*************** 吾が栗原美津江としてはなく、吾として、習慣化していることがある。その行為自体は、栗原美津江にとっては、はなはだ不都合で、赤面に値するものであるかもしれないが、吾のような純粋な意識生命体としては、この行為こそ、人間の言葉で表現するならば、極めつけの爽快感をもたらすものなのだ。 仕事が引けて、職場空間から居住空間に帰り着くと、吾はアパートのドアに鍵とチェーンをかけ、全ての部屋のカーテンを下ろし、そう、身につけた全てのモノを取り去り真っ裸となって、安堵の溜息を漏らすことになる。 吾にとって、肉体という物質を纏っているだけでも荷が重く不愉快なのに、そのうえさらに、繊維質で形成された布の類で身を隠すなど、もう、吾にっては・・・・・・、この栗原美津江の言語能力による表現では的確では無いかも知れないが、「摂氏三十五度、湿度九十パーセントの室内に監禁された状況」に等しいとも言える。 だから、吾は、羽織っているショートコートを取り去り、スカートを、ブラウスを、そして、パンティストッキングを脱ぐのだが、このパンティスットッキングが曲者で、下半身をくねらせながら、多大なエネルギーの損失を伴い、ヤットコサ脱いだ時には、尻や太股や脹ら脛の肉が約十数パーセントも膨張してしまうように感じてしまう。それから、下着のTシャツからブラジャーへと移るのだが、このブラジャーなるモノに関しては、吾的には、栗原美津江の肉体にとって、意味あるモノとは考え辛い。そもそも、ブラジャーの効用については、バストの形を整える、が、一つ。バストが垂れるのを防ぐこと、が、いま一つあると言われているが、栗原美津江に限っていえば、ブラジャー本体に仕組まれたパットとバストの間に、まだ若干の空間が残されているくらいだから、先程挙げた効用には恵まれないことになってしまう。兎も角、それから、最後に排泄器官と生殖器官を覆うショーツなる小さな布切れを下ろして、晴れて吾は開放感に浸ることが出来るのだ。 ***************
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