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(もう、こんな惨めな自分なんか見たくもない)そう良江が感じた途端、病室のガラス窓に映った白い〈のっぺらぼう〉の姿も掻き消えた。 「だから、母さん、お前に言ったじゃないか。ダメだって。子猫は飼えないって」 「だって・・・・・・だって、アタシ・・・・・・」白い割烹着姿の女性の横に、しゃくり上げるような泣きべそをかいている女の子の姿が良江の前方に映し出された。二人とも花壇の植え込みの奥に並んでしゃがんでいる。 「良江」 (良江・・・・・・って・・・・・・そうか。あれは小学校二年生の私なのか。そして、その横にいるのは母さん。そう言えば、小さい頃の家にいる時の母さんって、いつも白い割烹着を着ていたんだっけ) 「生き物を飼うってことは、大きな責任を負うことなんだよ。子猫だって、お前や私のように命があって、生きているんだから、当然なんだ。だからさ、可愛いから飼いたい、なんて、軽はずみな気持ちで生き物を飼うなんてことは絶対にしてはならないことなんだ」 「だって、アタシ、アタシ、この子が気に入って、ちゃんと世話をするつもりだったのに・・・・・・それに、あんな所に置き去りにされたままじゃ可愛そうだったし」涙を搾り切るように子供の良江が嗚咽を漏らす。 「でも、結局は餌の牛乳をやり忘れて、物置の中で死なせてしまったじゃないか。私もまさか勝手に物置に隠して飼っているなんて思ってもみなかったし、朝から晩まで外で働いているから、気がつかなかった。良江、もう泣くのはおやめ。お前が泣いたって、この子は生き返らないんだ。それより早く、土の中に埋めて供養をしてあげるんだよ」 (そうか。ここは地区の公民館と道を挟んで向かいにある、そう、隣の奈々ちゃんや川向こうの洋子ちゃん達とよく遊んだ三角公園・・・・・・ここで私、あの時の黒い斑のある白い子猫の死骸を母さんに手伝ってもらって埋めている。でも、どうして)この良江のどうして?の意識に感応でもするように、子猫の亡骸の入った段ボール箱を、しゃがんだ姿勢のまま胸と太腿の間に抱きしめている小学生の良江の意識が雪崩れ込んできた。 (だって、だってアタシ、スッゴク腹が立ったんだから。アタシがこの子、ミヨを拾って家に連れて帰って、この子を飼ってもいいって、お母さんに聞いた時のお母さんの言い方に・・・・・・ 良江、ダメに決まっているだろう。お前に生き物なんて絶対に飼えっこないよ。さっさと、その子猫を元の所へ返しておいで。アタシ、ミヨのことが気に入っていたし、世話だってちゃんとするつもりなのに、どうしてダメなのよ。だから、返しに行く振りをして、こっそりと裏の物置の中に隠したんだけど・・・・・・。昨日だけ、昨日だけだったのに。学校の帰りに奈々ちゃんと洋子ちゃん家で一緒に遊んで、夕方に家に帰った時には、何時もは遅いはずのお母さんが仕事から帰って来ていたから、ミヨにミルクをあげられなくなっちゃって。だから、お母さんがお風呂に入っている隙にあげようと思ったのに、毎週欠かさず見ているテレビのアニメに夢中になって、気がついたらお母さんがお風呂から上がってきたから。そう、一日くらいミヨにミルクをあげなくても大丈夫と思って、今日、学校から急いで帰って来て、ミヨにミルクをあげようと物置に行ったら、ミヨが、ミヨが冷たくなって死んでいた。一日くらいで、どうして死んでしまうのよ。でも、そうよ。もとはと言えば、お母さんのせいなんだ。お母さんがアタシにあんなことを言うから。だからアタシ、全然悪くないもの。お母さんが悪いのよ。お母さんが反対したから・・・・・・だから、ミヨは死んだのよ) (そうかしら・・・・・・本当に、そうかしら。それって、おかしいでしょう)良江の意識が小学生の自分の意識に抵抗した。 (母さんが悪いわけじゃない。悪いのはアナタ、いえ、私なのよ。そう、私ってズルイんだ。何でも、母さんのせいにして・・・・・母さんが反対したからこうなった、だなんて・・・・・・本当は反対されてホッとしているくせに。自分の人生なのにね)こう感じた瞬間、良江は自分自身の存在が、目も鼻も口もない、ただ、ぶよぶよとした固体なのか液体なのか、それとも気体なのか定かでないような白い〈のっぺらぼう〉の姿であることを感じ取った。 (私があの白い〈のっぺらぼう〉そのものなんだ)

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