ラブソングで描けない僕ら
Track3 「信濃町のデュエット」 6

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「今が十一月ってことは、来月は待ちに待ったクリスマスだね」  優璃がスマートフォンを眺めながら呟いた。 「そうか、もうそんな季節か」  クリスマス。大きなツリーにキラキラした飾りをつけて喜んでいた少年時代を思い出す。あの頃は恋愛なんて一ミリも考えずに、純粋にクリスマスというイベントを楽しんでいた。 「クリスマスってさ、一年で一番盛んになる季節だから、めっちゃ燃えるんだよね。もう、恋愛感情が爆発しちゃうって感じ」 「たしかに、優璃にとっては最高のシーズンだよね」  クリスマスは恋愛を実らせるには絶好の機会だろう。誰が決めたわけでもないが、クリスマスに特別なデートをしたり、告白したり、成り行きでラブホテルへ行く習慣がある。そして、狭い部屋の中で驚くくらいの愛を確かめ合うのだ。 「クリスマスって、びっくりするくらいみんなが恋愛に敏感になるから、必然的に恋愛成就の数も増えるんだよね」 「おかげで、去年は優璃の曲が街中でいっぱい流れていたよね」  優璃は昨年のクリスマスに向けて曲を書いた。それが恋愛に敏感な若者にヒットして、優璃は年末のテレビにひっぱりだこだった。 「クリスマスと恋愛は、野球のバッテリーくらい切っても切れない関係だからね」  ソファの前にあるガラス製のテーブルの上には、二人で表参道の雑貨屋で買ったマグカップが二つ置かれている。もちろん僕はブラックコーヒーで、優璃の方にはカフェオレが入っている。両方ともインスタントだが、二人ともその味を気に入っている。  優璃は自分のマグカップを持ち上げ、口に近づけていく。そしてやはり、フウッと息をかけて冷ます。湯気がふわっと反対方向に流れていく。その風景が僕の目には幻想的に映る。その後、優璃はなぜか僕のマグカップを持って、同じように息を吹きかけ、それを口に近づけてゆっくりと一口飲んだ。 「苦い。やっぱり私にはダメみたい」  優璃は顔をしかめ、僕のマグカップを遠ざける。 「苦いよ。これはブラックなんだから」  僕が言うと、優璃は控えめに笑った。 「私も苦さに強い人間になりたいなって思うんだけどね。でも、なかなか慣れるものじゃないよね。私にはやっぱり甘い世界しか合わないみたい」  優璃はきっと、自分が馴染めない現実的な人間味を味わいたかったのかもしれない。このブラックコーヒーのような、深い闇を持つ一面を描きたいのかもしれない。  でも、優璃には優璃にしか描けない、優しくて情緒的な世界がある。僕はそれを知っているから、あまりブラックコーヒーを飲んでほしくない。 「優璃はきっと、このブラックコーヒーみたいな世界は向いていないんだよ。だから無理して慣れる必要はないと思うよ」  ソファに沈むお尻のポジションの居心地悪くなってきたから、僕は右に少しずらして、少しだけ優璃に近づく。 「うん。そうだね。洸の言う通りだね」  でも、優璃はどこか悲しそうだった。おそらく、単にブラックが飲めないことに対する悔しさではないだろう。もっと深い、優璃の中にある「苦さを知る女」を書きたいから、自分もそこに近づこうとしている。優璃は本当の恋愛を描くためならなんだってする。そんな言葉を以前僕に言っていたことを思い出した。

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