透明な罪のゆくえ
20.奏哉の苦悩

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 玲子が嘘をついている、奏哉はそう感じた。  だけど、それをそのまま「玲子がひどいいじめをしていた」と認めることができなかった。  まだ、わからない。玲子がそう言ったわけではない。  なにかしら隠し事はあっても、自分の母親がそこまで酷い人間だとは思えない、思いたくない。  言い聞かせに近い状態になってることに、奏哉は半分気づきながら、それでもその思いを手放すことがどうしてもできなかった。  言い合いになったあと、弟の遥斗が心配そうにこちらを見ていた。  その視線に気づいたけれど、フォローする余裕は奏哉にはなかった。  遥斗は、奏哉よりもっと幼い時に父親と離れていた。  玲子は、いきなりひとりで奏哉と遥斗を育てなければいけなくなった。  だから奏哉は必死に遥斗の面倒を見た。  そのせいか、遥斗はよく奏哉に懐いていたし、大きなケンカもない。兄弟仲はすごく良い方だと思う。  玲子に負担を掛けたくないという気持ちが一番にあったから、常々「いい子」「優等生」「周りから賞賛される子ども」であろうとした。  中学時代、反抗期で荒れるクラスメートを尻目に、奏哉には玲子に反抗するようなことはなかった。  それもこれも、「たったひとりで育ててくれる母親を自分が支えないと」という気持ち、ただそれだけだった。  陽菜や、よく友達や教師にも言われる「常に周りを見て気が使える」という奏哉の評価は、そういうところから育ったんだろうと自分でも思う。玲子の負担を常に気にしてきた、癖のようなものだった。  そのせいか、玲子とも今まで本当にうまくやっていた。  玲子は常々奏哉を「本当に良く出来た子」と言うし、「自慢の息子」とも言った。  それを負担に思うことは今までなかったし、父親に対しても、不思議と怒りはなかった。  不倫して離婚、最低だと思う。  最低だとは思うが、記憶の中にいる父はとても優しく、どうしても恨むことができなかった。  父が家を出ていくとき、小学生の奏哉と目線を合わせるために腰を下げ、頭をなでて言った。   「ごめんな、奏哉」  父の目と言葉が、奏哉は忘れられなかった。  ――こんなときに、父さんがいたら……  ふと奏哉にそんな思いがよぎった。  小学生の頃何度か「父さんに会いたい」と言って玲子に悲しい顔をさせてから、封印していた気持ちだった。  陽菜が当人である母親ではなく、父親に話を聞いたというのが奏哉には強く残っていた。  父ならなにか知っているかもしれない。そう思った。  その日も、翌日も、学校で陽菜とは同じクラスにいたけれど、ほとんど話もしなかった。  玲子とした会話も、陽菜には伝えていなかった。  本当は伝えるべきだろう、陽菜にも「教えて欲しい」と言われていた。  でも、伝えたくなかった、というのが正直なところだった。  陽菜からも聞かれることはなかったし、連絡もなかった。  玲子とも、それ以来まともに会話しない日々が戻っていた。  遥斗には申し訳ないと思いつつ、それ以上今の奏哉にはどうしようもなかった。  どうしようもなくもどかしい、だけどどうしていいかわからない、そんな日々が1週間ほど続いた。 「ただいま」   家に帰ると、いつもはまだ帰宅していないはずの玲子が家にいた。 「ああ、奏哉……おかえり」  玲子の顔が目に見えて疲れていた。 「……どうしたの」  リビングに続く扉を閉めて玲子のいるところへ向かうと、玲子の前には遥斗がいた。  しゃがみ込んで、顔を伏せている。 「遥斗? どうかしたの」  もう一度、聞く。  いつもの空気ではなかった。  玲子が、ふう、と大きくため息をついた。  言いたくなさそうに玲子は言った。 「遥斗がね……クラスの子とケンカして……遥斗がその子をいじめてたんじゃないかって担任から連絡があったのよ」  遥斗が、びくりと肩を震わせる。 「遥斗が……? 嘘だろ……」  また、「いじめ」だ。なんでこうもいじめというものが奏哉の周りにまとわりつくのか。  奏哉は自分の気持ちを止められなかった。 「遥斗!」  無理やり弟の顔をあげさせ、胸ぐらをつかんで壁にぶつけた。  どん! という大きな音がした。 「おまえ……なにやってんだよ、おい!」  怒鳴る奏哉に、「奏哉、やめて!」と言う玲子の声がかぶる。 「うるさい! そもそも母さんのせいじゃねえのかよ!」  奏哉は怒鳴る。  玲子の顔が凍り付いた。 「母さんが、昔いじめなんかするから……こうやって子どもに伝わるんじゃないのか……」 「ちがう、俺はやってない!」  いつの間にか涙を流していた遥斗が叫んだ。   奏哉の手が緩む。 「おれは……いじめなんか……してな……してないっ」  奏哉の手から解放されて、首元を抑えながら言葉を紡ぐ。 「母さんは悪くない……奏哉なんか嫌いだ……母さんに謝れ!」  泣きながらこちらをにらみつける遥斗。  奏哉は、居た堪れなくなって家を飛び出した。 「奏哉!」  玲子の声が背中に聞こえた。

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