広告の会社、作りました
2、いい仕事ってなんだろう(3)

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「遠山ちゃん、今日はもう、上がっちゃっていいよ」  この後、天津と唐沢はハトリで打ち合せがあるため、車で一緒に移動するらしい。 「はい。じゃあ僕は、ちょっとここで仕事していってもいいですか?」 「そう? じゃあ支払い頼むわ。明日、領収書持ってきてよ」 「わかりました」  午後三時半を過ぎたあたりだった。何となくまだ働き足りない気分だったので、健一はここに居残って作業するつもりでいた。 「あ、じゃあさ、」  立ちあがった天津が、急に思いだしたように言った。 「打ち合せの後、長谷川さんと飲みに行くから、よかったら合流しなよ。長谷川さん、遠山ちゃんと飲みたがってたし。あと歓迎会? 入社したわけじゃないし、歓迎会ってのも変だけど」 「あ、はい。ぜひ」  飲みに誘われるのなんて久しぶりで、ちょっと嬉しかった。 「じゃ、場所は後で連絡するから」  そう言い残して去っていく天津と唐沢を見送り、健一はMacBookの電源を入れた。  コンペに勝てるのか、と考えれば不安になるが、今は健一があれこれ考えて不安がってもしょうがない。自分に不安がるクセがあることを、失業してからの三ヶ月と、天津との一週間あまりで自覚するようになった。  不安がっているうちは、運命は好転しないのだ。不安は不安の連鎖を生むだけで、大切なのは意志と勇気だ。 (You shook me!)  起動した画面に浮かぶ鉛の飛行船Led Zeppelinは、決して落ちはしない。コミュニケーションがブレイクダウンしようが、限りなき戦いにトランプルド・アンダー・フットなのだ。  資料やメモを見ながら、健一はその日のオリエンの内容をまとめていった。    KAKITA社の提案する新しい住宅「平屋の家(仮称)」カタログ制作   【背景】    ライフスタイルの多様化、少子高齢化など、従来の「二階建てマイホーム」では消費者の真の需要に応えられない時代になっている。持ち家とは何か、をあらためて問い直す必要があると仮定し、新たな住宅コンセプトを発信する。   【市場】    まだまだ少ないものの、平屋の家が年々増え始めている。着工数の十%が平屋住宅。   【商品特性】    KAKITA社初の平屋住宅ブランド。階段がない=高齢者にとって優しい。シンプルでコンパクトな間取り。ローコスト。庭への円滑なアプローチ。バリアフリー。天井が高く開放的な空間。高耐震性能。冷暖房効率UP。etc。   【その他】    来年X月にプロモーション開始。カタログ部数、予算、詳細なスケジュールは、追って連絡。  平屋住宅を新たに提案する、というコンセプトは、健一にとっても新鮮なものだった。  考えてみれば、健一の実家やその近所の家も、ほとんどが二階建て住宅だ。そのことに疑問を持ったことはなかったが、実際はどうなんだろうか……。それが普通だとみんな思っているが、そもそもどうして二階建てがスタンダードなのだろう。  なぜ二階建てなのかと問われれば、明確には答えられなかった。平屋だと家族が増えたとき狭いんじゃないだろうか、とは思う。だけど土地がある程度広い場合だったら、わざわざ二階建てにする必要はないんじゃないだろうか。  喫茶店のフリーWi-Fiにつなぎ、インターネットで「平屋 家族」で検索してみると、いろんなキーワードが出てきた。  家族がつながる――。秘密基地感覚――。フラットで安全な暮らし――。安全で安価――。夫婦を楽しむ――。平屋ならではの利点を活かした豊かな暮らし――。  土地持ちの客が多い地方では、すでに平屋の規格住宅を販売しているメーカーも多いようだ。それぞれいろんな切り口で、平屋住宅をプロモーションしている。  平屋住宅のメリットには、なるほど、と思うことも多かった。  ・間取りや、天井の高さなど、家づくりの自由度が高い。  ・スキップフロア(中二階)など、個性的なデザイン。  ・ひと続きのフロアで、いつでも家族を感じていられる。生活動線がスムース。  ・外と中の距離が近く、自然を間近に感じられる。  ・安定感のある構造で、台風や地震に強い。長く安心して暮らせる。  ・大掛かりな足場工事の必要がなく、建築費用や修繕費用が安い。  調べものをしているだけで、気付けば一時間以上が経っていた。 「あのー」  という声に顔をあげると、目の前に女性が立っていた。 「おじゃましてすみません。先ほどは、お世話になりました」 「……いや、そんなことは全然」  お辞儀をする水島に、健一は目をしばたたかせた。顔を上げた彼女は、なにかを言いたそうにしていたが、なにも言わない。 「あの、お一人ですか? よかったらご一緒しますか?」 「はい。おじゃまじゃないですか?」  いえいえ全然、と言いながら健一はMacBookを閉じた。時刻を確認すると、十七時を過ぎたあたりだ。  ありがとうございます、と言った彼女が、天津の座っていた席に腰を下ろした。 「今って、仕事終わりですか?」 「はい。ずっと残業続きだったので、今日は定時に上がりました」 「ずっと残業ってのは、オリエンの準備をされてたからですか?」 「そうなんです。でも、ようやくそれも、無事に終わったので」 「いやー、でもまだ、これからじゃないですか、コンペは」  あはは、と健一が笑うと、水島は少し目を伏せるようにして頷いた。ちょうどそのときやってきた店員に、彼女はコーヒーを頼み、健一もお代わりを頼んだ。 「そうそう。さっき思いだしたんですよね。この店、水島さんが、行きつけって言ってたなって」  と、健一は言った。その声は自分で意図したよりも、ずいぶん弾んでいた。 「ああ! そんなこと言ってましたか。ここって会社から見て駅の反対側だから、同僚と会うこともないし、一人で寄りやすいんですよね。よく一人で反省会とか祝勝会とかしてます」 「へえー、今日はどっちなんですか?」 「あー、今日は……、慰労会……ですかね」  水島は首を捻りながら言った。  スーツ姿の水島は、小柄で幼い顔立ちなのも相まって若く見えるが、入社して三、四年は経っているのだろう。唐沢が頑張り屋だと評していたが、気苦労の多い感じなのかもしれない。 「この店は……、そうですね、確かにあのとき撮影の合間に来ましたね。アドプラさんの撮影はすごくクオリティが高かったし、ロケハンとかもしっかりしてくれて……。ディレクターの相田さんはお元気ですか?」 「相田さんは、倒産前に転職したんですけど、反りが合わずにすぐに辞めたとかで……。それ以来、音信不通ですが」 「ああ、そうですか……。なんだか、本当に申し訳ないです」 「いえ、もう、そのことは大丈夫ですし、水島さんに責任はないですから。僕もこうして、デザイナーとして復帰できていますし」 「はい。あっ、遠山さん、そのネクタイ似合ってますね」 「ええ!?」  水島の話題の切り替え方にも驚いたし、その内容にも驚いた。 「似合ってないでしょう? 自分でも、なんか違和感があるし」 「そんなことないですよ。色と柄が凄く素敵です」  色と柄が素敵と言うが、色と柄はネクタイのすべてだ。お世辞を言っているようにも見えないから、健一と水島の美的感覚のうち、どちらかが間違っているのかもしれない。 「……だけど、天津さんは、似合わなさが似合ってるって、言ってて」 「あ、そうです。まさにそれです。似合わなさが似合ってます」 「まじですか!」  それはかなりの悪口のように思えるのだが、水島は朗らかに続けた。 「天津さんって、オリエンで質問してくれた方ですよね?」 「はい。天津功明というコピーライターで、『伊土コピー研究所』の出身みたいです。今、一緒に仕事させてもらってるんです」 「へえー。……井土さんのコピー、わたし、好きです」  水島が微笑むのと同時に、コーヒーが二つテーブルに届いた。微笑みをたたえたまま、彼女はコーヒーカップを口元に運んだ。 「そうか……。似合わなさが似合ってる、ってのも何かのコピーぽいっていうあつ、熱っ!」  カップから顔を背けた水島が、ぷるぷると震えた。その態勢のまま、カップをかちゃかちゃとソーサーに置いた。 「熱い!」  もう一回言うんだ、と思いながら、健一は笑いをこらえた。 「水島さんって、結構、おっちょこちょいなんですね」 「全然違います。普通の、ただちょっと猫舌ってだけです」 「猫舌女子ですか」  健一は自分のコーヒーを少し飲んでみた。熱いことは熱いが、それほどでもない。 「じゃあ、水島さん。今度は、舌より先に、歯にカップが当たるように飲んでみてくださいよ」 「歯ですか?」  水島は首を捻りながら、コーヒーカップを口に運んだ。上の歯にカップを当て、ん、違うか、と言って下の歯に当てる。宙に泳ぐ目線がちょっと面白かった。 「あれ、確かに、そんなに熱くないです」 「でしょ?」 「あー、全然熱くない。あれ? 全然熱くないです!」  よほど熱くないことが嬉しいのか、水島は何度もカップを傾けた。でもときどき失敗して「熱!」と声を上げた。 「すごいです、遠山さん。私、これで猫舌卒業したかも。熱っ!」  健一より二つ年上の、小柄で可愛らしい女性だった。人懐っこくて、仕事熱心で、こういう店でたびたび一人の時間を持つ、かなり猫舌な女の子。無邪気な笑顔が可愛いけど、ときどき大人びた表情も見せる。  健一は割とちょろいほうなので、彼女のことを、もうちょっと、可愛いな、と思っていた。

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