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 それは、昨日の日曜日の夕暮れ時のこと・・・・・・ 「あら、川村さんのおばあちゃん、いつもすいませんね。うち、騒々しかったでしょう。息子夫婦と娘夫婦が孫を連れて遊びに来ていたものですから」隣家の吉井佐和子が声を掛けて寄越した。 (おばあちゃんって、あなたに、そう呼ばれたくはないわ。あなただって、おばあちゃんじゃないの)川村テル子は門扉を押し開いた手を休めて、佐和子の方へゆっくりと振り返った。 「いえ、いえ、吉井さんの・・・・・・奥さん。全然、そんなこと気になさらないでね。そうね、そうよ。子供の声って、年寄りにとって、元気をくれる薬みたいなものですものね」  本当のところは、「奥さん」ではなく、「おばあちゃん」と佐和子のことを呼んでやろうと、一瞬企んだテル子であったが、自分よりも十五歳ほど年下の佐知子に敬意を表して、いや、本当のところは、つまらない言葉のやり取りで隣人と波風を立てるのも面倒くさく思ったために、矛を収めたのだった。 「もう、毎週、毎週のことで、本当にご免なさいね。息子の嫁なんか、毎週、お義父さんとお義母さんの顔を見ないと安心できないって、まだまだ、私も主人も元気なのにね。そうそう、今回は手作りのケーキを作ってきてくれて、これがまた本格的なパティシエが作ったみたいに美味しいの。それに、娘の婿もとっても気さくで、毎週、お義父さんとお酒を飲むのが僕の楽しみなんですって、いつも珍しいお酒を持ってきてくれるんですよ。それに、三人の男の子と女の子の孫達も・・・・・・」 (私、一体いつまで、この吉井おばあちゃんの身内の自慢話に付き合わなければならないのかしら)目許を除く顔の表情は微笑みで固めたまま、テル子は機械的に頷き続けた。 気の抜けた読経のように、長々と続いていた佐和子の話が一腐れでもしたのか、 「あら、まー、私ったら。川村さんのおばあちゃん、それじゃ、またね」と打ち切りの言葉だけをテル子の前に投げ捨てて、自分はさっさと引き上げて行った。  気怠い思いで玄関のドアを開けて、家の中に入ると、いつもの静寂がテル子の身体を包み込んだ。すると、同時に孤独感と寂寥感がゾクゾクッとテル子の背筋を駆け抜けた。 「そうよ。だから、お休みの日は嫌いなの。人の声って、騒々しいもの。特に子供の声っていったら、もう、甲高くって、キィーキィーって、私には合わないのよ」玄関の上がり框のところに、さっき、駅前のスーパーで買ってきた食料品の入った布製の買い物袋を無造作に置くと、テル子は少し声を荒げ、宣言するように言い放った。  実際に、隣家の話し声がうるさくて、土曜日から日曜日にかけての二日間、テル子は家中の雨戸を全て閉め切って、蛍光灯の明かりの下で、テレビのボリュームを目一杯上げて過ごすようになった。  やがて、潮が引くように、日曜日の午後の三時をまわる頃、隣家の目障りなお客様がご帰還あそばすと同時に、満足そうに雨戸をこれ見よがしに開け広げ、駅前のスーパーへと買いだしに出かけるのであった。そして、今やこれがテル子の生活習慣と言えるものになっていた。  一階和室の仏壇の前に正座すると、テル子は鉦をチーンと打ち鳴らした。そして、位牌の横の写真立ての遺影に向かって、 「三年前に、あなたが亡くなって、私は独りぼっち。よくも、独りにしてくれましたね、あなた。そうだ。若い頃の過ちでもあって、隠し子の一人もいないんですか。その人が、あなたの孫にあたる子供を連れて、ここに訪ねて来たりしても、私、いっこうに構わないんですよ。でも、あなたの浮気相手が訪ねてきたら・・・・・・、そうよ、私、矢張り怒るかもしれないわね。身勝手よね、私って。でも、真面目だけが取り柄のあなただから、ちょっと、無理っぽい想像だったかしら。そういうのって。そうだわ、明日はあなたの月命日だから、福音寺さんへお参りに行きますからね」テル子は再びチーンと鉦を打った。

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