〈カンカンカンカン〉警報機の音が響き、上り電車が通過するのを待って、川村テル子は踏切を横切り、自動改札口へと向かった。 駅員が常駐していないこの小さな駅舎の前には、この駅に似つかわしいほど小ぢんまりとしたスーパーがあって、テル子の家は、このスーパーから緩やかに右方向へ湾曲しながら広がるスロープを、今のテル子の脚で十五、六分かけて上ったところにある静かな住宅街の一隅にあった。 若い頃は、とは言っても、テル子が夫と二人して、都会の喧噪漂うマンションから緑豊かなこの地域に引っ越してきたのは四十代の半ばであったが、その頃には、これくらいの傾斜の道なんて、それこそサッサァ、サッサァ、競歩でもするような速さで進むことができたのに、今では、矢張り何と言っても寄る年波のせいか、ゆっくり、ゆっくり、一歩一歩足元を固めるようにして歩くのが常となっていた。 テル子が途中にある小学校の校門の前で、「ふーっ」と一息入れた時、 「この嘘つき婆あ」と人の声が聞こえた。 「えっ・・・・・・」テル子は反射的に辺りを見回した。 (あれっ?) 人の姿は見えない。ただ、前方のコンクリートの電柱の袂に、大きな濡れた目をした灰色の犬がテル子の方を見つめていた。 (あの犬がしゃべる訳ないわよね。きっと、空耳だわ)テル子は口元を歪め微笑むと、右後ろ脚で、耳の下辺りをシャキ、シャキ、忙しげに掻いているずんぐりとしたこの灰色の犬の方へと近づいた。 「あなたが、人の言葉を話すなんて、ある訳ないものね」一瞬、犬の後ろ脚の動きが止まった。 「俺様が、喋っちゃ、悪いのかい、この嘘つき婆あ」見る見るテル子の顔が凍りつき、両目が驚愕の余り大きく見開かれた。 「毎週土日になると、遊びに来るって?お前の息子夫婦に娘夫婦。へぇー、孫が四人もいるんだっけ?男が三人に女が一人。この嘘つき婆あ!お前の所に訪ねてくる奴なんか誰もいねーじゃないか。お前は、いつも独りぼっちで孤独、孤独、孤独。雨戸を閉めて、テレビのボリュームを目一杯あげて、寂しいよ、寂しいよって、泣いて暮らしているくせに。この嘘つき婆あ!」テル子はその場に棒きれのように立ち竦み、ワナワナと震え始めた。そして、突然、「ギャー!!バケモノ!」と周囲に木霊するような恐怖の叫び声をあげると、手に持っていた傘を放り投げ、一目散に走り始めたのだった。 驚愕と恐怖で気が動転したためか、小刻みに震える手で、やっと鍵をこじ開け家に飛び込むと、テル子は座敷の押入から掛け布団を掴みだし、頭からスッポリ被ると、畳の上にひれ伏した。 (嘘つきよ。どうせ、私は嘘つきよ。でも、人にああして話さないと、言葉がクルクルと頭の中に渦巻いて、私・・・・・・、どうにかなっちゃう。いやだ!いやだ!もう、変になっている。犬が私に話しかけるんだから)テル子はそのまま気を失っていった。
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