花吹雪
第一章 桜の季節 6

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 担任が課題の提出は新年度の最初のホームルームと説明するのを聞きながら、夏休みに行った神保町遠征がいかに過酷だったかを思い返す。  最初は探し求めたSF小説を見つけて嬉々ききとした俺だったが、陽菜の本気モードには正直参った。  スマホに登録した買い物リストと目当ての品を扱っている古書店の地図を持参し、この日のために貯めてきた小遣いでパンパンにした財布片手に絶版本ぜっぱんぼんを買い求める姿は、まるで猟犬りょうけんのようだった。  当然、一軒や二軒ですむはずもなく炎天下えんてんかの昼から夕暮れまで古書で重みを増すバッグを担いで古本街を巡るのは大変だった。  陽菜はなかなかの冊数を買い込み、自分で持つと言い張ったが、男の俺が譲らずに重い荷物を預かって、身軽な陽菜を狭い古書店に送りこんだ。  陽菜は俺の欲しかった本もきちんと探してくれたし、暑い中付き合わせて悪かったと帰りにファミレスで冷たいアイスクリームとジュースをおごってくれたので俺もそこまで腹立たしい訳ではなかったが、またあの壮絶な戦いに身を投じるのかと思うと尻込みしてしまう。 「では、新年度に元気に会えるのを楽しみにしています。いい春休みを」  担任が言葉を締めくくり、ホームルームが終わると陽菜はさっそく話の続きをはじめた。 「で、いつ行こうか?」 「行くの決定ですか⁉」  まだ返事もしていないのに、陽菜はマイペースで会話の主導権を握る。 「あれ、嫌なの? もしかして女の子に逢いに行く約束があるとか?」  言われた途端、胸の奥がきゅっとした。 「ち、違う。何言ってんだ」  上擦うわずった声で否定すると、にやにや笑いを引っこめた陽菜は続けた。 「そういう噂があったけど、違ったか」 「どんな?」 「桜が咲いてた頃、優が他校の女の子と仲良く話してたって噂になってたよ」 「根も葉もない噂だよ。まさか、陽菜は信じたのか?」 「うーん、その頃はまだ優のことよく知らなかったから、ちょっとだけ」  ちろっと舌を見せて陽菜は正直に言い、俺は笑って話を濁した。  地元だからと気を抜いていたが、どうやら誰かに香純かすみと話している所を見られていたらしい。でも、そこまで大きな噂にならなかったようだし、冷やかしてくる連中もいなかったからボヤにもならない話だったんだろう。  と思った俺だったが、隣で不満げに課題をバッグにしまう陽菜を見て、大きな噂にならなかったのは陽菜のお陰だと思い至った。  噂が拡大する前に同好の士を見つけた陽菜が俺に突撃してきたから周囲の目をごまかせたんだ。  その代わり陽菜との仲が疑われたが、今となってはありがたい話だ。  そう思った俺は、感謝の気持ちから神保町遠征を快諾かいだくした。  陽菜は俺の肩をばしっと叩いて喜ぶ。はしゃぐ気持ちは嬉しいが、加減してくれないから痛い。 「買いに行くのはいいけど、夏に仕入れた分はもう読んだのか?」 「うん。もう読み終わった」 「あれを全部? すごいな」 「へへ、だから今回もたくさん仕入れる予定」  照れ笑いする陽菜の勤勉きんべんさに俺は尊敬の念を抱いた。  陽菜が一番好きなのは推理小説だが、それ以外にも文学、歴史、哲学と本の虫と呼ばれてもいいくらい幅広いジャンルを網羅もうらしている。  その甲斐かいあってか、国語の成績は抜群ばつぐんにいい。現代文だけでなく古文と漢文も得意で、英語も優秀なので語学関係の才能が極めて高い。  ただ、理系科目は苦手で数学も化学も平均点をとるのに苦労していた。  かくいう俺は陽菜のように突出とっしゅつした科目はなく、全教科可もなく不可もない平均点上をうろうろしているから、あまり大きなことは言えない。 「気合い入れてくのはいいけど、買うのはほどほどにしとけよ」  溜息まじりに言うと、陽菜は両手を合わせて謝ってくる。 「ごめんごめん。夏に行った時はあたしも初めてでさ。つい興奮しちゃって買い過ぎたなあーって反省したよ。ほら、今時期って引っ越しとかでみんな要らない本を売りに出すからいろんなのが出回るはず。行くなら今がチャンス!」 「わかったわかった。陽菜はいつならいてる?」 「優は春休みの部活は?」 「ああ、学校ではやらないんだと。代わりに家で作る用の課題レシピもらった」  将来を見越した俺は調理実習を行う食品研究部に所属している。  中学時代は陸上部だったので、高校でも続けようかとも考えたが、栄養学を学んでバランスのいい食事をれるようになった方が八重やえ婆ちゃんも助かるだろうし、もし大学で一人暮らしするようなら確実に役立つスキルなので熟慮じゅくりょの末、入部に至った。 「ちぇー、いいなあ」 「部活は休みだけど、レシピで実際に作って、そのレポートを最初の部活で提出しないといけない。場所は違うけど、実質部活やってるのと同じ」 「先生が楽してるだけに聞こえるけど」 「そう言うなよ。妹さんの出産予定日がちょうど春休みらしいんだ。それでどうしても女手おんなでが必要らしくて帰省きせいしなきゃならないんだと。それゆえの課題だから仕方ないだろ」  本当の理由を教えると、陽菜は納得して頷いた。 「そっか。大変だ。神社で元気な赤ちゃんが産まれるようにお願いしとかなきゃ」  自分とは全く関係のない人の幸福を願う陽菜は素直で純粋だな、と思う。  何となく、本当に何となくだけれど、陽菜のポジティブさは、母さんをうしなって世界中の幸せそうな人が全て憎いと思いこんだ俺を救ってくれた香純の空気と似ていると感じてしまう。  だから変に気構きがまえず、気楽に一緒にいられるのかもしれない。 「部活ないなら、優があたしの予定に合わせてくれたらありがたいな」 「うん、いいよ」  結局、神保町への遠征は四月最初の金曜日に決まった。  今回は気をつける、と言っておきながら、あの街に入った途端に陽菜のスイッチが入るのは目に見えてわかるので、俺は大型のスポーツバッグを持って行こうと心に決めた。  話がまとまった所で通学バッグを持った俺と陽菜は、クラスメイトたちと『来年また同じクラスになれたらいいね』とか『春休み中、元気でね』と挨拶を交わして教室を出た。

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