六秒笑女 -Six Sec Girl-
【第4話】六秒笑女の正体

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 奇跡は、会社の朝礼で起きた。  岸本部長が紹介した、  新入りアルバイトの荒牧という女性。    彼女が来ていたTシャツにプリントされたデザイン。  それは、『お豆』。  お豆くんとか、お豆ちゃんのような  キャラクター的なことではない。  ガチガチリアルな実写お豆Tシャツだ。  彼女の胸元で、存在感を主張するお豆。  それが僕の目に飛び込んできた瞬間、僕は反射的に独り言を発した。 「六秒笑女!?」   僕の声に岸本部長が反応する。 「西野く〜ん、今何か言った〜?」   「あ、いや、なんでもないです」 「なら、いいけど。  じゃあ、荒牧さん、  自己紹介をお願いします」  お豆Tシャツを着た荒牧と呼ばれる女性が、岸本部長に「はぁい」とユルめに応じて、自己紹介を始めた。 「皆さん、初めまして〜。  荒牧ほなみ、と申しますぅ」  彼女の喋り方は、ミルクココアのように甘い。  その甘さは、男性社員をメロメロにし、女性社員のお局連中から完全に嫌われるタイプのやつだ。  独特のリズムを刻むキャピキャピとした不思議な喋り方。  カワイイ……、  あっ! いやいやいやいや!  そんなことよりも、下の名前!    ほなみ、だよ!  ほ・な・み、だって!    嘘でしょ!?  驚愕しすぎた僕は、再び大きめの独り言を繰り出してしまう。 「ほなみん!?」  致命的な僕の迂闊に、再び岸本部長が注意。 「西野く〜ん、だから何よ〜?」 「あ、い、いえ、すみません。  ……何でもありません」   「ちょっと若くてカワイイ子が  入ってきたからって  浮かれすぎだって〜、西野く〜ん」  岸本部長の一言で、  スタッフ一同がドッと笑った。     僕は頭を掻いて、  ペコペコするというベタな対応でその場を凌いだ。 「荒牧さん、何度もゴメンね〜。  うちの西野がのぼせちゃって。  改めて自己紹介お願いね」    荒牧ほなみは満面の笑みで、 「部長さぁん!  今ので自己紹介終わりですぅ」  と応じる。 「え!? おわり!?」  部長は素っ頓狂な声をあげた。 「はぁい!   自己紹介の任務完了でぇす!」 「いや、荒牧さん、短すぎだって」 「自己紹介ってぇ、  こんなもんじゃないんですかぁ?」 「荒牧さん、今のじゃ名前しか  言ってないじゃん。  六秒くらいだったよ?  もうちょっと詳しく話してよ~」    僕は脳内で、  「ん!? ……六秒!?……」  と反応した。 「この部長の岸本に免じて、  もうちょっと長めに  自己紹介してよね~」 「わかりましたぁ。  もういっちょ頑張りますぅ」  と言って、彼女は自己紹介を続けた。 「荒牧ほなみ、と申しまぁす。  えっと〜、私は、いまぁ、  現役の大学生してまぁす。  JDでぇす。  広告業界でのアルバイト経験も  ないので、ガチでわからない  ことだらけですがぁ、  少しでも社員さんをうまく操れる、  あ、いや補助できるように  一生懸命頑張りまぁす!   そもそも、なんで私が、  がつがつアルバイトをするかって  言いますとぉ、今、  超欲しい洋服があってぇ。  真っ赤なワンピースなんですけどぉ。  この前たまたま銀座に行った時にぃ、  GINZASIXに  寄ったんですけどぉ、  ワンピと運命の出会いをして  もう忘れられなくてぇ、  もはやワンピ沼から抜け出せれない  って感じでぇ……、  でも、財布の中には、600円しか  入ってなくてぇ、  金欠でどうしよかって思ってぇ、  スマホでバイトを検索したらぁ……」    僕は再び脳内で、  「ん!?   ……GINZA SIX!?   600円!? また六だ!?」  と反応した。  部長のリクエストに従順に答えた彼女の自己紹介は、そこからエターナルなんじゃねえかって思われるくらいに長く続いた。  朝っぱらから、全くもってどうでもよい彼女のワンピース事情を聞かされる複数の大人たち。  そろそろ、もういいんじゃないかって誰しもが思った時、  彼女は「以上、私の自己紹介でしたぁ! よろしくお願いしますぅ~」と自己紹介を切り上げた。  僕の脳みそは先ほどの予感を察知し、オフィスの掛け時計を確認した。  荒牧ほなみの自己紹介を開始したのは、朝礼開始とほぼ同時刻。  朝礼開始時刻は、9時30分  今の時刻は、9時36分。    ……六分。……六。  ……偶然なのか。  岸本部長の拍手をキッカケにして、  スタッフ一同、温かい拍手で彼女を迎えた。  再び岸本部長が仕切る。 「皆、荒牧さんと仲良くしてあげてね。  出勤日は、大学の授業との  兼ね合いで、  週2日から3日になる感じです。  当面は全般的な事務補助の仕事を  してもらいます。  皆、なんでもお願いしてください」  スタッフ一同が  声を揃えて「はい」と部長に応じた。    岸本部長の言葉は僕の鼓膜の右から左を通って流れて行き、僕はウワノソラでじっと荒牧ほなみを見つめ、  『六』の偶然に対して、  様々な考えを巡らせていた。 「あと、西野く〜ん?」  考えを巡らすことに夢中であった僕に、岸本部長の言葉は届かない。    同僚の南野が、肘で背中を押して気づかせてくれたことによって、僕は自分を取り戻した。 「西野く〜ん、僕の話、  聞いてるの!?」 「あ、は、はい! 聞いてます!」 「嘘つけ! また、じっと  荒牧さんの事を見つめて、  ボーッとしてたじゃないのよ!  頼むよ〜、西野く〜ん!」  僕は「はぁ」と返事をした。  僕の返事に、再びスタッフ一同がドッと笑う。 「社員証だよ!」 「しゃ、社員証……?」 「社員証だよ、社員証!   荒牧さんに、社員証を  用意してあげてって言ってんのよ」 「は、はい! かしこまりました」  僕はもう一度、荒牧ほなみを見た。  彼女は首を傾けて、ニコニコと笑っていた。    やっぱりカワイイ。  うん、カワイイ。  その日は金曜日だった。  仕事を終えて帰宅。  僕は自宅で缶ビール片手に机に座り、パソコンを起動した。  今日出会った荒牧ほなみという女性。  そして偶然なのか、故意なのか、  ―六秒。  ―600円。  ―六分。  ―GINZA SIX。  彼女にまとわりつく『六』という数字。  僕の脳裏から『六』が離れない。  僕は、お気に入りからお目当のサイトへ。デジタル時計の時刻は、夜10時を指す。  予定通り、六秒笑女の新着動画がアップされている。  僕はそれをクリック。  昼間に見たものと同じお豆がプリントされた白Tシャツを着て、黒帯で目隠しをしている女子大生が登場する。  背景を確認すると、カラフルな滑り台やシーソーが見える。  どこかの公園のようだ。  今日のギャグは、夜の公園からの配信らしい。  3秒間、直立不動で沈黙。  左手の親指と人差し指で輪っかをつくり、自分の頬っぺたにもっていき、タコ焼きをつくって一言。  『ぺちゃぽー』  僕は確信して、パソコンの液晶に向かって力強く話しかけた。 「うん、絶対だ! 間違いねー!  間違いねーよ! 完全にそうだわ」  黒帯の下に見え隠れする、  目尻の泣きぼくろ。  透明感のある化粧っ気。  色白の肌。  ツヤツヤなブラウンカラーの髪。  笑うと頬っぺたに、えくぼ。  そこそこの巨乳。  ゆるい声色の感じ。  なによりも、この  ガチガチリアルな「お豆」を  前面に押し出した、尖りに尖った  デザインTシャツを  私服にチョイスするセンス。  今朝の朝礼での、  『六秒』『600円』『六分』『GINZA SIX』という、  『六』にまつわる事柄。  彼女が何故ゆえに『六』にこだわるのかは、現段階ではわからない。    しかし!  一ついえること!   総合的に判断して、彼女こそが六秒笑女に間違いないということだ!    どっからどうみても、絶対、六秒笑女じゃん!   完全に、ほなみんじゃん!  やった! よっしゃー!  これって、  いわゆる引き寄せの法則じゃん?   ほなみんとこんな感じで会えんのか、俺は。これ、もしかして、運命の出会いじゃね?   よっしゃ! よっしゃー!  僕はパソコンの液晶に頬をスリスリした。心の底から叫び喜んだ。  生きていればいいことだってある。  僕は命を救ってもらった画面の向こう側にいる彼女と、リアル社会で運命的に出会うことができたのだ。                    *  その翌日から、僕は俄然仕事に精を出した。    だって、そりゃそうでしょう?   我が辛抱エージェンシーに、六秒笑女ほなみんが入社してきたのだ。  不思議なもので、精を出せば出すほど仕事が好転する。  自殺志願者であった人間だったなんて自分でも思えない。  今は仕事に対して、ポジティブな気持ちしかない。  やる気がみなぎっているのだ。  やる気の源泉はただ一つ。  ほなみんにカッコいい自分を見せたい、ーこれしかないでしょ。    今日は取引先の会社で商談がある。  僕は「行ってきます!」と元気な声を出して、オフィスの自動ドアをくぐった。    辛抱エージェンシーのオフィスは、駅ビルの8階フロアを借りているので、外出する際には、エレベーターで1階まで降りて行かなければならない。  僕は、ふ、とエレベーターが降りてきているのに気づいて駆け出した。  オフィスの自動ドアから、エレベーターまで10メートルほどの距離。    エレベーターを捕まえようと駆け出した瞬間、曲がり角から女性が飛び出してきた。 「うわっ!!」   「きゃー!!」  僕らは曲がり角で、正面衝突して転倒した。    僕は手に持っていた鞄を落とした。  ぶつかった相手が持っていた大量の書類が、辺り一面に散らばった。    彼女は仰向けに倒れて尻餅をつき、僕は彼女の体の上に覆いかぶさるような体勢となってしまった。 「イタタタタタ……」 「ご、ごめん。大丈夫?」 「だ、大丈夫ですぅ。  こちらこそ、ごめんなさぁい」  彼女の顔をよくよく確認すると、まさかの、ほなみんであった。 「荒牧さんじゃん!」   「はい……。書類持っててぇ、  よく前を見れてなくて〜。  ごめんなさい」 「いや、こちらこそ、ごめんね。  俺も急いでて……」  ほなみんに覆いかぶさって、正常位感丸出しだった僕は、慌てて彼女から離れて立ち上がり、距離をとった。  僕は散らばった書類を拾い集めた。    彼女もゆっくりと立ち上がり、僕の顔を覗き込んだ。   「あのぉ……」   「ん? 何?」 「西野……さん、ですよねぇ?」 「う、うん。そうだよ。  よく名前覚えててくれたね」  名前を記憶してくれていたことに、  僕は少しだけ期待した。 「これぇ」 「え?」 「社員証」 「あ、社員証ね」 「社員証、作ってくれたの西野さんですよねぇ?」 「うん、そうだよ」 「あのぉ、西野さぁん?」  やっぱり、ほなみんの喋り方は、  ミルクココアのように甘い。 「なに?」 「ちょっと西野さんに〜、一生のお願いがあるんですぅ〜」 「一生のお願い?」  体をモジモジ、クネクネする彼女の一生のお願いに、僕はもう一度だけ期待した。 「この社員証なんですがぁ、  シューセーとかってできますかぁ?」 「え? 修正?」 「はい、シューセー」 「うん、できるよ」 「本当ですかぁ?」 「どっか間違えてたかな?」  彼女は首からぶら下げた社員証を右手で持って、僕の顔の前に持ってきた。    「私の名前はぁ、  荒牧ほなみ、なんで〜す」 「うん、知ってるよ」 「ほ・な・み、です」 「うん」  僕は彼女の社員証に目を凝らした。  社員証に記載されていた文字は、次の通り。     ―(株)辛抱エージェンシー       企画部 荒牧ほなみんー 「あぁぁぁぁぁぁ!!!」  彼女は、フフフフフ、と  無邪気な笑みを浮かべている。   「『ん』がついちゃってる!  荒牧ほ・な・み・ん、  になってるね! ごめん!」  彼女は悪戯な表情をして、  「ほ・な・み・ん、も可愛いすぎて、やばたにえん、ですけどねぇ」  と僕をフォローした。  キュートな彼女の瞳の奥に、  僕を試験するような  挑戦的な何かを感じた。  ー僕は、思った。    ある意味!  『ほ・な・み・ん』であっても正解じゃないのか!?  昼間は『ほなみ』。  でも、金曜日の夜、君は『ほなみん』に変わるんじゃないのか!?    貴様は、六秒笑女ほなみん、  なんだろうがぁぁぁぁー!?     朝礼での六秒笑女にまつわる西野の言動、「ほなみん」という社員証を作ってきた西野。  推察するに、西野は六秒笑女の正体に気づき始めているのかもしれない、だからカマをかけて探ってみよう、そんな風に思っているんじゃなかろうか。  僕は彼女の挑戦を、  受けてやろうと思った。  暴いてやる!  お前の正体を!  荒牧ほなみの正体を! 「ゴメンね。社員証、  すぐにやりかえるから」   「ありがとうございますぅ。  よろしくでぇーす。  西野さんって、わかりみが深いぃ。  じゃ、私、行きます!  エレベータで6階に行かなきゃぁ」  ―6階!?   6階!?    6階!?   『六』!? 「では、西野さん、またねぇ」   「ちょっと待って!  ほ・な・み・ん」 「いや、だからぁ!   私はぁ、荒牧ほ・な・み!  西野さんって、  イ〜ジ〜ワ〜ルぅ〜!」  脹れるほなみんをスルー。 「ほなみん!」 「いやいや、だからぁ……」  僕は自分の脂っこい顔面を、  彼女の顔面へ近づける。   「ほなみん!!!」  僕の表情から真剣さが伝導したようで、彼女は驚きを隠せず「は、はい」と応じた。  3秒間、西野、直立不動で沈黙。  彼女は絶句。    西野は、  彼女をじっと見つめる。  指毛が濃い左手の親指と人差し指で、  西野は輪っかをつくる。  油っぽい西野の頬っぺたに、  それをもっていく。  西野はタコ焼きをつくって、  野太い声で一言。  「ぺちゃぽー」  突如暴走して、  ギャグを発動したアラサー男・西野。  彼女は驚きを隠せず、  ただただ、  目をパチパチとぱちつかせた。  第4話 おわり

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