テンションが最高潮に達している優璃とともに店内へ入ると、最近話題のアーティストたちを特集したブースがずらりと並んでいて、そのブースを見るために人々が集っている。名も知らないアーティストのBGMがガンガンにかかり、そこはまるでフェス会場のようだった。 「あ、これ前に優璃が好きだって言っていたバンドでしょう?」 数々あるブースの中から僕が見つけたのは、数年前から若者を中心に人気が出ているというロックバンドだった。名前が『280yen』と斬新なネーミングをしている。 しかし、優璃はそのポップを見て少し苦い顔をした。 「私は好きだよ。だけど、たしかに数年前は人気があったんだけど、今は固定ファンが応援しているくらいでなかなか新規のファンがつかないみたいなんだよね」 「最近売れた曲がないってこと?」 「うん。良い曲は多いけれど、運がないのかな」 「運がないだけで人気が落ちるなんて、アーティストも大変だね」 僕が嘆くように言うと、優璃は「そうだよ」とうなずいた。 「大変だよ、アーティストって仕事は。新鮮さがないと売れないし、飽きられないように色々工夫しないといけないから。おまけに今の時代はSNSがあるから、情報発信能力も求められている。ただギターを弾いて歌えば良いってものじゃないんだよね。様々な角度から求められているってわけ」 優璃の口から出る外野からのプレッシャーに、僕は彼女に寄り添うようにうなずいた。 「色々と苦労が多いんだね」 「うん。苦労だらけだよ。でも、やっぱり歌うことは楽しいし、好きだから私は良いけどね」 だけど優璃は混沌とした音楽業界に嫌気が差すこともなく、余裕すら感じる口調で言ってみせた。それは僕を安心させ、しかし同時にほんの少し寂しくさせた。 店内の奥の方では有名なアイドルグループのパネル展示が行われているらしく、大学生くらいの若い男性が群がっていた。そのアイドルグループのことは、テレビをほとんど見ない僕ですら知っている。「身近さ」を売りにしているから親近感が湧く人が多いのだろうか。それともインターネットが手軽になった時代に、彼女たちのようなアナログな手法で売り出すことは珍しいから逆に好感度を上げているのだろうか。いずれにしても僕にとってはは縁のない世界だった。 様々なアーティストのブースを一通り見て周った後で、僕は一つのブースに目を留めた。優璃は思うがままに色々と動いているようで、いつのまにか僕の隣にはいなかった。 『「愛」を歌う! 若者の心を揺さぶる一曲!』 と書かれたポップアップとともに、そのアーティストの新曲『狂おしいほどに愛せ』が紹介されている。電車で見た広告と同じ、奥底に闇を秘めているような不気味さを醸し出しているアーティストジャケットのパネル写真が飾られていた。隣の液晶画面で流れているのは、この曲のミュージックビデオだろうか。バラまみれの暗い部屋の中で赤いフェンダーを弾きながら、彼女は僕のよく知っている声で歌っている。そして彼女は歌詞の中で、「愛せ」と何度も歌っている。社会の端っこに取り残されたような孤独感を、本物の愛に出会ったことのない哀れな女を、彼女は歌詞にして見事に歌で表現している。 僕はその歌声を聴くたびに、胸が苦しくなる。そして、心の置き場がなくなるほどに悲しくなる。しかしそれが彼女の歌の魅力でもある。 「あ、洸ここにいたんだ」 僕の隣にはいつの間にか優璃が戻ってきていた。 「うん」 優璃は僕と同じ映像を目にする。少しの間じっと沈黙して、やがて再び僕の方を見る。 「こうやって見ると、私って結構闇が深い女に見えるでしょう。何というか、メンヘラっぽいよね」 優璃は頭を掻きながら、少し恥ずかしそうに言った。 「そうだね。まるで優璃じゃないみたいだよ」 「これもまた、私なのかもしれないけど」 僕らはしばらく目の前に映る現実と虚構の間に潜む映像を眺めていた。僕らはお互い何を語ることもない。ただお客様として、どこにいてもおかしくないリスナーとして、その音楽に耳を澄ませていた。 「そうだ。私、上の階でコーヒーが飲みたいんだけど、付き合ってくれる?」 やがて優璃は元の世界に戻り、僕に言った。 「もちろん。僕も何か飲みたかったところだからいいよ。ずっと歩いているから、いささか喉が渇いた」 持ってきたペットボトルの中身は、いつの間にか空になっていた。優璃はにこりと笑う。 「じゃあ、行こうか」 「いいよ」 優璃は二階に上がるエスカレーターを目指して歩き出した。僕はもう一度だけそのパネルの写真を見て、優璃の後を追った。 優璃は、若者を中心に人気を集めるシンガーソングライター「優璃」として活動しているアーティストだ。
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