腰越の帰国まであと三日に迫っていた。最近、晴香の携帯によく腰越からの連絡が入るらしい。引っ越しの荷物がまとまったとか、帰国する手続きが面倒だとか。晴香はいつでも返信できるようにと、トイレだろうが風呂だろうが関係なく持ち歩いている(風呂の時は厚めのビニール袋に入れて持っていく)。まるで初めて携帯を買ってもらった中学生のようだ。 「うーす」 決まった時間に鵠沼がやってくる。お帰りパーティーの段取りの打ち合わせも大詰めで、ここのところほぼ毎日家にくる。 「ただいまー」 そして、由貴もほぼ毎日家に来る。由貴は実家で飾り付けを作って、僕の家で仕上げる。季節外れのクリスマスパーティーみたいな飾り付けに、クリスマスツリーを置いてしまいそうだ。 「おいセクハラ、絶対上見ないでね!」 由貴が乗る脚立に鵠沼が押さえる。万が一、鵠沼が上を見てしまったとしても、スカートを履いてきた由貴が悪いような気もするが・・・。 「わーてるって。さっさと飾り付けしてくれ」 面倒くさそうに鵠沼が返事をする。今更だが、三日前で部屋に飾り付けをするのはちょっと早い気がするのだが。まあ、そこはあえて何も言わないことにしよう。  由貴と鵠沼の手によって、部屋がどんどん飾り付けられていく。どことなくクリスマスっぽい・・・。ただ一つ違うのはツリーがあるかないかの違いだけ。 「パーティーの当日のメニューは何にしようかな」 晴香はレシピ本をめくり楽しそうに悩んでいた。 「渚ちゃんってどんな子なんだろうなぁ」 鵠沼はいろんな意味で楽しみにしている。正直キモい。 「すごく可愛い子だよ」 晴香が答える。 「あ、そうだ。中学の卒アルとかないの?」 「無えよ。実家にはあるとおもうけど」 中学の卒業アルバムなんて、しばらく見ていないから、実際、実家の僕の部屋にあったとしても、それはきっとクローゼットのの奥底に眠っているだろう。 「写真ならあるよ!」 そう言って晴香は、自分の携帯を差し出した。 「渚ちゃんがドイツへ行く数日前に撮ったやつだよ」 鵠沼は食い入るように携帯の画面を見つめる。 「やべぇ、可愛い。俺、付き合っちゃおうかな」 鵠沼のこの発言は、本当なのか冗談なのか。 「きっと、イケメンのドイツ人と付き合ってるよ」 由貴がニヒヒと笑う。 「お、俺だってドイツ語くらい、できるぞ!一応これでも医者志願なんだから」 「じゃあ、言ってみなさいよ!セクハラ!」 由貴の中ではもう『鵠沼=セクハラ』が定着しているらしい・・・。それを右から左へ受け流す鵠沼もだいぶ図太いとは思うが。 「・・・ツヴァイ!」 辺りが一瞬にして凍り付いた。えっと、どこから突っ込んで良いのやら。 「なぜ・・・。2?」 晴香が、コイツ、バカだと言わんばかりの眼差しで、鵠沼に訊く。 「せ、セクハラにしてはやるじゃない」 あちゃー。我が妹もおバカだったかー。 「まあ、由貴ちゃんはいいとして、鵠沼くん。あんたは、よくそれで医者志望なんて言えるね?ドイツ語言ってみてって言われて、出たのが2って、信じられない。ホント」 そこからしばらく、晴香の説教タイムが始まり、大柄な鵠沼がどんどん小さくなっていく。僕はこの説教に巻き込まれないように、由貴と二人で黙々と部屋の飾り付けを再開させた。 「義姉さん、怒らせると怖いね」 「ああ、まあな。だから僕は極力怒らせないようにしてる」 「兄さんも大変だ」 由貴はまたニヒヒと笑う。 「ちょっと、裕介くん!そこは由貴ちゃんに任せて、あんたはお風呂沸かしてきて!」 「はい!サーセン!」 晴香の怒りのオーラでお風呂が沸くんじゃないかと思う。そして、鵠沼は一時間ほど床に正座させられて、こっぴどなく叱られたのであった。  翌日、目覚ましよりも早く起きた朝。横ではまだ晴香が眠っている。なんか、久々に晴香の寝顔を見たような気がする。可愛い・・・。僕は晴香を起こさないようにそっとベッドから抜け、お湯を沸かす。キッチンの上から二段目の引き出しからドリップコーヒーを出して、晴香が起きてきてもいいように、マグカップを二つ用意する。まだ少し寒い朝。けれども、日が昇る時間がだんだん早くなってきているのは分かる。春本番はもう近い。 「もう、明日か・・・」 カレンダーに目立つように印がしてある日付を見ていると、沸騰を知らせるケトルの音が鳴った。マグカップに、ドリップコーヒーを引っ掛け、ゆっくりお湯を注ぐと、湯気がコーヒーの香りと共に立ち昇る。なかなかいい香りだ。ゆっくり、ゆっくり、マグカップに注がれていく。このゆったりとした時間は、本当に心地いいものだ。奥から、トイレの水が流れる音がした。晴香が起きてきたのだろう。 「おはよう・・・」 半分寝ぼけたような掠り声で言う。 「おはよう」 僕がそう言うと晴香は、僕に抱き付く。たまに来る、晴香の寝ぼけタイム(実は僕にとって最高の時間)。 「今日は早いのね。ごめんね。少しお寝坊しちゃった」 「ううん。僕が目覚まし時計より早く起きただけさ」 「そ。ならいいけど。ちゅーして」 この脈絡の無さがまた良い。僕はキスした。そして、この魔法の時間(?)はすぐに終わり、晴香は通常運転に戻る。  朝食を摂りながらさっき淹れたコーヒーを飲む優雅な休日の朝。部屋の中は、クリスマスを思わせるような飾り付けに、少し落ち着かない。 「いよいよ明日ね。楽しみ」 まるで旅行に行くかのようなテンションで言う。その一方で僕は、何かが喉の奥に詰まっているような、スッキリしない気持ちを抱いていた。とても大事な何かを忘れているような・・・。 「うーっす」 今までで一番早い鵠沼の登場だ。 「あら、今日は早いのね鵠沼くん」 「おうよ!晴香ちゃんのかわいいパジャマ姿を拝みに来たのさ」 その一言で晴香は赤面。すぐに奥の部屋へ着替えに行った。 「お前、殴られるのと殺されるの、どっちがいいかい?」 「い、いいい、いや待て裕介!俺の挨拶ジョークだって、ジョーク!」 その後、晴香の耳に鵠沼の断末魔が聞こえたのは言うまでもない。  今日は、明日のパーティーの買い出しに(鵠沼は主に荷物持ち)出かける予定だ。この後九時過ぎくらいに駅前で由貴と待ち合わせ。三人の支度を済ませ、家を出る。今日は四月中旬並みの暖かさになるらしい。近くの桜の木には蕾が膨らみかけている。もしかしたら、今日の気温で咲いてしまうかもしれないな。  駅前に着くと、すでに由貴は待っていて、僕らの姿を見つけると大きく手を振った。この季節がそう思わせたのか、由貴の姿がだんだん大人の女性に近づいているように見えた。そりゃあ、いつまでも小さい頃のままなんてありえないけど、時の流れに嬉しい反面これから由貴も離れていくことを思うと少し寂しい気もする。 「兄さん、どうした?体調悪い?」 「ううん。何でもない。ほら行こ」 エスカレーターを上がり、ホームで急行列車を待つ。この暖かさで出かける人も多く、新宿方面へは買い物客、高尾山口方面には登山客で賑わっていた。 「ねえ、裕介くん。さっき、ぼーっと何考えてたの?」 晴香はさっきの僕を見ていた。 「いや、大したことじゃないよ。ただ、由貴が少し大人に見えたから」 「なにそれ。そりゃ由貴ちゃんだって、成長するでしょう」 晴香はハハハと笑う。 「まあ、そうなんだけどさ。普段から一緒にいる身近な人って、案外成長とか気づかないもんでさ。さっき僕たちに大きくてを振った時になんか、大人の女性だなって思っちゃってさ。兄として妹の成長は嬉しいんだけど、その反面、あのちっちゃかった頃の由貴にはもう会えないって思うと少し寂しくもなってさ」 「親バカならぬ兄バカ」 「そうかもね・・・アハハ」 すぐ近くで、鵠沼と由貴は何か楽しそうに話している。なんだかんだ言って、結構仲良しな二人。 「でも、うらやましいな」 由貴は電線しかない空を見上げながら言った。 「私は一人っ子だし、兄妹愛っていうのかな。なんかそういうのって羨ましいんだよね。あーあ。私も妹か弟が欲しかったな」 もし、晴香に妹か弟が居たらきっと今よりもっと面倒見の良い女性になっていたんだろうな。 「まあでも、今は義理だけどそうは思っていない妹が居るし。私は満足」 晴香は由貴に初めて会った時も、普通に接していた。由貴も人見知りするタイプではないので、二人はすぐに打ち解けた。それはもう、昔からずっと姉妹で居るような感じで。 「もしさ、子供作るならやっぱり、一人っ子にはさせたくないな」 晴香の一言に僕はドキッとした。まさか、子供の話が晴香の口から出るなんて思ってもいなかったから。 「そ、そうだね」 動揺して、ヘンに声が裏返った。 「あー裕介くん。今絶対、子供の話でイヤラシイこと考えたでしょ?えっち」 僕をからかう晴香がニヒヒと笑う。 「ま、子供を作るかどうかは、もう少し生活が落ち着いてからにしようよ」 僕が言う前に、晴香が自分で話をまとめた。  しばらく、じゃれ合うおバカ二人を眺めると、新宿行きの急行列車が滑り込むようにしてホームに入ってきた。 「ねえ、裕介くん」 「ん?」 「好き」 「ああ。僕も」 電車の扉が閉まる。車内は少し混んでいた。 「こらそこー!公共の場でイチャイチャ禁止!」 由貴にバッチリ見られていた。 「こっちまで・・・恥ずかしく・・・なるじゃない・・・」 由貴は顔を赤らめながら、プイッとそっぽを向いた。そしてその脇でちょっかいを出してくる鵠沼にキツいアッパーを喰らわす。(周りの乗客に迷惑が掛からないように攻撃していた)

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