広告の会社、作りました
1、いい人生ってなんだろう(2)

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「補足説明をさせていただきます」  ずっと黙っていたダークスーツ姿の男が口を開いた。 「当職がこの会社の破産処理を受任した、弁護士の鈴村と申します。これ以降、権田社長は当事者能力を失い、この会社の管理責任者は、当職になります」  当職というのは聞き慣れない言葉だったが、当方とか小生とか吾輩とか、そういう類いの言葉だろう。 「権田社長は、会社の借り入れ債務の連帯保証を個人でしており、つまり、個人財産を供出して、今回の責任を取られています。社員の給与や解雇手当が支給されないまま倒産するケースも多いなか、この会社で、それが支払われるのは、経営者の努力の結果として、認めていただけると幸いです」  隣でそれを聞く社長は、じっと目を閉じていた。 「それでは、質疑応答に移らせてもらいます。ご不明点のある方は、挙手願います」  ご不明点、と言われても、健一にはわからないことばかりだった。一体、どうしてこんなことになってしまったのか……。明日から自分はどうすればいいのか……。というより今、怒るべきか、悲しむべきか、自分の気持ちすらよくわからない。  先輩たちも同じのようで、会議室内はざわつくばかりだった。だがやがていくつか、失業保険に関してと、退職金についての質問があった。会社都合での解雇だから、失業保険はすぐにでるらしい。退職金についても、アドプラは退職金共済を利用しているため、少ないながらも規定どおりの額が支払われるらしい。  今日この後の、私物の搬出についての質問もでた。今日中に持ち帰るのは不可能だという人がいて、後日、弁護士の立ち会いで会社が開くことが決まった。あとはメールアドレスがいつまで使えるか、とか、継続中の仕事についての確認が続いた。  二十時近くになると質問も出尽くし、会議は終了となった。  張り詰めた空気のまま、一人ずつ給与と解雇手当を受けとり、サインをしていった。社員はそれぞれ、持ち帰れるだけの荷物をまとめ始める。 「遠山くん、本当に申し訳ないんだけど、この後、少しだけ残ってくれるかな」  最後に簡単に掃除や施錠をするから、若手の健一に手伝ってほしいということだった。健一はうまく頭を働かせられないまま了承し、まずは自分の荷物をまとめる。 「……それじゃあな、健一。なにかあったら相談してこいよ」 「はい……」  一足先に会社を出る先輩に声をかけられ、健一は泣きそうになってしまった。  この先輩とは、一緒に東京に出張したことがあった。ガールズバーというものに、生まれて初めて連れていかれ、しこたま飲まされた。だけど彼とは今日限りもう、会うことはないのだろうか……。 「……じゃあお先に、遠山くん。こんなことになるとは思わなかったけど」 「はい。桐山さんも、お元気で」  いちばん歳の近い桐山さんには、仕事の進め方などを教わった。だけど、こんなことになるならもっと、桐山さんメモを残しておけばよかった……。 「じゃあな、健一。頑張れよ」 「……はい。川上さんも」  営業の川上さんには、どやされたことが何度かあった。だけど一度、健一がお客さんを本気で怒らせてしまったとき、川上さんが一緒に謝ってくれて、その場を治めてくれた。そのとき川上さんは、健一のミスにはなにも言わなかった。 「遠山くん。今までありがとうね」 「こちらこそです。ありがとうございました」  今までほとんど喋ったことのない先輩とも、挨拶を交わした。どんな人なのかもよく知らないが、こんなことなら、もっと喋っておけばよかった……。  気付けば会社に残っているのは、健一と社長と弁護士だけだった。  健一の私物は少なかったから、今日すべて持ち帰ることができた。つまり自分はもう、ここに来ることはない……。  本当にこれで終わりなのだろうか……。毎日、当たり前のように通っていたこの場所に、二度と来ることはないのだろうか。先輩たちと会うこともないのだろうか……。 「じゃあ、遠山くん。手伝ってもらえるかな」 「……はい」  社長と二人で、オフィスの片付けを始めた。ゴミをまとめ、火の気のあるものをチェックし、ガスの元栓を閉める。窓などの施錠を確認し、カーテンやブラインドをすべて閉めていく。 「急にこんなことになって、申し訳なかったね」  社長はつぶやくように言った。急にこんなことに――。 「あの、」  質疑応答のときにも、その質問はでなかった。全体会議のとき、健一が知りたかったのは、私物の持ち帰りについてやメールアドレスのことではない。どうして倒産することになったのか、というのは置いておいて、まず根本的な疑問があった。  こんなに大きなことが、こんな急に、決まってしまうものなのだろうか。今日をもって倒産する、と社長は言ったけど、それはいつ決まったのだろう。社員のなかには、会社が倒産することを知っていた人もいるのだろうか……。 「……あの、会社が倒産するってのは、……いつ決まったんですか?」 「ああ」  社長は深い声をだし、健一を見た。 「本当は、もっと前に伝えられたら、良かったんだけどね……」  社長のデスクで書類を整理していた弁護士が、手を止めてこちらを見た。 「正直に言えば、二ヶ月前にはもう、これは持たないな、という感じだったんだ。だけどそれが債権者に漏れたら、取り立てが殺到して、社員の給与すら払えなくなってしまう。それだけは避けなきゃならないけど、社員だって今後のことがあるから、早く伝えてあげたい。そういう状況のなか、ずっと弁護士の先生と、倒産の準備を進めてきて……。ずっと、謝りたい気持ちで……」  社長は声を詰まらせながら言った。 「だけど今日の日を、無事に乗り切れたから、あとは明日、債権者にファックスを送って、それですべて終わ……」  うう、とうめくような声をだした社長が、ハンカチで目をぬぐった。見たことのない社長のそんな姿を、健一は言葉もなく見守る。 「社員、全員には……、謝っても謝りきれないし、本当に感謝している。まして、遠山くんみたいな若者を、急に放りだすことになってしまい、本当に申し訳ない……」 「……いえ」  と、健一は言った。他に言えることなんてない。自分の親よりも年上のこの人が、自分より大変な事態を迎えていることはわかる。 「権田社長、それから遠山さん」  いつの間にか、弁護士が立ちあがっていた。 「わたしもいくつか会社の倒産に立ち会いましたが、こんなに滞りなく、事業停止日を迎えるケースは珍しいです」  弁護士の先生は、健一と社長を交互に見た。 「社長は最後まで、真摯に努力されましたし、社員の皆さんの、お人柄にも助けられました」  彼の言葉は美しくも空しく、アドプラ最後の夜に響いた。 「だからみなさん、明日も早いですから、作業を続けましょう」  はい、と声には出さずに、健一は頷いた。  三人はそれからしばらく、黙ったまま作業を続けた。もうすべては終わってしまったのだ。自分は結局、すべて終わってから、それを知ったのだ。  あらかたオフィスが片付く頃には、深夜になっていた。  三人で会社を出て、入り口を施錠した。最後に社長が、ドアに貼り紙をする。  ――株式会社アド・プラネッツは、七月二十三日をもって倒産しました。

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