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 五月のゴールデンウィークが瞬く間に過ぎ去り、うっとうしい梅雨の季節が、もう間近に迫ろうかとする頃になると、鈴鹿女医が試みる必死の治療も、その切なる願いも、ことごとく裏切られたように、亜希の容態はより深刻な方向へと向かっていった。  抗ガン剤による副作用で頭髪が抜け落ちたため、亜希は毛糸で編んだ帽子で頭を覆っていた。顔も青白く浮腫んではいたが、亜希の瞳はキラキラと輝き、誰よりも清らかに澄んでいた。  鈴鹿女医が病室を訪れると、いつもその透明感のある瞳で鈴鹿女医の瞳の奥を食い入るように見つめ、 「鈴鹿先生・・・・・、亜希のために、いつもありがとう」と健気な笑顔を向けるのだった。  そんな亜希の笑顔を見る度に、内心では、自らの非力さに打ちひしがれ、胸が引き裂かれそうに苦しくて辛い鈴鹿女医であったが、 「亜希ちゃん、頑張ろう。先生と一緒に頑張ろうね」亜希の手を握りしめ、その手の甲を愛しそうに自分の頬にすり寄せる。  だが、そうこうしているうちにも、遂に亜希の呼吸機能も低下し始め、酸素吸入が必要となった時、鈴鹿女医は涙を浮かべながら小夜子にこう切り出した 「お母さん、申し訳ありません。私、亜希ちゃんを元気にするって、お約束したのに・・・・・、本当に・・・・・。誰か亜希ちゃんに会わせたい人がいらっしゃるのなら、意識がハッキリしている今のうちに・・・・・それから、お母さん、これからは片時も離れず、毎日、亜希ちゃんの傍に付いていてあげて下さい」  それから二日後に、小夜子からの知らせを受け、小夜子の両親、すなわち亜希からすれば、祖父と祖母が緊張した面持ちで亜希の入院先の病院を訪れた。 「亜希」気もそぞろに病室に駆け込むと、二人してベッドに向かって呼びかけた。この時、ベッドの傍らのパイプ椅子に腰掛けていた人影がさっと反射的に立ち上がるのを感じた祖父が、咄嗟に「小夜子」と言い放ったが、 「これは・・・・・」 「亜希ちゃんのお祖父様とお祖母様ですね。私、亜希ちゃんの担当医をしております鈴鹿と申します」鈴鹿女医は、立ち尽くす二人に向かって深々と頭を下げた。 「これは、孫の亜希がいつもお世話になっております。さっきは、失礼いたしました。てっきり、娘、いや、亜希の母親がここに居るものだと思っておりました」 「それで、小夜子は・・・・・・」祖母が横合いから訊ねると、 「お母さんは・・・・・、夕方にはこちらにお見えになるそうです」 「まさか、こんな子を放っておいて、仕事じゃないですよね、先生」鈴鹿女医は困ったように目を伏せた。 「きっと、小夜子の奴は、儂らと顔を合わせたくないんだよ、母さん。今日、儂らがここに来ることを知っているからな。もう、あれから五年もお互いに連絡も取り合ってこなかったのだから、そりゃ顔を合わせ辛いんだろう、小夜子も。でも、亜希には、あいつには内緒でこっそり会っていたからな。なあ、亜希」祖父はベッドに寝かされている亜希に朗らかな笑顔を送り届けた。すると、 「おじいちゃん・・・・・」酸素マスク越しのくぐもった声ながら、亜希は祖父に微笑みかけた。

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