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け疎き駅の線路前の待あいの椅子に座って、いつ来るとも知れない電車を、途方に暮れながら、母と共に、待っていると、そこそこイケメンの、目力のある、厚がおの男の子が、「以前どこかで?」と声をかけてくる。 定番の声かけ文句だけれど、その男の子は、本当に、以前、親睦を深めた ぼくに似た人があったと 言い張るを、否定しつつ、そのうちに 話がはづみ、仲よくなる。 待あいの椅子の右端に座るぼくは、その外れのあなたに来た男の子の方へ身ごと向けたれば、今は視界になき、左側に座る母の目を思えば、こそばゆい。この子は、もう、いっちょまえに、異性とも、こうして、全き敬語を駆使して親交をはかる事ができるのだ。 さっき、講義があって、たどった順路の末端なりし沼に、みなれない ビーバーみたいな生物が沢山生息していたと、師たる和尚と あひしらう。 電車を待っているとき、寒々とした線路に、さまざまの列車がとおるけど、なかなか、見慣れた上塗りの人間を運ぶ用のは来ず、色のない武骨な貨物列車ばかり来ていたが、やがて、覓ぎけるに しるかべき、名立たる緑の特急も来るようになる。 北国らしく、黄いろい除雪バーを その車体の先端に備えているが、今は雪もないから 用ならで、上に跳ね上げつつ 走る。 電車内でも 話ははづむ。男の子は、まづ、ぼくの齢を聞き、30過ぎと聞くと、次に、「子どもを産んだことは?」と、まるで、女たれば その務めを当然たるごと 問うに、そこで やっと 違和感をおぼえて、言に窮し、まづ かるく否んだのち、ややあって、「それは、あまり失礼では」と 屹然と払い除けたら、これも いっしょに乗っていた、同い年くらいの女の子の同意を得て、ただよう不穏な空気に、ぼくらの仲は そこで断たれた。思えば 彼は 少し脳に欠陥のあった者らしく、人がどう受けとるかと考えず ずけずけと言かけてきたり、自分の発言のどこに問題があるのかも分からないらしく、もう一人の 博識らしい めがねの男の子に、話の矛先を転じ、しきりに自論を説きつづける。 そうこうするうち、車窓には、ぼくらの住む街のトレードマークたる、椀を伏せたかたちに ゆるやかに穹った ピンクの施設の屋根やら、茶色い集合住宅やら、みなれた建物がみえだすを、女の子は指摘し、ぼくのとがめた心を はらそうとも してくれる。 ケミストリーを爆音で流しながら走る車が道を過ぎる。 ケミストリーは、日本の Soul music の代名詞的ユニットになったものだ。 熊野に、人形祓へ専門の古い神社があるのだが、そこの現行の神主は 伝統をまもらない。にもかかわらず、参拝者が多く訪れている。 古い教典には、症状の要因たる煩悩を絶つべく説かれるが、今の神主は そうは考えない。症状に効く人工の薬をつかえばいいじゃない!? とひらきなおる。 (煩悩を どうしても絶ちきれないぼくは、訝りながらも、そうであったらいいと すがるおもいでみている。) その気楽さが、かえって、現代の気風にマッチするんだろう。 今日も、人形は水にとかさず、そこにつづられた参拝者どもの祓へ言は 無論 読まないまま、神主の頭に巻いた冠に くくりつけて立ててある。そういう気分なのだと言い、インタビューに答えるために、本職の応対がまわらなくなって、女の、今は俗に退いているが、一族の者とて 事しれる巫女に 役をたのむ。 目覚まし時計が三つとも遅れていて、寝すごして、山登りの時間に遅れそうになる。 山みちを はろばろゆく。他の登山者とすれちがうとき、言かけを交すのだが、その文句が短く 人工的なゆえに、かえって 忘れがちになって いけない。Hello, how’s it going? とか、ふだん用ゐてる言ばのほうが すぐ出てきて いいのに、みれば、みちゆく人は みんな 年配者であるのに、この唱文を律儀にまもって、かわして、すれちがう同士をねぎらい、はげましつつ ゆく。 閑散となった みちまたに しゃがんで、女が、くそを ひりはむとて、わらいながら、このクラブ型のみじかい文句を忘れてしまったぼくを かえりみる。その女は リポーターで、ぼくと共に、現状を追っているところ。 黄金いろの画面に吸われていく気がした。まぶしい光が 暗闇なのに光って。病んだぼくの目をつむると、暗緑色のかたまりが、断続的に 手前から奥へと送られていく。それもやがてみえなくなった。 臆めつつ うち休めるうちに、よみがへりはせず、ただ消えていく。 もうできそうにない。体がつらくて。

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