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「そうでした。お母さんにお話ししたいことが・・・・・」鈴鹿女医に促されて、ナースステーションに隣接されたカンファレンスルームに小夜子が招き入れられ、ドアが閉められた時には、病室での柔らかくて暖かな笑顔が掻き消され、鈴鹿女医の表情は沈痛で険しいものに変わっていた。 部屋に入り、椅子を勧められるままに小杉小夜子が腰掛けると、鈴鹿女医はデスクの上に置かれたパソコンを操作し始めた。  鈴鹿女医の細くて白い指がマウスをクリックする度に、画面に映し出される画像が変換されていく。 「お母さん、これをご覧ください。これは造影剤を使ったCTの画像ですが、左側が最初に検査を行った時、そして、右側が亜希ちゃんの入院した翌日に映したものです。それで・・・・・」鈴鹿女医は、カチッ、カチッと一定の間隔で右の人差し指を動かしていった。すると、そこには脳頂部から脳底部にかけて順次水平にスライスされた亜希の脳内の画像が映し出された。 「ここです。この白っぽい影の部分・・・・・」 「癌・・・・・ですか」  鈴鹿女医は無言で頷くと、言葉を続けた。 「視床下部に向かって浸潤してきているのです。それに、二つの映像を見比べていただくと、明らかに、右側の画像の方が、一回りも大きくなっています。一か月という期間でこれ程までに・・・・・」 「亜希はどうなるんですか、先生。手術をするんですか」 「患部が脳梁に近い部位ですから、この状態での手術はリスクが大きすぎます。ですから、抗ガン剤による化学療法と放射線療法で、癌細胞を縮小させた後に、コバルト線を照射して患部を消滅させるガンマーナイフでの治療を考えております」 「ですが、先生、このままもし、亜希の癌が大きくなっていくことになれば・・・・・」 「・・・・・」鈴鹿女医は顔を曇らせた。 「亜希は矢張り死んでしまうんですよね」 「お母さん、何てことを言うんです」キッと目なじりを上げた鈴鹿女医が小夜子に向き直り、少し怒りを滲ませた真剣な表情で小夜子の瞳を見つめた。 「そんなこと、させるものですか。私が絶対に亜希ちゃんを元気にしてみせます。ですから、お母さんも出来るだけ亜希ちゃんと一緒にいる時間を作ってあげて下さい。お仕事のことよりも、まず亜希ちゃんのことを一番に考えてあげて下さい。お願いします。お願いします。このとおりです」鈴鹿女医は、何度も小夜子に向かって頭を下げた。そして、この時も、先程病室で味わったあのザラザラとした思いに小夜子は囚われた。 (どうして、この人に、こんなふうに、頭を下げられなければならないのかしら。亜希の母親は私なのに。それに私・・・・・・、さっき、どうして亜希が死ぬことに対して、不思議な安堵感を感じたのかしら・・・・・) 「分かりました」と素直に頷きはしたが、小夜子の頭の中にスーッと流れるように入って来るのは、娘の亜希の姿ではなく、明日行われることになっている仕事の打ち合わせ現場の状況であった。  鈴鹿医師の願いを聞き入れた「分かりました」とは裏腹に、実際、この後も小夜子は足繁く亜希の病室を見舞うこともなく、せいぜい週に一、二度の頻度で訪れるだけであった。  だが、その一方、鈴鹿女医はというと、休みを全く取ることもなく、毎日、外来患者の診察や担当している入院患者へのリカバリーを手早く済ませると、病魔と闘っている亜希の許へと駆けつけ、ベッドの傍らで亜希の容態を見守りながら、包み込むようなとびきりの笑顔で亜希に接し、温かい言葉で励まし続けるのだった。

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