ラブソングで描けない僕ら
Track3 「信濃町のデュエット」 2

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 僕らは信濃町駅の改札を通って、家路を辿るように二人でトボトボと歩いた。このあたりは渋谷みたいにたくさんのネオンライトが灯っていないから、先ほどより景色が暗く感じる。おまけに街が眠っているような静寂に包まれていた。しかし、先ほどまで僕らを凍えさせた冷たい雨はすっかり止んでいて、雨水によって湿っているアスファルトを煌々と輝く電灯が照らし、その場所だけは少しだけきらりと光っているように見えた。 「ああ、眠気が取れない。あくびが出ちゃう」  優璃のぼんやりとした声は、眠たげな感情をはっきりと教えてくれる。  僕は乾いた声で言った。 「電車の中だと普段は満員電車だし、座れたら座れたで眠くなっちゃうし、優璃が大好きな恋物語を考えるのは難しいかもね」  しかし優璃は「いや、そうでもないよ」と、スイッチが入ったようにすぐさま僕の意見を否定した。 「電車の中だって立派な恋物語は生まれるよ。恋や愛の妄想はどんな環境でもできる。それが私の特技だから」 「まあ、そうかもしれないけど」  すると優璃はいきなり僕に近づいてきて、僕を壁にするようにシュッと縮こまる。周りから見たら不思議なシチュエーションだった。 「例えばさ、こうやって洸みたいな男の子が壁になって、満員電車に乗っているあらゆる人間から彼女を守るとか。たったこれだけの行動でも、恋が芽生えたり、愛が増幅したりするかもしれないでしょう。いや、絶対芽生えるよ」  そう言って上目遣いで見てくる優璃に、僕は少しドキッとしてしまう。 「これは、たしかに恋愛要素のある行動だね。同感するよ」 「うん。これをされたら、やる方もやられる方もお互いキュンとするんじゃない?」  そして呆気なく優璃が元の体制に戻り、あっさりと妄想を終わらせて再び僕の前を歩き出した。 「うん。たしかにドキドキするシチュエーションだったよ」  僕はありのままの感情を伝えると、「でしょう」と優璃は得意げになった。 「ありきたりだけど、これはアリだね。私、今まで電車ネタは歌詞の中に取り入れたことがなかったんだ。これは意外とウケるかも」  優璃は自分に言い聞かせるようにして、口で「壁、満員電車」と反芻した。そしてポケットからメモ帳を取り出して、その言葉を記した。 「こういうのって、結局はイメージだからさ。一日経つと、もう浮かんでこなかったりするのよ」 「いつでも浮かびそうだけどね」 「まあ、満員電車くらいなら浮かんでくるかもしれないけど、一応メモはしておくの。もしかしたら、ここから何か素晴らしい歌詞が生まれるかもしれないからね。思い浮かんだアイデアはなんでもメモするようにしているの」 「たしかに、どんなときでも優璃の手にはいつもメモ帳が握られている気がするよ」  今まで僕が見てきたどんな情景でも、優璃はいつでも恋愛のことばかり考えて、一人で自分の世界を構築し続けている。僕はそんな彼女を思って苦笑した。 「もはや、優璃はあらゆる恋愛を創造しちゃう職業病になっているよね」  優璃も僕の言葉には同意したようで、「決して治ることはない病気だよね」と言って軽く笑った。 「さて、行きますか」  メモを終えた優璃は再び歩き出す。向いから走ってきた高級車のうねるようなエンジン音が一度静寂を壊すが、一瞬で過ぎ去れば再び閑静な街へと戻る。それは、まるで僕らの日常だった。  だけど僕は今日の渋谷で起きた出来事が脳裏に焼き付いているから、今でも少し胸の奥底がドキドキしてしまっている。ただ、いつものように過度な期待をしないようにして、平然とした態度で優璃の横を歩いていた。 「ねえ、雨も止んだし、もう少し散歩しない? ちょっと眠気を取りたいんだけど」  突然、優璃が僕に提案をしてきた。彼女は気まぐれな性格だから、いきなり方向転換をすることも多々ある。 「いいけど、身体は疲れていないの?」  僕は心配するが、優璃は「大丈夫」と首を振った。 「せっかくの休日だからさ、もうちょっと散歩をするの。どうかな?」  正直、渋谷を練り歩いた僕の足はクタクタに疲れていたが、今はこの落ち着かない気持ちを解放しておきたい気分だった。僕は優璃に賛成する。 「わかった。優璃が疲れていないなら、僕もいいよ」 「オッケー。じゃあ決まりってことで」  そうして僕らは歩く向きを変え、家へ帰る方向とは別の方向へと歩くことにした。歩道橋を渡り、国立競技場の方向へと足を運んだ。

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