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「栗原さん、今度はさっきの年輩のご婦人?」 「何の話ですか?マスター。あっ、ホットカフェオレとウインナーコーヒーです」厨房横のカウンターに、今し方この店に入ってきたお客さんの注文伝票を並べながら美津江が答えた。 「またまた、気になったんじゃないの」 「凄い、私の思っていることが読めるんですか、マスターは。もしかして、超能力者?」  藤村隆司は、窓際の一番奥の席で、遅い昼食のミートスパゲティを美味しそうに食べている鳥飼景子に向かって、少し戯けたように、両肩をすぼめて見せた。すると、その意を察したように、景子は藤村と美津江の相互に視線を流し、うっすらと微笑んで見せた。  すかさず、藤村が手の平を上に向けると左右に振って見せた。(料理どうですか?)  景子がそれを見て、右の手の平で右の頬を二回叩いた。(美味しいわよ) 「マスター、良かったですね。お料理、美味しいらしいですよ」  藤村は嬉しそうに、今度は左手の甲に右手を下ろすような手話の仕草をした。  正にこの時― 〈カラコロカラリーン〉菱形のステンドグラスの嵌められた樫の木の扉がゆっくりと開けられると、母娘(おやこ)連れが姿を現した。 「いらっしゃいませ」 「いらっしゃいませ」藤村と美津江は同時に、その母娘に声を投げかけた。 「さあ、こちらへどうぞ」畳んだ雨傘を傘立てに立て掛けると、美津江の案内で、小杉小夜子と亜希は、壁際のテーブル席に二人並んで腰掛けた。 「お待ちしておりました」グラスに入った氷水とおしぼりをテーブルに並べると、美津江は小夜子と亜希に笑いかけた。 「何になさいます?」美津江が二人の前にメニューを繰り広げると、小夜子がそれを手に取った。 「亜希はオムライスにする」亜希がすかさずオーダーをかけた。 「そうね。じゃ、オムライスを二つお願いするわ」小夜子が二つ折りのメニューを美津江に返しながら答えると、 「かしこまりました」そして、「エヘン」と喉の調子を整えるように空咳を一つすると、 「マスター、オーダー入ります。フワフワトロトロ卵のオムライス二丁お願いします」と美津江が厨房に向かって叫んだ。 すると、「クス、クス、クスクス」突然、亜希が顔を伏せて笑い興じた。 「亜希、お姉さんに失礼じゃないの」小夜子がたしなめると、 「ママ、亜希、このお姉さんに連れて行ってもらうことにする」 「連れて行ってもらうって、どこに」 「今度の検査。ママの代わりに」そして、(エッ?)と目を真ん丸く見開き、亜希の顔に見入っている美津江に向かって、 「ねえ、お姉さん、いいでしょう。金曜日の二時から、亜希、病院で検査を受けるの。ママ、大事なお仕事で、一緒に行けないから、その日はママの代わりになって。お願い」美津江が人差し指で自分の顔を指して、(ワタシが??)と言うような素振りをする。 「いいですよ。お嬢ちゃん」この時、取り込み中の美津江に代わって、ホットカフェオレとウインナーコーヒーを、もう一組のお客さんのテーブルに運んできた藤村が、背後から美津江の代弁をすると、 振り向いた美津江が、(ダメ、ダメ、ダメ)とでも言いたげに、垂直に立てた手の平を顔の前で何度も平行移動して見せた。 「マスター、お店があるんですよ」 「大丈夫だよ。一時半過ぎには、もう大方片づいているから」 「でも、ねぇー・・・・・・」美津江が、首を長く伸ばすようにして、景子の居る席の方を眺めると、景子がニッコリ微笑み、右の小指を立て、それを顎に二回当てた。 「ほら、この店のオーナー代理からも許可がでたじゃない」 「お嬢ちゃん、金曜日にはこのお姉さんが、君のママの代わりになってくれるよ」 「そんな無理なことをお願いして、亜希ったら、本当に申し訳ありません」小夜子が恐縮して謝ると、 「いいですよ、お母さん。亜希ちゃんだっけ?私、亜希ちゃんの母親代わりを立派に努めさせていただきますから。お任せ下さい」と美津江が拳で軽くポンと胸を一つ叩いて見せた。が、この後になって、 「あっ、そうだ。でも、私・・・・・・」 「どうしたの、栗原さん。この期に及んで」 「マスター、私、まだ子供を持った経験がないんですよね」 「さぁ、僕にそんな同意を求められても、それは栗原さんしか分からないと思うけど。そうか、栗原さんは記憶喪失なんだっけ。二年前に急に天から降って来て、きっと、神戸のどこかで戦争映画か何かの撮影でエキストラをやってたんだろうね。モンペに防空頭巾の出で立ちだったから。まあ、それはどうでもいいか。で、それで何が言いたいわけ?」 「そう。それでですね。その日、どんな服装で行ったらいいか、一瞬、スッゴク悩んじゃったんですよ」真剣な表情で首を傾げる美津江に、顔を曇らせていた小夜子の口元が自然と緩んだ。

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