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「どうしたの?栗原さん」 「えっ!」 「えっ、じゃないよ。さっきから、同じ所を穴があくように見ているからさ」  お客が引けて一段落したのをいいことに、この喫茶店〈サントス〉で雇われマスターとして働く藤村隆司が、ニヤニヤしながら厨房から出て来ると、窓際に佇むウエイトレスの栗原美津江に声をかけた。そして、美津江の傍まで来ると、 「ほら、ここ・・・・・・ここだよ」そう云いながら、南側の広場に面したガラス窓のとある箇所を指し示しながら顔を近づけた。 「あ、なんだ!桜の花びらが窓にへばり付いているだけじゃないか」 「そうみたいですね」 「そうみたいって、栗原さん、この一片の桜の花びらに人生の無常ってやつを感じちゃって、それで乙女チックに見とれていたんじゃ・・・・・・?」 「ム・ジョ・ウって?」美津江が首を大きく傾けた。 「ほら、ほら、そう、そう。ものの哀れってやつだよ」 「モ・ノ・ノ・ア・ワ・レ?・・・・・・なるほど!お情けの方じゃなくて、そっちの無常ですか。ですけど、マスター、それって、残念ながらお門違いもいいところですよ。私、別にこの桜の花びらを見ていたわけじゃありませんから。それに、私、もう今年で二十八になるんで、世間的にも乙女って云われる年齢でもありませんしね」美津江は大きな溜息をついた。 「じゃ、さっきから一体何を見ていたわけだい?教えてよ」 「いいですよ。それはですね・・・・・・。さっき、女の子がこの店の前をこっちからあっちへ通り過ぎて行ったもんですから・・・・・・」栗原美津江は宙に右手の人差し指を横一文字に移動させた。 「その子、栗原さんの知り合いの子か何か?」 「いいえ。でも、何だかとっても気になったんですよ」 「ふーん・・・・・・」イマイチ要領を得ず首を捻る藤村をしり目に、美津江はそのまま無意識に頭に手を添え、ボリボリと力を込めて髪の毛を掻き始めた。この頭の髪の毛を五本の指で挟み、引っ掴むようにして強く掻く動作が、栗原美津江の考え事をする時の癖のようである。 「ところで、気になるって、何が?」 「いやですよ、マスター。それが分かったら、私、こんなに悩んだりしませんよ」美津江はさらに髪の毛を握る手に力を込めた。 「ただ、その子と一緒にいたお母さんが、どこからか飛んできた白い風船に向かって何かを呟いた時に、その女の子が、妙に落胆したような寂しげな眼差しで、そのお母さんの横顔を見つめていたんですよ。それって、何か曰くありげって感じがして、気になるでしょう、マスターも」 「そうかな」再び藤村が首を捻ると、 「そうですよ!」美津江が力を込めて頷き返した。 「ふーん。でも、僕としては、そっちよりも空模様の方が気になるけどな」藤村はガラス窓を通して空を見上げると顔を曇らせた。 その空模様と云えば・・・・・・ そう。ほんの小一時間ほど前から、この季節ならではのどんよりとした花曇の空に綻びが生じたのか、ポツリ、ポツリと小雨が落ち始めた。すると、時の経過を伴い、そのポツリ、ポツリであったものが、徐々に勢いを増して降り出した。そして今では、この喫茶店の窓の外に庇のように突き出ている浅茅色のサンシェードの表面で小躍りでもするように、雨粒が威勢よく飛び跳ね、騒々しい響きを撒き散らしているのだった。

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