広告の会社、作りました
3、いい会社ってなんだろう(3)

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      ◇  呻る赤色の車体が秀徳レジデンスの前で静止すると、最後にカンカンカンと音が鳴った。朝七時、健一は缶コーヒーで身体を温めながら、それを待っていた。 「お待たせ。ガソリン入れてて、ちょっと遅れちゃった」 「いえ。赤いボルボ、渋いですね」 「もう二十年選手だから、いろいろガタが来てるけどね」  運転席から降りてきた天津が、車のボディを叩いた。後ろに回った健一は、重いトランクのドアを持ち上げ、いくつかの荷物を放り込む。 「いつもとシャツが違うんですね」 「ああ。ボルボに合わせた」  天津はネイビーブルーの羊柄のシャツを着ていた。変な柄なのだが、スタイルが良いからか、綺麗に似あっている。健一が着たら、きっと羊が強調されて、未年産まれの羊大好き男子、みたいになってしまうことだろう。  助手席に乗り込むと、すでにナビが設定されていた。I市にあるウィルソンタウンは遠く、休憩を挟んで、昼頃に到着する予定だ。  最寄りのインターから有料道路に入ると、あとは現地近くまでひたすら高速道路を走るルートだ。マイカーを持っていない健一は、久しぶりのドライブに気持ちが高ぶっている。 「運転まかせちゃっていいんですか?」 「うん。こいつクセがすごいから。今日は、まあまあ機嫌いいけど」 「機嫌悪いときもあるんですか?」 「悪いときのほうが多いかな」  大きな手でステアリングを握る天津が、鼻歌混じりに言った。  彼はなにも言わずに、カーステレオでツェッペリンの「Whole Lotta Love」(胸いっぱいの愛を)をかけた。ジミーペイジの特徴的なギターリフを、二人はしばらく黙って聴く。  自分は父とドライブをしたことがあるのだろうか、と、ふと考えた。記憶にはないけど、きっとあるような気がした。もしかしたらこんなふうに、ツェッペリンの曲をかけていたのかもしれない。  曲はやがて、「Black Dog」に変わった。眩しい朝日を遮るためか、天津はリムの太い、スクエアなサングラスをかけている。 「道が空いてていいですね。平日のドライブは」 「ドライブじゃなくて、出張だけどなー」  昨日の日曜日、今回のコンペのために、健一は平屋について下調べをしていた。ウィルソンタウンという元米軍基地に並ぶ平屋に興味を惹かれ、天津にメッセージしたら、明日、二人で行ってみよう、となった。  即断即決即行動――。ビジネスはスピードが命、ということもあるかもしれないし、これは天津の言う"愉快"の一部分なのかもしれない。  行き当たりばったり、と、天津と会ったばかりの頃の自分なら、思ったかもしれない。だけど主体的にモノを考えて、自分の感性を全開にしていると、違う景色が見えてくる。プランをこねくり回して、根回しして、指さし確認して、というやり方では、情熱に時間が追いついてこない。 「長谷川さんから来た、入社手続きのやつって、もう書きました?」  まして世の中のビジネスのスピードは、急速に増しているようだ。 「おお、すぐ戻したよ。あれ、凄いよな。従業員が二十人超えるまでは、無料サービスなんだってよ」 「へえー」  週末もメールチェックするように、と長谷川に言われていたが、土曜日にURLの書かれたメールが届いた。クリックすると入力フォームが出てきて、そこに名前や住所を入力し、年金手帳や雇用保険の写真などをアップロードするだけで、各種入社手続きが済んでしまう。データはクラウドに保存され、社会保険の手続きなどに利用されるそうだ。 「アドプラのときは、結構、書類を手書きした記憶がありますけど。時代は進んでますね」 「まったくだよ。おかげで人事や経理のためだけに、人を雇う必要もなさそうでさ。こういうので、起業のハードルが、ずいぶん下がってるんだろうな」  天津は高速道路を快調に飛ばした。 「アドプラと言えば、健ちゃん。社長は今、どうしてるの?」 「社長って、権田さんですか? 知ってるんですか?」 「うん、ちょっとね。先輩が権田さんと一緒に仕事したことあって、その現場に立ち会ったことがあるんだ」 「先輩って、コピーライターの伊土新三ですか?」 「あれ? 俺、話したっけ?」 「いや、してないです」  健一はそれをインターネットの検索で知っただけで、天津との間でその名前が出たのは、これが初めてのことだ。 「そう、伊土コピー研究所にいたときの話だよ。権田さん、今はどうしてる?」 「……会社を畳んだ後のことは、ちょっとわからないですけど」 「そうなんだ。元気にしてるといいけど」  天津が権田社長と通じていたなんて、この業界は狭いようだ。 「あの、」  健一の声に、天津は答えず、じっとステアリングを握ったままだ。 「天津さんと伊土さんって、どんな関係なんですか?」 「先輩後輩だよ。あの人には一から十まで、いろんなことを教わって……。昨日の、仕事は愉快に上機嫌に、ってのも、あの人の受け売りだし」 「へえ! そうなんですね」  ミーハーかもしれないが、伊土の直接の後輩、というだけで、天津を尊敬するような気持ちになっていた。  だけど天津はそれ以上、何のエピソードも語らなかった。

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