広告の会社、作りました
2、いい仕事ってなんだろう(1)

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 集合場所の高層ビルのエントランスには、まだ健一しか来ていなかった。名古屋駅近くのこのビルの、半分くらいの階層をKAKITA社のオフィスが占めている。あと三十分もすれば、今回のコンペのオリエンテーションが始まる。  先方に失礼のないようにと、健一は一応、スーツを着てきた。一つだけ持っているブランドもののネクタイを締めてきたが、自分でも似合っていると思ったことはない。 「お、遠山ちゃんって、そんなネクタイ持ってるんだ」  天津はやってくるなり、半笑いで言った。 「……変ですかね?」 「いやあー、うん。でも、似合わなさが似合ってるよ」  なかなか失礼なことを言う天津は、いつもと変わらないミニマリストな格好だ。  天津の事務所に通うようになって、もう一週間が過ぎていた。  一緒に仕事をしてみて驚いたのは、彼の恐るべき仕事の速さだった。瞬く間にまとまった量の文章を仕上げ、ずばずばとコピーやネームを切っていく。その迷いのなさとか、そぎ落とされた感じは、彼のミニマリストスタイルに通じるものがある。 「こんにちはー。お二方、今日はよろしくね」  最後にやってきたのは、竹川印刷のベテラン営業マン・唐沢だ。  三日前に初めて会った唐沢は、天津功明広告事務所によく仕事をだしてくれているらしい。スーパー「ハトリ」のチラシのデザイン仕事も実は唐沢がふってくれたもので、正確に言うと、あれは竹川印刷の仕事ということになる。  唐沢は制作にまつわるあれこれは、全部天津に丸投げらしい。その代わり、制作物の内容に口を出すことはほとんどない。その距離感を、天津は、やりやすい、と思っているようだ。  彼らの仕事のやり方を、健一はすべて知っているわけではない。だけど唐沢と天津の相性の良さは、何となく想像できた。丸投げして全部任せる唐沢と、小さな仕事でも決して手を抜かない天津には、広い意味での信頼関係があるのだろう。 「じゃあ、行こうか」  ビルのエントランスを抜けて、三人はエレベーターに乗った。 「なんかね、伝信堂が参画してきたらしいよ」 「……そりゃまた、デカいのが来たな」  天津と唐沢が小声で話していた。伝信堂というのは、日本有数の大手広告代理店だが、今回の件になにか関係があるのだろうか……。  会場に入ると、KAKITA社のスタッフに案内され、用意されていた席に座った。少し離れた奥の席に、男女二人が座っている。 「健ちゃん、あれが多分、伝信堂の社員。今回うちらが勝たなきゃならない相手」 「……え」  健一はまるで何もわかっていないようだった。コンペで競合会社に勝たなきゃいけないことは知っていたが、相手が伝信堂とかそういう会社だとは思ってもみなかった。竹川印刷と伝信堂なんて、規模や売上高の差で比べたら、テントウムシとブラキオサウルスほどの差がある。 「……あの、他にも競合する会社はあるんですか?」 「今までの代理店は痛い目見たからね。まだしばらくは手を上げないだろうね」  唐沢は複雑な表情で言った。  半年ほど前、KAKITAの子会社「柿田建材」の、マンションの耐震データ改ざん問題が発覚した。親会社のKAKITAも責任を問われ、進行中のCMをはじめとする広告やプロモーション活動のほとんどの案件がとん挫した。その煽りで代理店や印刷会社やデザインプロダクションは受注を失い、大損害を被った(アドプラも、そのうちの一社だ)。  だから今まで付き合いのあった代理店や印刷会社の多くは、今回のコンペ依頼を様子見している。ただしKAKITAからすると、今回の案件は、そうした負のイメージを払拭するためのキャンペーンでもある。今までKAKITAと取引のなかった伝信堂は、そこに目をつけたのだろう。 「竹川印刷さんは、どうして引き受けたんですか?」  と、健一は尋ねた。 「不正を行ったのは、あくまで子会社だからね。KAKITA本社は悪くない、とも言い切れないんだけど……一応はそういうことだから。あと、まあ、担当の子が、すごく頑張り屋でさ。つい、ほだされちゃってね」  竹川印刷にわざわざ出向いたその担当者に、コンペに参加してほしいと懇願されたらしい。あのKAKITAが一業者に頭を下げるなんてねえ、と、唐沢はつぶやく。  唐沢は今回のコンペを本気で勝ち抜こうとは思っていないのかもしれないな、と健一は感じた。健一にしても、相手が伝信堂と知れば、さすがに勝つのは難しいんじゃないかと思う。ただ天津がどう考えているのかはわからない。 「ほら、あそこで待機してる女の子。広報の水島莉子さん。彼女が今回の担当者だよ」  会議室の隅で、そわそわした様子の彼女を見て、ん? と健一は思った。 「コンペに参加する企業を集めろって、上から相当プレッシャーがあったらしいんだ。彼女、まだ若いのに、こんな大役任されて大変だな」  水島という名に覚えがあるような気がした。もしかしたらアドプラ時代に、会ったことがあるのかもしれない。 「うわ、このイベント激熱じゃん。運営神だわ」  天津がスマートフォンの画面で指を滑らせていた。どうやら何かのゲームをしているらしい。 「テンシンくんはどこでもマイペースだね」  唐沢は嬉しそうに笑った。彼は天津のことを「テンシンくん」と呼ぶ。いかにも付き合いが古そうだが、どんな関係なのか、健一はよく知らない。  オリエンの開始時間が近づいても、大手企業KAKITAのとてつもなく広い会議室はがらんとしていた。やはり参加するのは二社だけのようで、あとはKAKITAの社員が、五、六人いるくらいだ。 「本日はお集まりいただき、ありがとうございました。あ、マイク入ってないですか? すみません……」  KAKITA社の広報担当・水島莉子の挨拶でオリエンが始まった。  挨拶だけかと思ったら、そのまま水島が案件の説明を始めた。健一は慌ててメモをとり始めたが、天津はメモをとっている様子も、話を聞いている様子もなかった。  そして十分程度で、説明は終了してしまった。 「えー、以上を踏まえまして、ターゲットとコンセプトを設定していただき、新商品カタログのデザイン提案を、していただければと思っております」  参加企業が少ないというのもあるかもしれないが、彼女は壁に向かって説明しているような感じだった。 「みなさま、なにか質問はございませんでしょうか?」 「はい」  と、最初に手を挙げたのは意外にも天津だった。 「竹川印刷さん、ご質問をどうぞ」 「こちら、商品名は決まっていないんでしょうか?」  質問をした天津は、WEB←質問、と書いたノートを健一に渡してきた。……WEB? 「はい。商品名については検討中でございまして、ご提案いただくコンセプトに合わせて、ネーミングを一緒にご提案いただいて構いません」 「わかりました。ありがとうございます」  質問を終えた天津が、健一を肘でつついた。どうやら何か質問をしろ、ということのようだ。 「あ、では、私からも……」 「はいどうぞ」 「……Webのプロモーションは、検討されていますか?」 「はい。Webについては、カタログが仕上がり次第、その素材を用いてランディングページの制作を検討しています。ランディングページについても、カタログ制作のご依頼会社様にお願いするつもりでおります」 「わかりました。ありがとうございます」  健一の質問が終わると、会場がいきなり静かになった。 「他に、なにか質疑はございませんでしょうか。……伝信堂さんは何かございませんか」 「うちは特にございません」  高そうなスーツを着た伝信堂の男が答えた。伝信堂からの参加者は、ディレクターっぽいこの男と、その部下と思われる女性の二人だけだ。 「それでは、質問がないようですので、これにて本日のオリエンテーションを終了いたします。まずはお手数ですが、コンペ参加のご意志を、今月二十五日までに郵送でお送りください。お忙しいなか、ありがとうございました」  伝信堂の二人が立ちあがると、五、六人いたKAKITAの社員がその周りに群がった。その集団が会議室を出ていくと、健一たちだけが取り残された格好になった。 「……なるほど。こういう感じね」  天津がぼそりとつぶやいた。机の上の資料やノートをリュックにしまった健一は、手応えのない気分のまま顔をあげる。 「あのー」  と言いながら近付いてきたのは、水島莉子だった。 「遠山さん。お名刺を拝見しまして気付きました。アドプラの遠山さんですか?」  水島は健一の顔を覗き込んで、大きな声で言った。 「ああ、はい……。ご無沙汰しております」  曖昧な記憶だったが、言われれば確かに思いだせた。  アドプラに入社して、一ヶ月か二ヶ月のころだった。KAKITAのパンフレットの撮影アシスタントとして、先輩デザイナーにくっついてここに来て、その際に水島と名刺交換もした。ただ特に何かを話したわけでもなく、覚えられているとも思わなかった。 「遠山さん、あの……、その節は、どうも申し訳ありませんでした」 「いえ」 「アドプラさんは、もう……」 「はい、倒産しまして……」 「本当に、なんて言ったら……」 「いえいえ、僕は全然……、大丈夫ですので」  冴えない再会の挨拶を交わす二人を、天津と唐沢が不思議そうな表情で見守っていた。

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