肖像画くらい映える翳りのある表情で、車内の上方にあるビジョンを見ている彼女の名前は優璃だ。恍惚とした横顔は魅力的だが、悪く言えば無愛想ともいえる顔をしている。彼女は表情を崩さないことが多く、喜怒哀楽がはっきりしないこともある。そんな優璃は紅い唇がプルンと膨れているところがチャームポイントだと自ら主張している。年齢は僕の一つ上で、百七十センチの僕よりも数センチほど身長が低いが、女性の中では比較的大きい方らしい。 「それで、今日はどこへ行くの?」 僕がぼうっとビジョンを見ている優璃に訊くと、彼女はそのまま端的に答えた。 「渋谷だよ」 「渋谷? どうして渋谷なの?」 「さっきも言ったけど、渋谷は刺激的だから行きたいって感じ。自分のフィーリング、つまり感覚を研ぎ澄ませるにはちょうど良い場所なの。人間、何をしていても行き詰まることってあるでしょう。渋谷は詰まったことで溜まった鬱憤を晴らすための空間なんだ」 「なら、僕を試すためにわざわざ東京駅に集まる必要なんてなかったのに。それに、僕らの家からするとこのルートは随分と遠回りな気がするけどね」 しかし、優璃はふふっといたずらに笑みを浮かべている。 「たしかに、東京駅から渋谷は遠いよね」 「いよいよ東京駅に来た理由が分からなくなった」 「それはさっき言ったでしょう。洸を試すためだって」 「それならば、新宿駅でもよかっただろう。あそこだって十分魔境だよ」 僕は間違いなく正論を言ったつもりだったが、優璃は聞く耳を持っていなかった。そういう自己中なところも、優璃らしい。 「まあ、私からすれば東京駅の方が魔境だったからさ。それに、たまの休みに二人で電車に揺られることも悪くないでしょう」 「悪くないけどさ、それでも疲れたよ。僕は人混みが苦手なんだ。ましてや今日は休日だ。正直、パニックになるところだったよ」 「ごめんって。後でお詫びはするからさ」 優璃が両手の掌を合わせて、ごめんなさいのポーズを取っている。おまけに先ほどから暖房が効いていて、心も身体もぼんやりとした熱を帯びている。そのおかげで僕は色々と諦めがついて、「大丈夫ってことにしよう」と、とりあえずその会話を終わらせた。 それから、二人とも渋谷駅に着くまで口を閉ざし、優璃は携帯を見ていた。僕は電車内の壁に貼られている広告に視線を向けた。その中から、一つの広告が僕の目に入った。『狂おしいほどに愛して』と、鮮やかな口紅色で描かれた少しかすれた文字が中央に書かれていて、一人の女性がこちらを見ながら月の光のような淡いライトに照らされている。乱れた長い髪は彼女の顔の大半を覆っていて、その組み合わせは一抹の不気味さを醸し出している。 彼女は最近売れているシンガーソングライターだった。「恋」や「愛」について語り、アンサーを出す歌詞や寄り添う歌詞が若者を中心に共感されているらしく、この間も横浜アリーナでライブを行ったところすぐにチケットが完売したらしい。僕のバイト先でもファンだと名乗る大学生がいる。彼は今度さいたまスーパーアリーナで行われる彼女のコンサートへ行くそうだ。 「俺、この間失恋したんですけど、そのときたまたま『失恋バイバイ』って曲を聴いて胸を打たれたんですよ。マジで、その曲のおかげで立ち直って、これからも人生頑張ろうと思いましたよ!」 バイト先にいる金髪でおちゃらけた彼が、このときだけは真顔で熱弁していたことを思い出した。曲の感想が小学生みたいで、そのときは「そうなんだ」なんて苦笑混じりに受け流してやり過ごしたが、今から思うとあれは金髪青年の本能を前面に出した熱い気持ちだったのだろう。しかし、僕には彼のような情熱など湧き出てくることは全くないから、彼のパッションに溢れる気持ちなど到底理解できなかった。
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