「いじめ……? 俺の母さんが、陽菜のお母さんに? 一方的に?」 「そう、それで、私のお母さんは引っ越して、大学にも行けなくて、しばらく病院に通ってたって。でも、結婚して私を産んですっかり治ってたところに、今回の件で思い出してパニックを起こしちゃったみたいで」 なんとなく、奏哉は「双方のトラブルがこじれた結果」だと思っていた。一方的な加害者と被害者ではないと、思っていた。 反応を見る限り、深く傷ついて見えたのは陽菜の母親、久美の方だ。 だから、そう思いたかっただけなのかもしれない。 だけど、玲子が、自分の母親が、引っ越しをするまで相手をいじめて追い詰める? そんなことがあるだろうか。 奏哉にとって玲子は、多少「親バカ」というか、息子に対しての執着を少し強めに感じてはいたが、それも愛情の一つでそれほど不満を持ってはいなかった。 それは、父親と離婚してるというのも大きかったと思う。 父親に不倫されて離婚して、女手ひとつで奏哉と遥斗を育ててくれた。 奏哉は子どもながらに「母親を困らせてはいけない」と思って今までやってきたし、感謝もしていた。 もちろん、子どもを虐待するようなことなどひとつもなかった。 父親に会って話をしたいと思ったこともあったけど、玲子が嫌がるので言わなくなった。 「本当に……? いや、ごめん、ちょっと信じられなくて。うちの母親は、善人とまではいわないけど、そんなことをする人間だとは思えない……」 「そうだよね、そうだよね? ごめんね、私も信じられないけど」 「だって現場を見たわけじゃないだろ。もしかしてなにか事情があったり、いじめと感じてたのは陽菜のお母さんの思い込みかもしれない」 言ってから、はっとした。 陽菜の顔が驚いたように目を見開いて、それから真顔になって言った。 「そうだよね、私は現場を見たわけじゃない。でも、今お母さんが苦しんでるのは事実だよ」 今までにないほど冷たく、強い言葉だった。 「私は今のお母さんの状態を見て、全部思い込みだったんじゃない? なんて言えないし、そうは思えない」 「当事者じゃないと、当時何があったかわかんな……」 「そうだね。……でも私はこれ以上聞けない。思い出したらパニックを起こしちゃうの。また病院にも通ってる。私にとってはそれが現実。奏哉のお母さんが、もしなにか言ってたら教えて欲しい」 奏哉の言葉を遮ってそう言い、それから「今日はもう帰るね」と陽菜は立ち上がった。 奏哉は、陽菜とをめることはできなかった。 言ってはいけない言葉を言った自覚はある。 だけど、陽菜の言葉をどうしても否定したい自分がいたのは紛れもなく事実だった。 * 「ただいま」 「おかえり、ちょっと話があるんだけど」 夜、奏哉は帰ってきた玲子を待ち構えていた。 聞きたくない、知りたくないという気持ちと「はっきりさせないといけない」という気持ちがごちゃごちゃになって襲ってきた。 だけど、今それから目を逸らしたら陽菜は自分から去っていくだろうと感じた。 陽菜の強い言葉を思い出す。 そして、こんなふうに否定しては想像して、答えの見つからないことに悩むのはしんどかった。 春休み、陽菜の家に行ってからずっとそれを繰り返していたし、この数時間は具体的になっただけにもっとつらかった。 気持ちの逃げ場がない。もう、早くはっきりさせたかった。 なんとなく話の内容を察したのか、玲子は「疲れてるんだけど今度じゃダメ?」と言ったが奏哉は許さなかった。 「前に話した、彼女の母親の話」 「別れなさいって言ったでしょ」 間髪入れずにそう返ってきた。 「理由を教えて。それだけで納得できるはずないだろ」 というと玲子は黙り込んだ。 ――なんで黙るんだ。 「今日彼女に聞いたんだ。母さんが、高校時代にひどいいじめをしていたって……」 「いじめじゃない! ……ちょっと、けんかしただけよ」 反射のように否定の言葉が返ってきた。 その反応に奏哉は嫌な予感をじわじわ感じていた。 「……20年以上前にケンカしただけの相手なのに、別れろっていうのはおかしいだろ」 「奏哉!」 玲子は奏哉を黙らせるように名前を叫ぶ。 奏哉は一旦黙って玲子の次の言葉を待った。 「あの人は……ちょっとおかしいのよ。その子どもだったらきっとまともじゃない。そんな子に大切な息子と付き合ってるなんて許せるはずがないでしょう!」 最初は冷静のようで、話続けるうちにどんどん必死に声を荒げる玲子とは反対に、奏哉は気持ちが冷たくなっていくのを感じた。 目の前にいるのは自分の母親なのに、信じたいと思っているのに、知らない人のように感じた。 「もしそれが本当だったら、なにがあったのか話して。今すぐ」 「それは……」 「言えないの?」 母親を悪く言いたくない、母親がいじめの加害者だなんて思いたくない。 そう思う一方で、奏哉は冷静に感じていた。 玲子は今、嘘をついている、と。
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