花吹雪
第三章 親友 18

作品に栞をはさむには、
ログイン または 会員登録 をする必要があります。

「じゃあ、また明日」  夕方、俺がいつも通りの挨拶を言うと香純は顔を曇らせて黙った。 「どうかした?」 「明日は家族で買い物に行く約束があって…ここに来れないんだ」  春風が桜の木々を揺らし、まるで大きな手が周囲をなでたように音を立てた。 「そうなんだ。気にしないで、家族と買い物楽しんできてね」  気落ちしたのを悟られないように明るく返すと、香純は長い黒髪を耳にかけながら微笑んだ。 「ありがとう。明日は無理だけど、明後日は必ず来るね」 「うん。じゃあ、また明後日」 「ふふ。また明後日」  元気を取り戻した香純の後ろ姿を見送りながら、桜が咲いた頃からずっと香純を一人占めしてしまった気持ちから、家族との時間も大切にしてほしいなと俺は思った。  明日は家族と一緒に楽しい時間を過ごせるようにと願って公園の出口に足を向ける。  夕方の川沿いは桜が目当ての花見客でにぎわっていた。  出店からただようおいしそうな料理の匂い。  桜に浮かれ、笑顔で顔を輝かせる人々。  今年は花冷えの日もなく、春の足音は順調に前へと進んでいる。  途中、何度か桜を背景に写真撮影を頼まれて快く引き受けた。  お礼を言われてカメラを返すと、背後から聞き慣れた声に呼び止められる。  その声はこの場所では聞くはずのない声だったので心臓がびくりと波を打つ。 「優、人混みでぼんやりするなよ」  振り向くと悪戯っぽい笑顔を浮かべた陽菜ひながいた。  学校指定のジャージ姿に大きなスポーツバッグを肩にかけ、呆然ぼうぜんと立ち尽くす俺に近づいてくる。 「陽菜、どうして…?」 「合宿から帰ってきたのにお疲れの一言もないの?」 「ああ、お疲れ」  反射的に返答すると、陽菜は『心がこもってない』と顔をくしゃっとゆがめたが、すぐに真顔に戻るとショートヘアの髪をふわりとなでた。 「他のクラスの子から桜祭りが見たいって頼まれてさ。あたしは何回か来たことあるから案内してあげてたの。一応ライトアップはまだだよって言ったんだけど、結構遠くから通ってる子だから合宿所からの帰り道になる今日がよかったらしくて、まあ、そういうこと」  いないはずの人間の登場に内心どぎまぎする俺は、納得を示そうと首肯しゅこうした。 「それで、その子は?」 「さっき駅まで送ってきた。あたしは久しぶりにここの桜祭り来たから、もう少し楽しんでから帰ろうと思ってて、ぶらぶら歩いてたら行列ができる高校生カメラマンを見つけたって訳」  そのまま自然な流れで『そうか、じゃあまたな』とスマートに帰ることもできたが、心で思うほど簡単に言葉にはできず、かといって自分が置かれている状況に順応できないでいると陽菜が口を開いた。 「立ち話は他の人の迷惑になるし、歩きながら話さない?」 「ん、いいよ」  完全にペースを握られた俺は陽菜と並んで桜並木の順路に移動した。 「数年振りだけど、やっぱりここの桜は圧巻だわ。テレビで見た時はちょっと前までつぼみだったのにさ、合宿から帰ってきたら一気に咲いてるから桜ってすごいよね」  早く咲いた桜の花びらがはらはらと舞うのを見て、陽菜は『綺麗』と呟く。  普段、学校で憎まれ口ばかり叩きあっているが、ふと見せた女の子の表情に陽菜もこういう顔をするんだなと思った。 「ちょうど見頃の時に来れてよかったわ。面白いものも見れたし」  ふふふ、と不敵ふてきに笑う陽菜の姿に俺は前言撤回ぜんげんてっかいを自分に求める。 「面白いものって?」  たずねると陽菜は一瞬目を伏せたが、すぐにあの悪戯っぽい笑顔になってまっすぐに俺の目を見た。 「優がすみに置けない男だってこと」  言葉の意味を瞬時しゅんじに理解した俺はきっと間抜けな顔をしていたのだろう。  陽菜は『やるじゃない』と呟いて俺の肩を軽く叩いた。 「―――見てたのか」  他の誰でもない陽菜に噂を教えられ、気をつけていたはずなのに、忠告してくれた当人に見つかってしまうとは情けない。  二の句が継げないままでいると、陽菜は大袈裟おおげさに溜息をついた。 「公園にも桜があるの思いだしてね。そしたら、いい雰囲気の二人がいて、噂って本当だったじゃん。あたしに秘密にするなんて水臭いやつめ!」  肩をグーパンされてよろめいたが、意識がはっきりした俺は弁明べんめいしようと口を開く。 「違う。勘違いだ」 「いつから付き合ってるの?」 「だから、付き合ってないって。香純はそういうんじゃない」 「ふーん、香純って言うんだ。可愛らしくていい感じしたし、お似合いだと思うよ」  どんどん勝手に話を進める陽菜の暴走を止めようと、俺は陽菜を大きな声で呼び止めた。 「違うんだ。頼むから、話を聞いてくれないか」  きょかれた陽菜は数秒俺の顔を見つめたが、ただならぬ気配を察したらしく真顔で頷いた。  もう隠しておけないと悟った俺は、陽菜に正直に香純と出逢った去年の出来事を語った。  母さんを喪って打ちひしがれていた俺を、世界全てを憎もうとしていた俺を、暗闇の底にいた俺を救ってくれたのが香純だったと語ると、珍しく一言も口を挟まずに聞いていた陽菜は複雑な表情でしばらく黙っていた。 「俺の閉じかけた心を開いてくれた人なんだ」 「うん―――そうとは知らず、茶化してごめんね」  陽菜はそれまで見たことのない真剣な面差しで軽く頭を垂れた。 「お陰でゆがまなかった俺は陽菜とも友達になれたし、たくさんの友達に恵まれて高校生活を 謳歌おうかできてる」  沈んだ空気を振り払って、いつも通りの快活な陽菜に戻ってほしい俺は努めて明るい口調でそう言った。 「優の恩人だね」 「うん」  誤解が解けてよかったと思ったのも束の間、飄々ひょうひょうとした陽菜は思いもよらないことを言いだす。 「それじゃあさ、あたしを紹介してくれない?」 「は? 何でそうなる?」 「香純さんのお陰で、あたしは優と仲良くなれた訳だし、言ってみればあたしにとっても恩人になるわけ。ちゃんと面と向かってお礼を言いたいなと思って」 「何だ、その強引なこじつけ」  怯む俺だが、陽菜は一歩も譲らないといった得意顔でさらに続ける。 「ものすっごくいい子じゃない。あたしにも紹介して、ね、お願い!」  陽菜が両手を合わせて懇願こんがんしてくる姿に、彼女がここまで下手したてに出るのは珍しいと俺は思った。  何か腹に抱えているんじゃないかと不安がよぎるが、陽菜はさっぱりした性格だし杞憂きゆうだろうとも思う。  さらに香純の気持ちを想うと、いつも男の俺と話してばかりだけれど、もしかすると同年代の女の子と桜祭りを楽しみたい気持ちもあるんじゃないか、と気になってくる。  それならそれで友達を誘えばいいのだろうが、学校が遠いから簡単には同級生が来れないと考えると、こっちで新しい女友達ができるのはいいことかもしれない。  そういう点では友達思いの陽菜は適任だと思うし、何よりこれ以上の詮索せんさくを避けるためにも直接逢わせた方が最善の道のような気がしてきた。  沈思黙考ちんしもっこうし結論を導きだした俺は溜息をついてから陽菜に言う。 「わかった。いいよ」 「ありがとう! さすが同好の士よ!」  抱きついてくるんじゃないかと思うくらい感激した様子の陽菜は、両手で俺の手を握りしめた。 「そのかわり―――」 「わかってる。学校のみんなには内緒にする。どんなことがあってもね、あたしは優を売るようなマネはしないからね」 「信じるよ。陽菜はそういうやつじゃないもんな」 「当ったり前でしょ。ちゃんとわかってくれてる優はいい男だよ」 「大事な場面で茶化すな」  そうは言ったものの悪い気はしない。一年間の付き合いでお互いに信頼しているからなのかもしれない。  香純の都合で明日は無理だと告げると陽菜は露骨ろこつに不満そうな顔をしたが、明後日の午前中ならと伝えると『ちょうど部活も休みだし、オッケー』と快諾かいだくしてくれた。  陽菜を駅まで送った俺は、家へ向かう道を歩きながら陽菜が話のわかる相手でよかったと胸をなでおろし、どうか香純と仲良くなれるようにと心の中で願った。

応援コメント
0 / 500

コメントはまだありません