精神的S
01・拠り所(02)

作品に栞をはさむには、
ログイン または 会員登録 をする必要があります。

 玄関に足を進めると、後ろから足音が聞こえた。振り返ると、姑は見せつけるように舅とキスをしている。  怒りに任せ、乱暴にドアを閉めないように心がけて、平常心を装いドアを閉める。  なつみはいつからか、姑の前では感情を表さないようになっていた。その反動で、外での気性は荒くなってしまい、厳しいキャリアウーマンという目で見られるようになってしまった。  車のドアを開け、運転席に乗り込むと少し乱暴にドアを閉める。  先程我慢した怒りの矛先が車のドアにぶつけられる。  姑は、達之を十六歳の時に産んだ。達之は今年で二十六歳なので、姑はまだ四十二歳である。  しかも、美人だ。姑と言うよりも、意地の悪い姉という印象が強い。  姑と舅は、達之を溺愛している。おそらく達之の口から夫婦間でセックスレスだと聞いたのだろう。ある日を境に、急に見せつけるようにいちゃつき始めた。  座席に凭れて、目を瞑りながら深呼吸をした。  鼻から吸って、口から吐く。  基本的な腹式呼吸を繰り返していると、徐々に気持ちが穏やかになり、姑の姿が目の前から消え、浴びせられた小言も過去のものと少しは割り切れるようになった。  最後に大きく息を吐き出し、軽く『よし』と呟いてから、車を発進させた。今のなつみにとって、車は移動手段のものだけではなく、心の安らぎを得れる場所。自分が自分でいられる場所になっている。  車に乗っていると、どんな事からも逃げ出せるような気がした。  姑の目から逃げ、崩れ始めている結婚生活からも逃げれるような、そんな感覚に。  時折、預金通帳を持ち、このまま知らない地に行ってしまおうかという衝動にかられる時もあるが、三十路が迫った女がそんな事をして、これからの人生どのようにして生きるんだと考えると、その想いを理性がとどめてしまう。  信号が青から黄色に変わったのを見て、ブレーキを掛けた。これ位のタイミングなら、黄色のまま突っ切れたはずなので、後ろから避難するようにクラクションが鳴り響く。  私は、黄色では必ず車を止めた。積極的な性格だが、無茶はしない。そんな性格が何処かに行ってしまおうという欲求を、理性が止めてしまっている原因の一つだろう。  信号は再び青になり、緩やかに車体が動き出す。最初の頃は歩いている人にも追い抜かれる速さだが、すぐスピードが上がり、追い抜いていった人を意図も簡単に追い抜き返した。  歩きの方が疲れるのに、スピードで負けてしまう。その光景を見ていると、機械を使っていると言うより、機械に使われているような感覚に陥る事がある。  私が勤めるドラッグストアーの駐車場に車を停め、ドラッグストアー・リバーブに入った。  回るに競合店がないおかげか、売り上げは順調な店舗。店長を務めるなつみは他の売り上げが上がらない支店から一目置かれている。  リバーブの社員は少ない。その分、短時間で働くバイト・パートの数が多い。その点は他の店舗でも変わりはないので人員人数的な差はないと言えるだろう。  フルで働くバイト、パートは少なく、年収を扶養範囲でように帳尻を合わせるようにしているので、バイトの人数が多くても各々の勤務時間は短い。  社員は、店長になつみを含めて計五人。  脇坂俊男と千田広嗣は現場メンバー。リバーブのマドンナ的存在である川原織絵は、事務関係。  桑野亜由はドラッグストアーには欠かせない薬剤師であり、副店長である。  なつみを含めた五人は実働八時間勤務の、週五日勤務。仕事時間は基本的には固定されているが、臨機応変に変更になる時もある。  開店前の店に入ると、家での嫌なやりとりは完全に消え失せた。これからは仕事の時間だ。主婦でもなく、妻でもなく、女でもなく、社会人としての時間。

応援コメント
0 / 500

コメントはまだありません