缶ビールで乾杯して ゆらゆら揺れる幻影を掴む あなたの肩にもたれて 満天の星々を眺めて 雨が降る空なんてナンセンス (ナンセンス) いつだって澄んだ世界広がってる運命 どうしたって結ばれちゃう関係でしょ? だったら裸になって踊ろうよ さあ 私を愛せ 私を捕まえて 私を愛せ 私とプレイゲームしようよ 自分を出して 狂おしいほど 今夜もパーティー 乾いた唇を濡らして とある女性シンガーソングライターの歌をそこまで聞いたところで、僕はワイヤレスイヤフォンを耳から外して、この殺伐とした空間を見渡す。 人が人を避け、人が人の間を通り、縦横無尽に歩き回る。大都会の地下であちらへ、こちらへと人々が活発に動き続ける光景を目の当たりにすると、思わず自分の居場所が定かではなくなる。自分という存在が社会の一部ですらないことに気がつき、これだけ数多の人間が何かを生み出している現実を知って嫌気が差す。彼らは何かしらの目的を持って歩き続けている。仕事、遊び、デート、趣味、付き合い、暇つぶし。彼らの動きは意味を持っていて、過去も現在も未来も彼らは何かを求めて動き続けているから、その分社会が活発化して、最終的に彼らは社会の中で生きる幸せを見つけることができる。彼らは明らかに僕と違う世界を動いている人間であった。そしてここで歩いている人々は誰も止まることがない。それぞれが前を向き、意味を持って生きていることを証明するように、難解な迷路を難なく潜り抜けていくのだ。 対して僕は、この煩雑な光景に目眩すら覚えてしまった。僕も先ほどまで彼らと同じ世界で歩み続けていたが、彼らが形成する社会の波に飲み込まれたことで息苦しくなり、彼らとは違う空気を吸いたい欲望に駆られてしまった。 僕は行き交う人々の間を縫って、なんとか端の方にあったユニクロの前へ移動し、綺麗に畳まれたセーターの脇で足を止めた。しっかり吸って、ゆっくりと吐く。僕は何度も深呼吸をして、心や身体に落ち着きを与えた。そして大都会に沈む複雑怪奇な空間を冷静に眺めてしまったのだ。よくぶつからないなと僕を感心させるくらい、彼らは各々の目的地まで早歩きで向かっている。それも、一寸も迷うことなく正確な動きをする。まるで徹頭徹尾コントロールされたロボットのようだった。 あまりの人の多さに心底疲弊してしまった僕は、肩がけタイプの黒いカバンからペットボトルを出し、キャップをひねって開けて、中に入っている緩くなった水を口に含んだ。カラカラになった喉はじわりじわりと潤いに満ちていく。やがて喉の乾きは消えて、わずかだが疲労が和らいだ気がした。 すでに歩く気力を失っていた僕は、しばらく彼らの精密機械のような動きをオリンピック種目でもある競歩を観戦するような気分で見ていた。右へ左へ、西へ東へ。彼らは目的地までの最短距離を把握していて、常に適切な判断をして歩いている。やはりロボットみたいな不気味さがあった。僕が知っている人間は、実は画一的なシステムに乗っ取られていて、苦痛を感じないように作られているのではないか、などと本気で疑ってしまうほどだった。 再びこの戦場へ戻ることはできまいと僕の身体が拒否反応を起こしているのか、急に左足の裏が痒くなってきた。きっと蕁麻疹でも出ているのだろう。 それにしても、なぜ東京の民はここまで忙しないのだろうかと思ったが、考えてみればここは東京駅だ。きっと東京へ来た別の民の方が多いのかもしれない。埼玉か千葉か神奈川か、それよりもっと遠いところから訪れた人もたくさんいるだろう。だとすると、街は関係なく日本人が忙しない性分なのだろうか。いや、この光景の中には時折外国人も混じっているが、彼らもまた魔境を楽しむようにして人混みに紛れ込み、彼らの流れに合わせて目的地まで歩いているのだ。つまり、人種の違いすら関係なく、人間そのものが忙しない生き物ではないかと結論づける。つまり、人間は忙しなく生きることに抵抗がない生き物である。ならば、忙しなく生きることができない僕は人間ではないのだろうか。 しかし考えれば考えるほど、この迷宮を行き来する彼らが僕とは別の世界を生きる正常な人々であることを知って、真実を知った僕は彼らに頭を殴られた気がして、ズキンと鈍い音が響くような痛みを感じて思わずその場にしゃがみたくなった。どうしてここへ来てしまったのか。こんな辛い思いをするなら誘いを断ればよかった。ただ、後悔しても過去に戻ることができない人間にとって、救いを求めるなら未来を明るくするしかない。 そもそも、僕がいるこの場所は一体どこだろう。僕はお誘い相手から指定された場所を完全に見失っていた。どうやら広大で無機質な地下迷路の中に、僕一人がポツンと取り残されてしまったらしい。携帯のアプリで地図を開いて確認してみるが、アプリの精度が悪く現在地が把握できない。だからといって、周りにいる忙しい人間たちに声をかけるのは申し訳なく思えた。彼らは彼らの用事がある。僕はそれを邪魔できるほど気が強くなかった。 もう一度水を飲んでから、僕は何度か肩や首を回して骨を鳴らし、左腕につけている腕時計を見た。僕の親が大学の入学祝いに買ってくれた金属製の時計だった。その時計の針がちょうど十四時を示している。そして待ち合わせ時間は十四時だった。東京駅構内の「銀の鈴」前に来てくれと言われたが、僕はいまだに銀の鈴がどこにあるのか知らない。比較的方向音痴だったから、来る前に銀の鈴について調べておけばよかったと後悔をするが、悔やんだって後の祭りといった言葉がぴったりなほど僕は追い込まれていた。今の僕は完全に八方塞がりで、雁字搦めな状態に陥ってしまっている。もはや一人では打開策など見つけることもままならず、行き交う人々を目の前にして、身動きが取れなくなってしまった。 本当は一人でこの迷路をクリアしたい。ここでまたお誘い相手に頼ってしまうと、いつものように「方向音痴だね」と馬鹿にされてしまうのが目に見えている。 だけどこれ以上時間をかけるのは明らかにタイムオーバーだった。相手を待たせてしまうことはもっと心苦しいし、「遅い」と怒られてしまう可能性もあった。正直今回は頼りたくなかったが、僕は観念してポケットから携帯を取り出して、待ち合わせしている相手に電話をかけることにした。 「あ、もしもし。僕だよ、洸。ごめん、今東京駅内で迷っちゃって、銀の鈴を見つけることができないんだ」 すると、相手は僕の予想通りに深いため息をついた。わかりやすいくらい呆れて、しかし少しだけ優しさも含まれた息が電話越しに聞こえてきた。 「しょうがないね。じゃあ、山手線のホームで集合しよう」 相手は僕に対して、今よりも見つけやすい待ち合わせ場所に変更してくれた。僕は携帯を耳に当てながらあたりを見渡し、山手線を探した。 「山手線のホームは、あそこかな?」 山手線は緑色のラインが入った電車と認識していたが、少し前に高崎線にも緑色が入っていることを知ったときは驚いた。 「緑色の電車だよ」 「多分、合っていると思う」 「私も向かっているから、先に待っていて」 「わかった」 僕は相手と電話をしながら、再び人混みを縫って山手線のホームへと向かった。今日は休日のせいか、どこもかしこも吐き気を催すくらい人が多かった。 「人が多いね。東京駅はいつもこんなに賑わっているの?」 「だいたいね」 電話に気を取られてしまったせいで途中何人かとぶつかってしまったが、立ち止まっていちいち謝ってもいられなかったから、僕は日本人お得意のスルーでなんとか無視しながら足を進めた。彼らと同じように、今の僕は明確な目的を持って歩いている。だけど、それがあまりにも慣れていなくて、おまけに息が切れてしまって、電話先の相手に「大丈夫?」と心配されるほどだった。僕は「大丈夫だよ」なんて強がってしまったが、いかに彼らの世界と自分が無縁であるか思い知らされた気分だった。
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