「お邪魔します……」 緊張しながら、奏哉は陽菜に促されて玄関に入る。こんな形でもう一度陽菜の自宅へ来ることになるとは思っていなかった。 体育の授業で倒れた後、奏哉は保健室の先生に促されるまま早退し、自室で眠った。寝不足の中無理して走ったため身体が疲れていたようで、朝方まで熟睡した。途中玲子が様子を見に来た記憶がなんとなくあるが、夕飯も食べず眠っていたようだった。 目が覚めると妙に頭がすっきりしていた。 保健室で夢を見て、目が覚めたときに陽菜の声が聞こえた。咄嗟に出た「陽菜のお父さんに会いたい」と言う言葉。奏哉はここにきてはじめて、できることなら父親に頼りたいと思っていた。だけど、色々と出て来た懸念や疑惑によって今すぐ頼っていいかわからなくなってしまった。 陽菜の話を聞く限り、陽菜の父、直人は「父親がいたらこうだったのか」と思わせる存在だった。陽菜はもちろん、奏哉の状態まで心配してくれていたと陽菜から聞いていた。 その言葉で、陽菜は奏哉に会いに来た、と言った。 娘の彼氏と言う立場で、その存在のせいで奥さんが倒れ、娘は苦悩しているのに……それを聞くまで、当然、迷惑がられているだろうと思っていた。 陽菜はもちろん支えてくれている、でもこの話はもう高校生である奏哉や陽菜には重くなりすぎた。大人に話を聞いてもらいたい、相談したい。そう思った時に浮かんだのが陽菜の父親だった。 目覚めたときの第一声に驚いた陽菜はそれでも「わかった、聞いてみるね」と言った。陽菜にはまだ、詳しいことを話していない。「なんで?」と問わない陽菜に、奏哉は感謝した。スマホを確認すると陽菜からメッセージが入っていて、週末の自宅へのお誘いだった。 そして今日、奏哉は陽菜の家に来ている。はじめてここに来た日、あの日から思いもよらないことがたくさん起こった。奏哉がここに来たせいで、陽菜の母親が倒れてしまった……そして今も、回復していない。それは奏哉にとって、重い事実だった。 家に上がってリビングにつながるドアを陽菜が開ける。そこには大人の男性……陽菜の父親がいた。 ソファに座っていたところを、奏哉が来て立ち上がる。 「はじめまして、愛宕奏哉です。陽菜さんとお付き合いさせていただいています。本日は時間を頂きありがとうございます。」 事前に考えて来た言葉を一気に言い、勢いよく頭を下げた。 頭上から、ふっ、と笑うような音が聞こえて、顔を上げると陽菜の父の柔らかい笑顔があった。 「はじめまして、陽菜の父、直人です。奏哉くん、よく来てくれたね」 その優しい声にほっとした。 陽菜から聞いていたイメージ通りの人だった。 ソファよりテーブルのほうが話しやすいかな、と直人と陽菜が話して、テーブルのところへ促される。入って左側にソファとローテブル、右側が、おそらく食事をしているのだろう、食卓のようなテーブルとイスがあった。向かい合ってじっくり話すなら確かにこちらのほうが話しやすそうだ。 椅子に座ると陽菜が冷たいお茶を入れてくれた。そして自分の分を持って、奏哉の隣に座った。向かいではなく、隣に座ってくれることに心強さを感じる。 向かいに直人が座る。 「奏哉くん、お礼が遅くなって申し訳ない。先日は妻が倒れたとき、対応してくれてありがとう。素早く素晴らしい対応だったと陽菜からも聞いてる。突然で驚いただろうに、本当にありがとう」 そう言って直人に頭を下げられる。 奏哉は慌てた。 「いえ、それは……咄嗟のことだったので……それより、俺のせいで倒れてしまって……」 『自分が来たせいで倒れたこと』は明白だったが、ごめんなさいというべきか、母がすみませんと言うべきか判断ができず、言葉が消えてしまった。 それ以上何も言えなくなってしまい、ちょっとした沈黙があった。直人が気分を悪くしたのではないかと思い下げていた視線を上げると、直人のが真剣な目と目が合う。 「奏哉くん、これからどういうことがわかっても、もちろん先日のことも、奏哉くんのせいではない。それは覚えておいて」 ゆっくり、そしてちょっと強く、言い聞かせるように直人が言う。 思いもよらないその言葉に、奏哉は目が熱くなるのを感じた。 ぐっと堪える。 その表情を見て直人は続ける。 「本当は、ここには来づらいかなと思ったんだ、外の店で会ったほうがいいんじゃないかとも考えた。でも、なんとなく奏哉くんにはここにきて話がしたかった。こちらのわがままで申し訳ない」 奥には久美がいる。そう聞いている。そんな中、自分が行っていいのか、奏哉も迷った。正直、また聞きたくない事実を突きつけられる気がして怖かった。だけど、こちらからお願いしている立場で場所を変えてもらうことはもちろんできなかったし、なにより陽菜と、陽菜の父親である直人を信用しようと思って来ていた。 そんな思いは見透かされていたのだろう。 改めて、この人に話を聞いてほしい、と奏哉は思った。
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