ラブソングで描けない僕ら
Track4 「ハトが立つ浅草で」 1

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 僕が二十三になったばかりの冬のある日。ヒリヒリと肌を痛めつけるほど冷たい木枯らしが吹いた寒い日のことだった。  その日、僕は後輩の鱒乃澄義と会うために、浅草にある浅草寺の付近で待ち合わせをしていた。時刻は十三時を少し過ぎた頃だったが、コートなしではいられないほど冷たい風が吹いていた。僕は鱒乃が来るまで、道の片隅で温かいブラックコーヒーを片手に、ゆったりと過ぎてゆく時間をぼうっと過ごしていた。  構内にある建物は和風調だが、平日でも外国人観光客がわんさかいる混合した異質さこそ、浅草の醍醐味だろうと思う。この街にいると、実は日本の良さを知っているのは外国人であって、内部にいる日本人は日本の良さに気づくことができていないのではと心配になってしまう。着物を着た外国人とTシャツを着た日本人を見比べて、和洋のあべこべ感に首を傾げる。  それからも、鱒乃が来るまで人々を観察していた。そして道の真ん中を歩いている、フィッシュアンドチップスを連想させる高身長の外国人から少し端へ視点を動かしたときだった。人気のない白い砂利が散らばっている広場で、ちょこんと小さく蹲み込んでいる不思議な人物が僕の視界に入った。  その人物はだらんと髪の長い女性で、ある意味で浅草らしいド派手な赤色のレザージャケットを着ていた。観光客が浅草寺やその周辺の建築物に夢中になっている中、彼女だけは世界から取り残されたように、砂利を踏む一羽の鳩に夢中になっていた。周りの目も気にせずに堂々と蹲み込んで、その小さな鳩を微笑みながらずっと観察している。彼女は微動だにしない。鳩も警戒していないのか、彼女に近づいたり遠ざかったりして遊んでいる ように見えた。  僕は普段はそれほど人に興味を持たなかったが、この日の僕はどうしてか好奇心旺盛になってしまい、彼女のことが気になってしまった。今から思えば、それは僕が赤色が好きだったからかもしれない。  声をかけようか迷ったが、数多くいる人間の中で一番気になってしまった彼女に触れぬままだと後悔しそうな気がして、僕はその鳩が飛ばないうちに足音を殺して彼女に近づき、思い切って話しかけてみた。 「あの、すみません」 「はい」  彼女はまるで鳩みたいに、首だけをぐるりと僕の方へと向けた。大きな黒目が僕を凝視する。ブラックホールみたいに吸い込まれてしまいそうで冷静さを失う。 「あ、あの、何をしているんですか?」  僕はこのとき、明らかに緊張していた。知らない人、ましてや女性に対して滅多に話しかけないから、もしかすると可笑しいほど頬が紅色しているかもしれない。緊張のあまり、声が裏返ってしまったかもしれない。 「鳩を見ているの」  しかし、僕の激しい心の動きとは裏腹に、彼女は驚くくらい端的に答えた。 「そう、ですか」  だから、余計に動揺してしまった。途端に全身が火照り出し、今が冬であることを忘れてしまうほど冷や汗が出る。  何か言わないと。僕が焦り出したとき、彼女が僕に言った。 「鳩を見て、歌詞を考えているの」 「歌詞、ですか?」  度肝を抜くとはこのことだろうか。息が詰まり、喉から言葉が出なくなる。少しずつ、空間がグニャンと歪んでいく。だけど彼女は表情を変えずに、自分の世界に潜み続けたまま話を続ける。 「この鳩のように自由に生きていたい、的なテーマを引っ提げてさ、ちょっと一曲作ろうとしているの。だからこうやって実際に鳩を観察して、鳩の気持ちを考えているの。でも、全然浮かばない。やっぱり人間には鳥さんの気持ちはわかりっこないよね」  奇妙な人物を前に、話しかけた立場でありながらたじろいでしまった僕は完全に言葉を失った。僕には彼女の行動や、彼女の思考回路がまるで理解できなかった。そして彼女が真っ直ぐな目をしていたから、輪をかけて困惑してしまった。  ただ、彼女は僕に警戒することもなく、その後自分はシンガーソングライターで、今は主に地下でライブ活動で少しばかりお金を稼ぎつつ、たまに単発バイトをしながら、大半は親の援助を受けてフラフラしながら生きているんだと話してくれた。浅草寺と同じ台東区内に実家があり、浅草寺には気晴らしによく来ていることも教え てくれた。 「少しずつだけどさ、私の歌が有名になってきてるんだ。この間は名古屋のラジオに出たり、深夜の音楽番組に呼んでもらったりさ。後は、ちょこちょこフェスにも出ているんだ。小さい規模だけどね」 「それは、すごいですね」  僕も高校から音楽をやってきた立場だったから、その活躍ぶりは素直に尊敬できた。 「君は、私のこと知っている?」  ただ、このときの僕はまだ彼女の活躍を見たことがなかった。僕自身、音楽を辞めてから離れてしまったこともあって、現代のJポップを把握していなかった。 「ごめんなさい」  申し訳なく思い、僕は謝った。ただ、彼女は頬を緩めて納得したように何度かうなずいた。 「そうだよね。私もまだまだだよね。この鳩が空を自由に飛ぶように、私も大空に羽ばたかないとね」  彼女は自分に言い聞かせるように呟いて、再びちょこんとした鳩に視線を戻した。鳩は自分に羽がついていることを忘れてしまったのか、相変わらず飛ぼうとはせず、砂利の上をよちよちと歩き回っていた。  

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