マイセルフ・ユアセルフ
第1章 3-1

南棟と北棟を結ぶ渡り廊下。放課後になると、ほぼ毎日彼女はそこに居た。そこで彼女はいつも一人でトランペット(以後ラッパという)を練習していた。寒くなる時期は夕日の日差しが、彼女を美しいシルエットに変えて、僕はそんな彼女をただ、時間も忘れてじっと見ていた。  中学生の僕は、当時部活には入らなかった。歩いて行けるあの男子校に入学したいがため、勉強に集中したい…。というのはただの口実で、実際にはどの部活にも興味が持てなかった。先生からは部活入れば、内申点が上がるし高校入試には有利なんてよく言われたけど、内申点を気にして無理に興味もない部活に入って途中でやめてしまったら、本末転倒だと思ったけど、あえてそれは言わずに、勉強に集中したいの一点張りで避けてきた。でも、そう言ってしまった以上、僕は勉強するしかなかった。学習塾には週三回ほど行って、それ以外は放課後、図書室が閉まるまで一人で勉強をしていた。そんな時、ふとあの渡り廊下に目をやると、彼女が一生懸命ラッパを吹いていたのだ。  ある日、いつものように図書室で勉強していると腰越が、がらがらと図書室のドアを開けた。 「あ、石上君ここに居た。よかったぁ~。もう帰っちゃったかと思ったよ」 何のためらいもなく、僕の隣に腰越は座った。 「あたしらさ、来年受験じゃん?このくらいの時期からテストの成績とか受験に響いてくるからさ、お願い!今度の期末テストの勉強、教えて」 中二の晩秋、必死にお願いする一人の女子中学生を僕は上の空で聞いていた。別に腰越の事なんかどうでもいいとか、そう思ったわけではない。ただ、彼女のラッパの音が一年の時に比べて、とても上手になったなって思っていたのが、偶然にもその時だっただけの話だ。 「ねえちょっと、聞いてる?石上君ってば!」 「ああ、ごめん。なんだっけ?」 ふと我に還る僕、そして半分怒ってる腰越。 「勉強教えてって言ってるの!」 声を上げた腰越に当直の図書委員が目を光らせると、腰越は小さくごめんなさいと言って座る。僕は、なんだそんな事かとため息交じりに言うと腰越はまた小さな声でこっちは真剣なんだぞとムッとした表情で言う。 「じゃあさ、勉強教えてもらう代償として、和田塚さんの事教えてあげるよ」 腰越はニヒヒと笑った。 「なんで和田塚さん?」 今度は僕が声を上げると、また当直の図書委員が目を光らせて、僕は小さくごめんなさいと言って座る。 「好きなんでしょ?和田塚さんのこと。バレバレですよ」 腰越は得意げな口調で僕を見つめる。 「別に恋愛的な意味で好きとかじゃ無いとは思うけど、ただここで勉強してると、いつも和田塚さんのラッパの音が聞こえて、ふと渡り廊下をに目をやると、夕日のシルエットになって、あぁ綺麗だなって思うだけ。ただそれだけで・・・」 「それを〝好き〟って言うんじゃない?」 いつになく真剣な顔の腰越に、僕は何も返せなかった。言われてみれば、そうなのかもしれない。だとしたら僕は人生で初めて〝恋〟というのを覚えたのかもしれない。 「あらら、初恋ってやつですかぁ?」 腰越はまたニヒヒと笑って、僕をからかう。 「あーもう!うっとうしい!からかうなら勉強教えないよ」 「ごめんってぇ」 それから、図書室が閉まる時間まで、腰越の勉強を見ながら僕自身の勉強もした。この日以来、僕が図書室で勉強する日は毎回腰越も一緒に勉強しにきた。(彼女は勉強三割、ドラマや推しのミュージシャンの話などどうでもいい雑談が七割といった感じで、コイツ本当に大丈夫か?って思う)  期末テストが近くなると教室の空気がとても重くなる。担任の先生が今回の期末から高校受験に響いてくるからとか余計な煽りをしたせいもある。テスト期間の一週間前からは部活も休みになり放課後に図書室へ勉強しにやってくる生徒も増える。図書室内はただ、教科書のページを捲る音とノートに書き留める音、教科書や参考書にマーカーで線を引く音だけが響く。高校受験が間近に迫った三年生が大半である。そんな中でも僕と腰越はいつものようにいつもの席で二人で勉強する。 「なんかさ、三年生の切羽詰まった空気がすごいから、今日は違う所で勉強しない?」 腰越が僕の耳元で囁くように話すと、僕はそれに頷いて静かに図書室を出る。 「あたしらも来年はあんな感じなのかな?」 やっと解放された空気に腰越はため息をつく。 「渚ちゃん!」 腰越を呼ぶ声に二人して振り向くと、そこにはにこやかに手を振る和田塚さんの姿があった? 「あれ、晴香ちゃんじゃん。どうしたの?今帰り?」 二人は手を繋いでブンブン振りまわす。女子というのはたまに不可解な行動をする。 「うん。今日は部活お休みだけど、教室で勉強してた。今回の期末はけっこう大事だからね」 「なんだぁ、だったら図書室くればよかったのに。あたしさっきまで石上君と一緒に勉強してたんだよ。まあ、教えてもらってたっていうのが本当だけど」 ねー。振り向いた二人の視線に僕はなぜか目を逸らした。 「へぇー。石上くん。頭良いんだ。今度私も教えてもらおっかなぁ」 腰越が「お近づきになれるチャンスだぞ」と言わんばかりの視線を僕に向けると僕はナイス!と視線を腰越に送った。二人の無言のやりとりに和田塚さんは首をかしげた。 「あそーだ!これからさ、一緒に勉強会やろうよ!さっき図書室で三年生の緊迫した空気に耐えられなくて出てきたところだし。もし晴香ちゃんがこの後OKならの話だけど」 腰越が〝珍しく〟気が利いている。いや、もしかしたら他人の恋をおもしろがっているのかもしれない。 「うん。いいよ。私も石上くんが居ればなんか不安が無くなりそうだし」 テスト範囲で不安な所が無くなるから心強いという意味なのは当然分かっている。けれども一つ言葉が足りないだけで、男子というイキモノはとんだ勘違い野郎になってしまうのだ。  それを〝好き〟って言うんじゃない?  この前、腰越がクソマジメな顔でそんなこと言ったもんだから、和田塚さんのことを妙に意識してしまう。  どこで勉強の続きをするか三人で悩んだあげく、駅前から少し離れた図書館へ行くことにした。(中学生なんで、当然金銭を持ち歩いているわけないし)館内の奥には大きな丸型のテーブルに椅子が並んでいる、いわばオープン型の会議室のようなスペースがある。ここなら多少の会話をしても他の人に迷惑はかからない。運よくそこのテーブルには誰もいなかった。僕の左隣には腰越、右隣りには和田塚さんが座る。和田塚さんの髪の匂いに胸が高鳴る。このままじゃ、他人に教えるどころか、自分の勉強も捗らなさそうだ。 「早速だけど、石上君のノート見せて」 いつもの調子の腰越に少し緊張がほどけた。これはこれでありがたい。・・・と思った矢先、和田塚さんが僕のノートを覗き込むので距離が近くなる。思春期男子にはとても刺激が強い。 「へぇー。石上くんのノート。他人が見ても分かりやすくまとめてるね。ちょっと写させて。私も参考にしよー。」 何気ない仕草、近くで見る横顔を見て僕は、恋に落ちたことを知った。  期末テストも終わり、ビビりながら結果待ちをしている、こんな状況でも僕は習慣のように図書室で勉強をする。期末テスト後から変わった事と言えば、僕は週三回通っていた塾を辞めた。親と先生はこんな大事な時期にと言っていたが、塾へ行くよりもこの図書室で勉強する方が捗ると告げると、納得してくれた。それと、腰越が図書室に現れなくなった。本人が言うには「またテスト期間の時にお願いするよ」とのこと。そして、和田塚さんはいつものように部活で、また渡り廊下でラッパを吹く。図書館で勉強した時以来あれから僕と和田塚さんとの間には何も進展は無い。またいつもの日常に戻っただけさ。そう言えば、腰越もそうだけど、和田塚さんのテストの結果はどうだったのだろうか。まだ全教科の答案用紙が返ってきたわけではないのだけれど、勉強を教えたというヘンな責任感がある。せっかくだから話をしにあの渡り廊下まで行ってみようか。テストの結果というとても大きな話題があるし。 「石上先輩、今日は終わりですか?」 一年の当直図書委員にそう聞かれると、ちょっと出てくるだけすぐに戻ると言い残し、渡り廊下へ向かった。いつもは遠くで聞いているラッパの音も近くまでくれば渡り廊下の構造上の音の響きも相まって、なかなかの迫力だった。とてもあの小柄な女子中学生が吹いているとは思えないほどだった。  和田塚さんは、僕の姿を見つけると、吹くのを止めにこやかに手を振る。その仕草に僕も思わず手を振り返す。 「石上くん。どうしたの?勉強は?」 「ちょっと休憩」 和田塚さんはラッパをスタンドに置いて、膝の上のハンドタオルをマウスピースに被せた。「じゃあ、私も休憩」 譜面には、たくさんのメモ書きで埋め尽くされていた。きっとこの譜面には彼女の見えざる努力がたくさん詰まっているのだろう。たぶん他の曲も経験した全部の曲に努力が詰まっているに違いない。僕は音楽には疎いけど、なんとなくそんな気がした。 「楽器ができるってすごいね」 「そぉ、ありがと」 和田塚さんは嬉しそうだった。笑顔が可愛いなって思った。 「これでも、私はまだまだなんだよ。中一の時に初めてこの楽器を触ったから経験も浅いし」 「うん知ってる。僕も中一の時からずっと図書室で聞いてた。でも日に日に上手になってるなって。音楽シロウトの僕が言うんだから間違いないよ」 「なんか恥ずかしい・・・」 顔を見つめあうと二人して笑った。 「あ、この前は勉強教えてくれてありがとう。おかげで平均点があがったよ。まだ答案用紙が返ってきてない教科は自己採点だけど」 「それはよかった!」 二人の間に少しだけ沈黙の時間が流れる。コミュニケーション能力が極めて低い僕は自分自身を恨みそうになる。 「そうだ、なんかお礼がしたいな。石上くんのおかげで、平均点もあがったわけだし」 「そんな、お礼だなんて。それに和田塚さんの頑張りの結果じゃないか」 「私がお礼したいからいいの!」 テンパる僕に、恥ずかしいのか早口で突っ込んだ。 「いつにしようかな…。今度の休みの日は用事あるし・・・。あそうだ!イヴ。クリスマスイヴの日なんてどう?石上くんの都合がよければの話だけど」 特に予定もないひとりぼっちのクリスマスイヴ。その日のお昼に駅前の大きなクリスマスツリーの前で会うことにした。家に帰って、ふと冷静になって(いや、なっていない)みると、クリスマスイヴに好きな女の子とデート。その響きだけで無敵になれた。ような気がした…。  街はすっかりクリスマスモードで、駅前や住宅地のイルミネーションが綺麗な季節。十二月二十四日。僕はこの日をどれだけ待ちわびたか。約束の時間よりも早く駅前に来てしまった。駅前のファストフード店やコンビニはチキン商戦。そして、ケーキ屋では今年一番の稼ぎじゃないかと思うくらいの長蛇の列が店前にできていた。石上家ではクリスマスだからといって、特別なことはしない。あくまで普通の日だ。とはいっても、小さい頃はちゃんとプレゼントが枕元に置いてあって、ものすごく嬉しかったのを覚えてる。僕が中学に入る頃には妹の由貴の元にしかサンタクロースは来なくなってしまったが…。 「石上くーん!」 和田塚さんの呼ぶ声に振り向くと、彼女は笑顔で手を振っていた。 「ごめん。待った?」 僕は首を横に振ると、良かったと言って手を差し出す。僕は分からない顔をしていると、和田塚さんは僕の手を繋いだ。 「今日はお礼でもあり、デートでもあるのです」 和田塚さんは自分で言っておきながら顔を真っ赤にして、恥ずかしさに自爆した。なんて可愛い人なんだ。  駅前の商店街を二人手を繋いだまま歩く。見ず知らずの他人から見れば僕らはカップルに見えるだろう。だけど同じ中学校の連中に見られたら、ちょっと気まずい。冷静に考えれば僕らは付き合っていないのだから。  商店街を奥に進み路地を曲がって少し歩いたところにおしゃれで小さな洋食屋『オリエンタルハウス』がある。 「あ、ここだ」 和田塚さんはそう言うと、店のドアを開ける。チリンと鈴の音に奥から店主らしき中年の男性が出てきた。 「やぁ、いらっしゃい晴香ちゃん。お父さんから連絡もらってるよ。お連れさんと一緒に来るって。もしかして彼氏さんかな?」 僕に視線をやるとにやりと笑った。 「ち、違いますっ!」 焦る和田塚さんに、かわいいなと豪快に笑う店主。  店内の奥に案内されると、テーブルの上に予約席と書かれたプレートが置いてあった。ウェイトレスがそのプレートさげると、メニュー表を丁寧に僕らに手渡す。 「今日は晴香ちゃんのお父さんが出してくれるって言ってたから、好きなの頼んでね」 このウェイトレスさんはおそらく店主の奥さんなのだろう。笑顔が素敵な人だった。 「ここのお店はね、前までお父さんと一緒にお仕事してた人が洋食屋さんを始めたの。だからおじさんとおばさんは私のこと知ってて。たまに家族でもここに来るの」 和田塚さんは、そのあとここの店主の名前は柳小路さんだということ。その柳小路さんと和田塚さんのお父さんはものすごく仲が良くて、このお店を立ち上げる前までは夏には一緒に海へ行ったりキャンプをしたりと公私ともに付き合いがあるということ。和田塚さんが幼稚園に入る前から柳小路さんは知っているということを教えてくれた。 「晴香ちゃんがまさか男の子を連れて、この店に来るとはねぇ。しかもクリスマスイヴに。おばさん、なんか嬉しくなっちゃったからこれ、ウェルカムドリンク。サービスよ」 まるで自分の親戚のように話す奥さんは、ワイングラスにりんごジュースを注ぐ。 「べ、勉強を教えてくれたお礼だから!」 和田塚さんがそう言うと、奥さんは「はいはい」と受け流す。僕はプライベートの和田塚さんを見れて微笑ましかった。  それから次々に出てくる料理を楽しみながら、学校での事、部活の事などたわいのない話をして、時に笑ったり、時に真剣になったりコロコロ変わる和田塚さんの表情にすっかり見とれていた。  店を出る頃には、日も沈んでいて商店街のイルミネーションがキラキラ輝いていた。居酒屋の前では店員がサンタやトナカイの格好をして呼び込みをしたり、賑わっていた。今年のクリスマスはいつもとは違う特別な日だった。

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