、部外者に過ぎない僕がこれ以上とやかく言うこともできない。 「・・・・・・あ、お釣り返してなかった。それで買う?」 「うん」 「じゃ、次は一緒にコンビニに行こう」 「えー、そんなに私と離れるのが嫌なの?」 「・・・・・・そうだね」  力の抜けた笑みを見せられると、僕は余計にそれ以上何かを言う資格がないように感じられて、怒りを封じ込めるつもりでぎゅっと眼をつむった。

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