広告の会社、作りました
1、いい人生ってなんだろう(6)

作品に栞をはさむには、
ログイン または 会員登録 をする必要があります。

      ◇  翌日の朝、3WayのリュックにMacBookを詰め込み、健一は天津功明広告事務所に向かった。 「おはようございます」 「おお。遠山ちゃん、おはよー」  天津は健一が来て当然のような顔をしているが、健一にしてみれば一晩悩んだうえでの行動だった。どこかに就職したいという思いは変わらないから、これからも転職活動は続けるしかない。ただ、小さくてもせっかく関わった仕事を、途中で放り出すのは嫌だった。  頼まれたクリスマスケーキのチラシだけは、ちゃんとフィニッシュまで関わろう。天津はいい加減な人かもしれないが、「すばらしい」と言ってくれたとき、その目に、嘘や打算はなかった(ような気がする)。認められることや必要とされることに、飢えていたのかもしれないけれど、健一はあのとき嬉しかったのだ。 「……あの、コピーは、できましたか?」 「うん、できてるよ」  渡されたA4の用紙の中央に、一本のコピーが大きく印字されていた。 「コピーはこれに差し替えて、あとメインの写真も、いちばん高いケーキに差し替えて」 「あ、はい」  遠山は急いでMacBookを起動し、昨日作成したファイルを開いた。そして自分のデザインと、もらったコピーを、交互に眺めてみる。  今年は、人生でいちばん美味しいXmas――。  いいコピーかもしれない、と思った。今のデザインに添えてある、『Merry Christmas 笑顔のハッピークリスマス』というコピーが、ただの飾りであることが、比べてみるとよくわかる。  人生でいちばんのクリスマスケーキ。今年のクリスマスを良き日にしてほしいというメッセージ。このコピーによって、去年よりワンランク上のケーキに手を伸ばすお客さんもいるかもしれない。 「時間があったらあと何案か考えるんだけどね。レイアウトできたら、すぐそこのプリンターで出力してね。後で先方にもっていくから」  LDKの壁に棚が付いていて、そこにプリンターが設置されていた。 「わかりました」 「おれはシャワー浴びるから」  そう言った天津は、白いTシャツに黒い短パン姿だった。冷蔵庫からミネラルウォーターを取りだして、ごくごくと飲み始める彼は、まさに寝起きという感じだ。 「……天津さん、もしかして、ここに泊まったんですか?」  事務所に泊まり込むほど忙しいのだろうか。それより、こんな何もないところでどうやって寝たのだろう……。 「ん? 泊まるもなにも、ここ、おれの家だから」 「え?」 「家っていうか、自宅兼事務所」 「いや、だって、どうやって寝るんですか?」 「そりゃ、ベッドで寝るでしょ」  部屋の扉を開いた天津が見せてくれた。何もない部屋の真ん中に、昨日はなかった黒い担架のようなものが置いてある。 「このベッド、結構、寝心地いいんだよ」  人一人がちょうど収まるサイズのそれを、天津はひょいと持ち上げ、かち、かち、と音を起てながら折りたたんだ。おそらくそれは、キャンプ用の簡易ベッドだ。 「このベッド、いくつかあるからさ、遠山ちゃんも泊まっていいよ」  天津はそんなことを言いながら、洗面所のほうに歩いていった。向かった先から、んなあー、と猫の鳴き声が聞こえた。

応援コメント
0 / 500

コメントはまだありません