「きゃ、きゃあっ! ……い、いやっ!」 リノがラジオの向こうで叫ぶ。 「開けてっ! 開けてったらリホちゃん! ノッキオ、ノッキオなんだってってば! お、おかしいのよっ……ははははははっ! あ、あはっ……うひっ……ひひひひひひひっ! ……ははははははっ!」 リホ……というのは、リノの本名のようだ。 ドンドンドンドンドンドン! 破らんばかりにドアを叩く音が聞こえてくる。 「いやあ! お母さんっ! お母さんやめてっ!」 リオ……じゃなくてリホが鳴き声を上げていた。 「リノっ! ねえリノっ! リノ……大丈夫?」 「もしもし? もしもーし! リノ、聞こえたら返事してっ!」 スタジオの“社長”と“副社長”もほぼパニック状態だ。 マイクの周りが、騒然としているのがわかる。 「あーはっはっははは! あはっ! おとーさーん! ミツル! あーはっはっはっ! ちょっとこち来てっ! り、り、リホが、リホがね、ど、ドア…………ドア開けてくんないのっ……ひひひひ、あはっ……ヤムヤムヨーよっ! あはははははっ!」 ドンドンドンドンドンドン! ドアが叩かれる……というか、殴りつけられている。 やがて、ドタドタと激しい足音がして……リホのお母さんの声に、新たなふたつの声が加わる。 「開けろっ! あはっ……きゃはっ……きゃははははははっ……姉ちゃん、クノトンだぞっ……開けろって……クラット見てせやるからっ! ぎゃははははっ!」 男の子の声……リホの弟だろう。 笑いながら、お母さんと一緒にドアを叩いている。 「ひゃはははははっ! リホっ……リホ、開けろったらっ ……あはっ……あははははっ! 開けなさい! ははっ……わはははっ……開けないとクラットするぞ!」 中年らしい男の人の声……これはお父さんだろう。 ドアを叩く音が、いっそう重々しい。 「いやあああっ! 助けてっ! 助けて誰かっ!」 リホの悲痛な叫び声。 「リノっ! リノっ! 大丈夫? 聞こえたら返事して!」 「もしもーし! リノ、リノっ! 返事……」 スタジオ内の“社長”と“副社長”がラジオ越しにリホに呼びかける。 が、ドアを激しくたたく音、リホの鳴き声、そして3人の笑い声……それに含まれる意味のわからない言葉……しか、聞こえてこない。 「……え、CM? ……わ、わかった! リノ、電話このままね! いったんCM入りますっ!」 と、“社長” 突然、CMが差し込まれた。 この時間帯にはよく流れる、ビジネス系専門学校のCMが流れる。 あたしもかなり、息が乱れていた。 と、CMとともに別の声が聞こえた。 「わははははっ!……あーはっははははっ!」 「きゃははははっ! クラットじゃんこれっ! ヤバクラ! ひーっひひひっ!」 「あはっ……あははははっ……きょうクラットしたやつねこれ! あははははっ!」 ……笑い声と、意味のわからない言葉。 え、ちょっと待って。 なんでそんな声が聞こえてくるの? 嘘でしょ? ……これはリホの家から、ラジオ越しに聞こえてきた声じゃない。 あたしの家の、リビングから聞こえてくる声だ。 ママとパパと、妹の声だ。 また、SNSでハッシュタグを確認した。 『ここでCM?放送事故?』 『なになに?仕込み?仕込みだよねこれ?』 『ちょっとヤバい。鳥肌立ってきた』 『てかまじでうちの家族もクロットンとか言って笑ってる』 『え、どうなってんの?うちの家族も笑いっぱなしなんだけど』 『リノ大丈夫?』 『俺、部屋から避難したほうがいい?家族笑ってる』 自分の呼吸がますます短く、小刻みになっていく。 はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ…………ふしゅー、ふしゅー。 鼻と口から同時に息を吐いては吸い、吐いては吸いしていた。 どくん、どくん、どくん、どくんと、耳の中で鼓動が跳ねている。 全身がシロップみたいな、ねばっこい汗に包まれていた。 「あははははっ! あしたもやっぱレーノクかな? それともジンジルドかな?」 またママの声だ。 それに呼応するパパと妹の、ちょっと尋常じゃない爆笑。 ……どうするべきだろうか。 このまま、こっそり部屋を抜け出して家から脱出するか。 それとも、ドアの前にベッドかなにかを移動させてバリケードにするか。 と、CMが終わった。 無理矢理しぼりだしたような元気な声で、“社長”が話しはじめる。 「はい! とにかくちょっと変なムードになっちゃったスタジオ内ですけど、CMの間に、リノのお母さんと電話がつながりました! もしもーし! お母さーん!」 と、中年女性が電話越しに話し始めた。 「はいはーい、リノの母です。いつも娘がお世話になっております~……なんか、スタジオのみなさんとラジオをお聞きの皆さんを怖がらせちゃったみたいで、どうも申し訳ありませね~……あははは」 え。 リノのお母さんが番組で話してる。 ってことはつまり、リノがお母さんに電話を渡した、ってことだろうか。 「いやあ、ホント、番組ハッシュタグもすごい混乱してて、局にもいっぱい電話やメールくるし、スタジオ内は完全にホラームードでしたよお母さん!」 と“副社長”。 「すみませんねえ~……なんか娘がお騒がせしちゃったみたいで……うちはいつも賑やかだから、ちょっと大げさに娘が話したみたいで……」 「いやあ、かなりリアルな恐怖で盛り上がっちゃいましたけど、リノはいますか?」 「あ、いまとなりにいます……ほんとにご迷惑をおかけして申し訳ありません……娘からもお詫びさせますね……ほら、リホ」 え。 リホ、無事なの? 「もしもーし! リノでーす! さっきは取り乱しちゃってすみませんでしたー!」 人が変わったみたいに明るい声で、リノが話し出した。 人が変わった、というけれど、ほんとうに違う人が喋っているみたいだ。 気が付けば、うちのリビングからの笑い声も止んでいた。 でも、あたしの鼓動は静まらなかった。
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