広告の会社、作りました
3、いい会社ってなんだろう(2)

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「……あの人を見てるとさ、」  長谷川の消えた先を見つめながら、天津はにこやかに話した。 「ぼーっとしてちゃだめだな、って思うよ。これからのビジネスは、スピードが命だしね」  天津の仕事ぶりを見ていると、相当スピード感があると思うが、それとこれとは少し違う話なのかもしれない。 「おれもね、独立して仕事が増えてきたとき、税金のこともあるし、法人化したほうがいい、ってずっとわかってたんだよ。でも、忙しいとか理由つけて、やらなかった。それがさ、長谷川さんに相談したら、たったの三日で、もう書類出せば終わりってところまで来ちゃったよ」 「……長谷川さん、すごいですね」 「うん。だけど、きっかけを作ったのは遠山くんだからね。この前のことがなかったら、やっぱりおれの重い腰は、上がらなかったと思う」 「………」  健一は言葉に詰まってしまった。きっかけを作ったのが、本当に自分なのだとしたら、それが良いことだったのか、悪いことだったのかはわからない。安くない金額を天津は出資しているが、この会社がこれから上手くいくとは限らないのだ。 「仲間がいる、っていいことだよな。仲間のため、って思えば、めんどくさいことでも頑張ろうと思えるし」 「……あの、ありがとうございます」 「いやいや。やってみればね、会社なんて、気軽に作れるんだよ。負わなきゃいけない責任は、出資した金額だけだし。融資を受けるときに連帯保証人になったりしなければ、責任は、たったそれだけなんだ」 「……そうなんですか」  会社に所属したい、とあれだけ思っていた健一だが、じゃあその会社というものの実体がなんなのかは、あまり考えたことがなかった。有限責任、無限責任、などと、何となく知っている言葉の意味も、よくわかっていない。 「時間ができたら、ちゃんと勉強してみます。会社の仕組みとか」 「ああ。おれもまだ、よくわかってないからな。ちゃんと理解しないと、なんでも長谷川さん頼みってわけにはいかないし」  天津と健一はしばらく黙ったけど、話さなきゃならないことは、無限にあるような気がする。 「……あの、ところで本当に、会社名は、天津遠山合同会社なんですか?」 「そうだよ、登記はまだだけど。だってほら、ハンコ作っちゃったし」 「いやいや、それならハンコ作る前に、どうして相談してくれないんですか?」 「それはほら、やっぱり、遠山ちゃんを驚かせたいじゃん。遠山ちゃんの驚く顔が見たいじゃん」 「そんな理由なんですか!」  うははは、と笑う天津につられて、健一も笑ってしまった。 「あのさ、遠山くん」  真面目な顔になった天津が問うた。 「この三日間さ、愉快だった? どう?」 「……いえ。愉快ではなかったです」  足音をたてずに近付いてきたボンゾが、二人の顔を順に見た。 「そうだよな。仕事なんだから、嫌なことだって起こるよ。うちらみたいな弱小は特に、理不尽な思いをするかもしれない。だけど、おれ、一つだけ、決めていることがあるんだよね」 「……なんですか?」 「仕事は愉快にやろうって。どんな仕事でも、やるからには上機嫌でやってやろうって」  天津はボンゾの喉をくいくいとなでた。 「……愉快、ですか」 「そうだよ。これから起業するんだ。こんなのって、とてつもなく愉快な物事だよ」  んなあー、とボンゾの鳴き声が聞こえた。  天津遠山合同会社――。  その不思議で愉快な会社のビジョンを、健一は思い浮かべてみた。会社……。これから自分たちが会社を作る……。来週、自分たちの会社ができる……。天津遠山合同会社――。 「……じゃあ、あれですか? 会社の名刺とか、僕がデザインしてもいいんですか?」 「もちろん。よろしく頼むよ」 「ロゴは? 会社のロゴはどうしますか?」 「それも考えようよ、一緒に」 「WEBサイトは? サイト作りましょうよ」 「ああ、格好いいの作ろうぜ」 「あと、MACと大きいモニターとプリンターが欲しいんですけど、買ってもいいですか?」 「そういうのは、おれが決めるとアレだからな。長谷川さんに相談して」 「へえー!」  健一は思わず声をあげた。 「会社作るって聞いて、本当に大丈夫なんだろうか、とか、そんなことばっかり考えてました。でもそうですね。考えてみたら、めちゃめちゃ愉快です。エモいですよ」 「……エモい、か」  その言い方が可笑しかったのか、天津は少し笑った。  数ヶ月前まで、自分のよくわかっていないものに、ぼんやり人生を預けていた。どこか当事者意識の欠けたまま、大きなことに巻き込まれ、途方にくれることもあった。  今、健一は五万円を出資するだけだけど、この会社の当事者になろうとしている。天津遠山合同会社は、自分の会社だ。これから起こる問題は、自分の問題なのだ。 「健ちゃん的にはどうなの? うちの役員にして、看板デザイナーの健ちゃんは、この会社をどうしたいの?」  天津は健一の呼び方を、いろいろ探っているようだ。 「……僕は、」  と、言いながら健一は考えた。天津と一緒に、自分はこの会社をどうしたいのだろう。 「……まだ、ちゃんとはわからないです。やってみないと、何もわからないし。……あ、でも、一つだけあって」 「お、なに?」 「あの、倒産だけは嫌です」  健一の言葉に、ふっふっふっ、と天津は笑った。 「それはわかんないよ、健一くん。もしかしたら我が社も倒産するかもしれない。しかし、だ。誰かにある日突然、倒産を言い渡される、ってことはないよ」 「………」 「倒産させるかどうか決めるのは、おれたちだからな。だめだったときは、おれたち二人で決めて、鮮やかに散るだけだよ」 「……はい、まあ、」  そう言えば格好いいけど、そんな事態だけは絶対避けたいなあ、と思いながら、健一は頷いた。 「よろしくね、健一うじ」 「はい。よろしくお願いします」  健一氏ってのはなんなのでござるか、と思いながら、また天津と、腕相撲スタイルの握手をした。

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