四月三十日、平成最後の日。天気は曇り空だったが、日付が変わって新しい時代になるまでは雨は降らないらしい。僕はいつものように駅前で和田塚さんを待つ。ここだけの話、この和田塚さんを待つドキドキ感がたまらなく好きだったりする。なんか、恋人同士のデートの待ち合わせみたいで。和田塚さんは決まって待ち合わせ時間の五分前にやってくる。遠くから僕を見つけると、大きく手を振る。そして、改札を通り、電車に乗る。就職してからはこの電車にほぼ毎日のように乗っているけど、和田塚さんと出かける時だけは、同じ電車も違うように感じる。  今日は横浜まで行って、みなとみらいで新しい時代『令和』を迎える予定だ。カウントダウンまでは、まだまだ時間はあるので、僕らは江の島方面へ向かった。  大船駅に着いて、湘南モノレールに乗り換える。二人ともモノレールという乗り物には初めて乗車する。高い場所をレールにぶら下がるようにして走るモノレールは、なかなかスリリングで面白い。一方、和田塚さんは軽い高所恐怖症らしく座席に座ったまま終点の湘南江の島駅に着くまで一歩も動かなかった。  湘南江の島駅から江ノ電の踏切を渡って江の島までの一本道、最近できたようなおしゃれなカフェみたいなお店もあれば長年続けているお土産屋までずらりと軒を連ねていた。ここまで来ると磯の匂いが風に乗ってくる。海が見えると二人はテンションが上がった。そのまま地下道を通って、江の島に向かってもよかったのだが、僕らは国道を右に曲がって、新江ノ島水族館に向かった。寄せては返す波の音。あと二か月も過ぎれば、ここら辺も海水浴客で賑わうのだろう。 「大きいね」 新江ノ島水族館は、思っていたよりも大きい建物だった。僕らにとって水族館といえば、池袋のサンシャイン水族館か、すみだ水族館のような『ビルの中にある水族館』が真っ先に浮かぶ。イルカやアシカのショーができる大きな水族館は始めてだ。 「イルカのショーは絶対見たい!」 係員から、館内のパンフレットと本日行われるショーのタイムスケジュールを受け取ると、和田塚さんはイルカのショーのタイムスケジュールに指さした。小学生みたいにはしゃぐ和田塚さんがとても可愛い。  順路に従い、各水槽を見て回る。イワシの大群やエイなどが悠々と泳ぐ大水槽ではダイバーさんがエサやりを実演をしていて、水槽の外の人達に手を振ると、和田塚さんも子どもたちに混ざって手を振る。別のサメの水槽で「このサメ、ジョーズにエサを食べるかな?」と、しょうもないオヤジギャグを言うと、和田塚さんに無言で背中を叩かれた。(けっこう痛かった・・・) 「まもなく、イルカのショーが始まります!」 係員の呼びかけにみんなが、イルカショースタジアムに向かう。 「行こっ」 和田塚さんは僕の腕を掴み、イルカショースタジアムへ向かう。  祝日ということもあって、家族連れやカップルなどで賑わっていた。遠くには江の島のシーキャンドルが見える。 「前から四列目までは水しぶきがかかることがありますので、ご了承願います」 係員がメガホンで案内する。それでも好奇心旺盛な子どもたちは一番前の席を陣取る。僕らは一段高くなっている五列目の席で観ることにした。  ショーが始まると、お兄さんと一緒にアシカがよちよちと奥から歩いて登場。アシカが丁寧にお辞儀をすると拍手が沸き上がった。和田塚さんはそれを見てひたすら「かわいい、かわいい」と連呼。そんな和田塚さんが僕は可愛いと思う。アシカのショーが終わるとメインイベントのイルカのショー。目の前で飛び跳ねるイルカに案の定前から四列目まではものすごい水しぶきがかかってずぶ濡れ。それでも子どもたちのテンションはマックスだった。  ショーが終わると、まだ見ていない場所からスタートする。クラゲを見る頃にはこの雰囲気がそうさせたのか、自然に和田塚さんと手を繋いでいた。  水族館を出る頃にはお昼を過ぎていた。そのまま、弁天橋を渡り江の島神社の参道を歩く。地味な上り坂がキツイ。  神社の鳥居まで来ると傾斜がきつそうな石段が大きく構える。その横には『エスカー』と呼ばれる、有料のエスカレーターの乗り場がある。 「さて、和田塚さん。ここで二つ選択肢があります。」 僕がそう言うと、和田塚さんは首を傾げた。 「お金を使わず自力で上がるか、お金を払って文明の利器を使うか。どっちがいい?」 ここまで歩いて、少々疲れ気味。 「後者で」 ほぼ即答で和田塚さんは言った。しかし、エスカレーターが有料って、聞いたことないよ・・・。  エスカレーターの乗り継ぎの途中、江の島神社の本殿がある。江の島神社は恋愛の神様としても有名らしく。絵馬にはそれぞれの想いが書かれていた。和田塚さんと結婚できますようにと祈願したのは、僕と神様だけの秘密。隣で拝む和田塚さんは何を願ったのだろうか・・・。  エスカーの終点まで登ると、シーキャンドルは目の前で二人は見上げる。僕が何気なしに、上がってみる?ときくと和田塚さんは小刻みに首を横に振る。これはきっと、東京タワーの展望台クラスでも失神するだろうなと一人で思って、笑いそうになる。  シーキャンドルの脇道の階段を下りる。左側は水平線が見えるほど海が広がっている。行き交う人と「こんにちは」と自然にあいさつできるのは、このきれいな景色の道を歩いているからなのか。道中、お土産屋がいくつかあった。蒸したての饅頭や焼きだんご、外国の人が好きそうな、江ノ島と書いてあるTシャツ。そして、それを真剣に眺める『駐車禁止』と書いてあるTシャツを着た欧米の人。  上りの階段に差し掛かったところで、和田塚さんはスタミナ切れのようで、歩くペースがさっきより落ちている。休憩と昼食がてら、階段を上がったところにある、地元で獲れた生しらす丼が自慢の店に入った。店内に入ると、海が見える窓側の席に案内された。天気が良いと、富士山が綺麗に見えるらしい。タイミングが良かったのか、店内の客はまばらで、今さっきまでは、ものすごく混んでいました的な雰囲気で、テーブルにはまだ片付いていない食器が置いてあった。  メニューを見てみると、やはりおすすめは獲れたて新鮮の生しらす丼。どうやらこの前の三月に漁が解禁になったらしく、今が旬なのだとか。僕も和田塚さんも『生しらす』と聞いて、あまりピンとこなかった。普段、ごはんに乗っけて食べるあのしらすとは何が違うんだろうって思っていた。注文するときに聞いてみたのだが、普段、ごはんに乗っけて食べる方は『釜揚げしらす』というらしい。二人して「へぇー」といいながらメニューをながめる。僕は生しらすと釜揚げしらすの相盛り丼を和田塚さんは釜揚げしらす丼を頼んだ。 「そういえばさ、私たち平成最後のお客さんじゃない。なんかそれってすごくない?」 和田塚さんはテンションを上げて水を一口飲んだ。時代の変わり目というのは、人生で二度と来ないかもしれない。今この時がものすごく貴重な時間だと思ったら、なんか特別に思えてきた。特別な時間に特別な想いを抱いている人と一緒に過ごす。これはすごいことかもしれない。しばらくすると、けっこう大きめなどんぶりに生しらすとしらすをたくさん乗せた、相盛りが来た。初めて見た生しらすを一口。これはうまい。未成年が言うのも難だけど、きっと酒のツマミにピッタリかもしれない。ビールというよりかは焼酎みたいなそんな感じの酒と。不思議そうにみつめる和田塚さんに一口食べる?と訊くとうんと頷いた。和田塚さんの口にはちょっと合わなかったみたいで、小さく苦いと漏らした。生しらすは好き嫌いがはっきり分かれる食べ物なのかもしれない。  店を出て来た道を戻る。下りはエスカーがないので階段をひたすら下りる。途中で見たアジサイはつぼみが膨らんでいて、咲く手前まで来ていた。階段を下り終えるとエスカー乗り場のすぐ脇に出た。 「結構いい運動になったね」 和田塚さんはハンドタオルで汗を拭いた。そして、そのまま湘南江の島駅までの一本道を手を繋いで歩いた。帰りのモノレールの車内では、和田塚さんが僕の肩に寄りかかるようにして、すやすや眠ってしまった。平成最後の日にこんな幸せなひとときが訪れるなんて誰が予想しただろうか。横で幸せそうに眠る和田塚さんをそっと抱き寄せた。  横浜に着く頃には午後四時を回っていた。人生で一度しか来ないかもしれない新しい時代へのカウントダウンを楽しもうと、みなとみらいの大観覧車に向けて大勢の人で電車は混みあっていた。横浜駅からは二駅ほどだが、江ノ島ではしゃぎすぎた和田塚さんはちょっとだけぐったりとしていた。みなとみらいで歩き回ろうとしたのだが、クイーンズスクエアのオシャレなカフェでゆっくり過ごすことにした。奥のソファーのある落ち着いた席でアイスコーヒーを二つ頼む。 「まだ時間があるから、眠かったら寝ててもいいよ」 僕がそういうと、眠たくて仕方がない子どものように頷く。和田塚さんが眠ってしまったあと、僕は『失恋したてから始まる恋』を読み始めた。社長が読んでいて、ものすごく気になっていたので、つい買ってしまった。  大学生の女の子が主人公。ずっと昔から恋心を抱いていた二つ年上の男性。その男性が高校を卒業する日も結局、自分の想いを伝えることができないまま諦めていた。そんなある日、その男性と偶然出会い、一緒に食事をしたり、出かけたりする機会が増え、ついにその女の子は勇気を振り絞って告白。見事に付き合うことになった。その後、三年くらいは順調に恋は続いていくものの、マンネリ化した関係に、男性は他の女性に好意をよせ、主人公の女の子にデートの最中、いきなり別れを告げられいなくなってしまう。途方に暮れた主人公は、「もう恋はしない」と固く誓う。そんな主人公にある日、固く誓ったものを打ち破ってしまうほど、恋焦がれた男性が現れる。果たして、今度こそ主人公は幸せになれるのか、そして、過去に抱いた傷を癒してくれるのか。という、ベタな内容なのだが、主人公が傷ついた時の描写がものすごくリアルで、作者の経験談なのでは?と思ってしまうほど。ただ、この作者は男性である。恋愛経験のない僕にとって、恋人同士のマンネリ化というのは、とても怖いものなんだなって思った。仮に、和田塚さんと付き合うことになったら、この小説のような展開にならないように気をつけなきゃって思う。あくまで、付き合えたら。の話だけど・・・。  物語も終盤に差し掛かる頃、目の前で眠っていた和田塚さんが、目を覚ます。小説なんか読んでないで、可愛い和田塚さんの寝顔をもっと見ておけばよかったと今更後悔。 「おはよう」 「うーん。おはよう」 和田塚さんは、よく寝たと伸びをする。 「お目覚めに、温かいカフェラテでもいかがでしょう?」 「うん。お願い」 僕はカウンターへ向かい、カフェラテを頼む。僕も、小説に夢中で気づかなかったが、ここの店に来てから三時間が過ぎていた。  窓の外を見ると、この歴史的な瞬間を家族や恋人と迎えようと、大勢の人が大きなデジタル時計のある大観覧車へ向けて歩いていく。雰囲気はまるで、年末のようだ。まあ、ある意味、年末ではあるが。結局、僕らはこの店の閉店時間の午後十時まで粘って店を出た。あと二時間で、平成が終わる。僕と和田塚さんが生まれた時代が終わる。そう考えると、少し寂しい。 「なに、考えてるの?」 まだ付き合っていない二人。手を繋ぎながらコスモワールドの園内を歩く。 「いや、平成が終わっちゃうんだなって」 「ちょっと、寂しいよね」 和田塚さんは僕の顔を覗き込み、ニヒヒとほほ笑む。さっきまでの眠そうな和田塚さんは、もうここに居ないようだ。  平成が終わる三十分前、桜木町の駅前広場には大勢の人で賑わっていた。そして、ゆっくりと時を刻む大観覧車の時計を誰もが待ち遠しく見つめる。  平成が終わる一分前、みんながざわつく。そして、僕はもう一つの意味で胸の鼓動は高鳴っていた。 5 「あのさ、和田塚さん」 4 「その、僕」 3 「和田塚さんのことが」 2 「中学の時から好きでした」 1 「よかったら、僕と付き合ってください!」  令和という時代の始まりを祝して、花火が打ちあがる。そして、頭を下げっぱなしの僕は、和田塚さんの顔が見れない。今、和田塚さんはどんな顔をしているのか、もしかしたら、戸惑っているのかもしれない。 「石上くん。顔を上げて」 もう花火とか令和とかどうでもよかった。平成が終わる瞬間に僕は人生で一番の勇気を振り絞った。そして、僕はゆっくり顔を上げる。火の玉がヒューと音を鳴らして天高く昇っていく。和田塚さんは、両手で僕の頬に触れる。そして、火の玉が花を開くと和田塚さんは僕にキスをした。 「私のファーストキスは、絶対好きになった人って決めてたの。そして、これが私のファーストキス。こんな泣き虫の私でよろしければ、よろしくお願いします」  この一連のやり取りを一部始終見ていた、周りの人が大きな拍手とともに歓声が沸き上がった。 「ここに令和初のカップルが誕生したぞ!」 そのあと、見ず知らずの若いお兄さんに肩を組まれ、よかったなと歓喜してくれた。結構恥ずかしかったが、僕と和田塚さんはこの雰囲気に身を任せることにした。

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