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 栗原美津江の前で腕を組み、「アンビリーバブル!」とでも叫びたげに、首を捻ったままの畠山看護師が、長椅子に行儀良く座る美津江を見下ろすような体勢で佇んでいた。すると、もう一度念を入れようと思ったのか、今度は膝を折って中腰になると、自分の顔を美津江の顔に近づけた。 「やっぱり、瞬き一つしないじゃないの。うーん!」畠山看護師が困り果てて唸った途端、美津江の両方の黒目がグルリと動いた。 「うわっ!!」この美津江の突然の反応に、驚愕の表情を交え、畠山看護師が後ろへのけぞるようにして、床に両手と尻餅を同時についた。正にこの時- 「センパーイ!」先程の佐藤看護師が、派手でダブダブの服を着た何者かの腕を引っ掴むようにして、今度は兎ではなく猟犬のように走り寄ってきた。 「あれっ、先輩、どうしたんですか?そんな格好をして」 「あれ、あれよ・・・・・・」驚きのあまり、目を大きく見開いた畠山看護師が、人差し指を美津江に当てた。すると、その仕草に対して、これ見よがしに美津江が口を大きく開けて欠伸をすると、  「あーあ、よく寝た」と両腕を頭の上に真っ直ぐ突き上げた。 「生きてる!先輩、この人、生きていますよ。先輩」 「そうよ。確かに、バイタルも呼吸も瞳孔反射も全く無くて、死んでいたはずなのに・・・・・・、どうして、どうしてなの、どうしてなのよ!佐藤さん、何とか答えなさいよ!」  畠山看護師は、錯乱の余り、尻餅をついたままの姿勢で、後輩の太股あたりをパタパタと何度も叩くような素振りを見せた。 「ちょっと、二人ともいい加減にしてよ」ここで、二人の看護師の遣り取りを黙って聞いていたピエロに扮した若い男性が割って入った。 「僕が研修医だからって、からかっているんじゃないでしょうね」 「私達、そんなに暇じゃないわよ。確かに、この人、医学的には死んでいたのよ」畠山看護師は佐藤看護師の手を借りて立ち上がった。 「この場合は、さっきまでですよね、先輩」 「ふーん、死んでいたってねー。君、ちょっといいですか」そう美津江に一声かけると、研修医はおもむろに膝を折り、美津江の手首に親指と人差し指を当てた。 「脈は正常・・・・・・。では・・・・・・」独り言のように呟きながら、今度は美津江の両目を覗き込んだ。 「瞳孔も正常・・・・・・、意識混濁もなしと・・・・・。君、アアーンと、口を大きく開けてみて」美津江が言われた通りに口を開けると、 「理解力もオーケーで・・・・・あれっ!」 「どうしたんですか、先生」佐藤看護師が釣られたように美津江の口の中を覗き込んだ。 「君、右奥に親不知が一本あるね。それ、抜いた方がいいよ。肩こりの原因になるから。よしよし、もういいよ。ありがとう」目をパチパチしている美津江を後目に、この研修医はゆっくりと身体を反転させるように立ち上がると、狐にでも摘まれたような顔で、自分たちの気持ちを持てあまし気味の畠山、佐藤の両看護師に向き直った。そして、ヤレヤレといった顔つきのまま、やおら口を開いた。 「問題があるとすれば・・・・・」 「問題があるとすれば」二人の看護師が鸚鵡のように繰り返すと、 「お二人にあるんじゃないですか。僕をからかうつもりで、こんな真似をしたんじゃないのなら」 「あたり前じゃない!」畠山看護師が語気強く斬りつけた。 「それじゃ、本当に深刻だ。過度のストレスによる幻覚、幻視・・・・・」ここで研修医は皮肉っぽく微笑むと、 「分かった。そうか。そうなんだ。お二人とも、最近、彼氏に愛想をつかされ逃げられたんだ。それで、その失恋のショックが祟って、ついに、あ~、お可哀想に」畠山、佐藤、両看護師の目の色が怒りモードに変わっていくのを見て取ると、 「子供達が待っているから、僕は行きます。もう、こんな悪戯は御免ですからね」二人の看護師からボコボコにされる前に、一矢報いたピエロ仕様の研修医は、スタコラサッサと廊下を駆け出した。 「あの研修医、今度会ったら只じゃおかないから」体を揺すりながら走り去っていく研修医の後ろ姿を刺すような視線で見送りながら、畠山看護師が吠えると、 「でも先輩、私達、徹夜、徹夜で疲れているのかも知れませんね。だって、ほら、この人、普通ですから」 「そうね。そうかもね。そうだ、ちょっと、あなた!」美津江は上目遣いに畠山看護師の険しい顔を見つめた。 「どうして、あなた、こうして指を床に向けていたのよ」 (亜希の頭の部分を指したまま長椅子に座った為に床を指すことになったと、この怖そうな看護師に言ったところで)そう思った吾は、再び美津江の人差し指を廊下の一点に落とすと、ある物体を意識した。 「ほら、そこに・・・・・」 「何、何?」美津江は佐藤看護師の足下から、銀色に光るあるモノを拾い上げた。 「やっぱ、百円玉だ。ほら」美津江は呆気にとられている畠山看護師の手の平の上に拾った百円玉をポトリと落とすと、 「これ、落とし物みたいですから。後は宜しくお願いしますね、親切な看護師さん」こうあっけらかんとした一言を付け加えたのだった。

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