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 昭和二十年三月十七日―その日、神戸で大空襲があった。中道商店街の借家で一人暮らしをしていた栗原美津江は、けたたましく鳴り響くサイレン音に背中を蹴られる思いで、慌ただしく防空頭巾を被ると、着の身着のままの姿で往来に転げ出た。 「国鉄三ノ宮駅の広場だ。そこに避難しろ!」自分の脇を通り過ぎた近所の男の声を頼りに、その避難所を目指した。  バラック小屋の建ち並ぶ路地を駆け抜けようとした時、雲間から降ってきた焼夷弾が美津江の頭上を襲った。そして瞬時に、その凄絶な爆発による火の手が美津江の行く手を阻んだ。  恐怖に慄き、美津江はその場で身を縮めた。だが、次の瞬間、辺り一面に紅蓮の炎が乱立し、次から次へと小屋が焼かれ薙ぎ倒されていく。 (もういけない・・・・・・)死を観念した美津江は、木綿の着物の懐を弄り、忍び持っていた小さな十字架を取り出すと、それを両手の平で握りしめた。渾身の力を込めて。  火の粉が舞い散る中、路上に跪いた美津江は、黒煙が立ち上る天に顔を晒し、自らの人生を懺悔する言葉を、一心腐乱に呻くように唱え始める。 「主よ、私のこれまでの人生は、悔い改めるべきものでした。社会に囚われ、人を妬み、挙句の果ては親の恩をないがしろにする・・・・・・私は大切なものを見失うことなく、もっと自分らしく素直に、自分の人生を自分の責任において真摯に生きるべきでした。こんな私でも祝福して下さいますか、天国にお導き下さるでしょうか・・・・・・」  美津江の瞳から涙が溢れ、頬を伝い、頤から地面にポタリ、ポタリと落ちた。  この間も炎は勢いを増し続け、燃え盛る小屋の屋根が崩れ落ちるように美津江の頭上へと押し寄せる。 「主よ、今、御元へ・・・・・・」美津江の乾いた唇が微かに動いた。と、感じた瞬間、天から一条の光明が射られた。それが全能の神ゼウスの放つ雷であったのかは知る由もないが、その燦が一直線に美津江の躰を貫いた。すると、極彩色に輝く光の繭となって美津江の全身を包み込んだ。振動と轟音が周囲にこだますし、光の繭から得体の知れないエネルギーが放出される。     その刹那・・・・・・、美津江の姿はそこから霧のように跡形もなく消え失せてしまっていたのだった。                                   ―平成十三年三月十七日の黄昏時、栗原美津江は被災した同じ場所で、気を失って倒れているのを一人の女性によって発見された。

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