ラブソングで描けない僕ら
Track3 「信濃町のデュエット」 7

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「私、クリスマスに行きたいところがあるの」 「行きたいところ? どこ?」  僕が訊くと、優璃は僕の目を見て言った。 「イルミネーション」  キラキラと光る、色とりどりなイルミネーションの世界。もちろんそこにはたくさんのカップルがいて、たくさんの恋が生まれる。つまり、たくさんの愛に包まれているわけだ。  なるほど。優璃がイルミネーションを見たい理由は容易に想像できた。 「イルミネーションか、クリスマスっぽくていいね」 「でも、どちらかと言うと、私はイルミネーションに惹かれる人々が見たいんだ。大切な日に、二人で煌々と灯る明かりに暖かさと幸せを感じて、心がルンルンと躍り出す。そして理性をぶっ壊して感情的になって、お互いに好きって気持ちを伝えたくなるの。素敵じゃない?」  やはり優璃はどこか変わっている。感性がズレているといえば簡単な話だが、そんな言葉で言い表すのがもったいないくらいに、優璃は客観的に人間の恋愛の動きを逃さずに、そしてそれに飽きることなくずっと観察していたいと願っているのだ。 「優璃は、そういうときイルミネーションは見ないの?」 「いや、少しは見るよ。でも、そんなものよりも、イルミネーションを見る人の方が遥かに綺麗だと思うんだ。ほら、キラキラしている人って、そこはかとないエネルギーがあるでしょう」 「イルミネーションを見る人からエネルギーが湧き出てくるってことか。その視点は、ちょっと僕には想像できないな」 「洸はガチガチに硬いからね、頭が」  優璃が僕を見て頬を緩ませる。僕は反論する。 「いや、優璃が変わり者なんだよ。普通、イルミネーションを見に行くのなら、ほとんど全ての人たちがイルミネーションに集中するよ。それが、カップルってものだよ」 「そうかなあ。普通はイルミネーションを見るのかなあ」  優璃は僕の話に納得していない様子だった。優璃には僕の言う「当たり前」は通用しない。それはわかっている。僕も、優璃も。 「わからないんだ。私にはその当たり前の感覚が」  優璃はスッと視線を落として、少し寂しそうに絞った声で言った。途端に、心がキュッと引き締まる感覚が僕を襲ってくる。  これ以上、優璃を抉りたくない。 「そっか」  だから僕らのぎこちない会話はここで終わって、それぞれスマートフォンの世界に入っていった。僕はイルミネーションが綺麗で、人がたくさん集まりそうな、だけどここからそれほど遠くない場所を探した。優璃は何か文字を打つ操作をしているように見えた。スタッフに勧められて始めたブログを書いているのか、それとも今日の刺激から歌詞が思いついたのか。はたまた雑誌で連載しているエッセイの続きでも考えているのだろうか。優璃はじっと画面と睨めっこしながら、自分の世界に入り込んでいる。  少し、一人にしておいてあげよう。  僕は立ち上がり、シンクにマグカップを置いて自分の部屋へ戻った。  僕の自室は、男では滅多にない赤色を基調としている部屋だった。僕のラッキーカラーが赤色であり、僕自身が赤色に惹かれることが多かったのだ。そして優璃も赤色が好きだった。この部屋を赤色に染めたとき、 「なかなかセンスある部屋だよね」  と優璃は珍しく僕を褒めてくれた。  この部屋で一番最初に目に入るのは、高校時代に買った中古の赤色のエレキギターだ。僕はこの一本で青春時代を駆け抜けてきた。高校時代は友人とバンドを組み、二年生になるとしばしば女子からの歓声に浮かれたこともあった。年下の彼女もできて、三年生の文化祭の夜に教室でキスをしたことは、今でも忘れられない淡い恋の記憶だ。  大学時代は僕よりもテクニックのあるプレイヤーが多く、一時期嫌気がさしたが、それでもこのギターだけが僕が生きる上での救いだったから、結局卒業するまで弾き続けた。   しかし、その分捨てたものは多かった。  まず、僕は定職に就くことができなかった。周りが就活をしているときも、僕はずっとギターを弾いていた。多くの人が正しい道筋を走る中で、僕は既定路線を辿っていくことを拒んだ。  大学を卒業後、親からは就活をしなかったことを責めに責められたせいで、金も無いのに衝動的に家を出た。しばらくは友人の家に泊めてもらう日々が続き、時々ネットカフェで泊まりながらバイトに明け暮れる日々が続いた。その間にギターを辞めざるをえず、一体何を目標にして生きているのか、いよいよわからなくなっていた。  あの頃の僕は、真っ暗な空間で右も左もわからずに、ただ地面を這いつくばって迷っているだけだった。だけど死ぬ勇気もなく、わずかなお金を稼ぎながらこの社会を生きていた。    そんな生活をして半年ほどが経つと、たまに食べるなか卯の親子丼をご馳走として胃袋を満たし、たまに後輩と飲む酒に溺れ、たまに辞めてしまったギターを眺めながら大好きだったバンドの曲を聴き、バイトではリーダーになって無意識に責任感が生まれ始めていた。僕のちっぽけな人生がちっぽけなまま形づき、いつしかそれが僕を形成する社会になっていった。周りは僕を貶すだろうけど、実はそれなりに充実した人生を送っていた。    ただ、心の中には夢や希望を失った底なしの深い穴があって、僕はそれを埋めることばかりを考えていた。ただ生きるだけ。たとえ充実した生活を送っていても、僕はその先にある光を見つけることはできない。僕はどうにかして、僕自身をもう一段階高いところへ昇らせたかった。理想と現実。その狭間で、僕は溺れながらもがき続けていた。    僕はただただ、息をしている状態だったのだ。    そんなときだった。優璃と偶然浅草で出会ったのは。

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