花吹雪
第三章 親友 21

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 翌日は目覚まし時計より早く目が覚めた。  カーテンを開くとすでに太陽が街を照らしている。  あくびをしながら両手を伸ばした俺が部屋から出ると、台所で八重婆ちゃんが朝食を作っている。  台所をせかせか動く背中に『おはよう』と声をかけると、八重婆ちゃんは朝の挨拶もそこそこに『今日は早いね』と目を丸くして驚いた。  母さんに挨拶をして居間に行くと、今日も父さんの姿はない。  父さんは日の出と共に仕事に行くので、もう少し落ち着いてからじゃないと朝食は一緒に食べられないだろう。 「もう少しでできるからねえ。寝癖を直して、これでも飲んで待ってなよお」  先に洗面所に行った俺は居間に戻り、八重婆ちゃんがれてくれた緑茶を片手に朝のニュース番組に目を向ける。  ちょうど桜の特集をやっていて、俺が足繫あししげく通っている川沿いの桜が満開を迎え、今夜からライトアップがはじまると伝えている。  お天気も穏やかな今日は一日中お花見日和だと女子アナが本当に楽しそうな笑顔で伝えた。 「やっと咲いたと思ったらすぐに満開かい。今年の桜はせっかちだねえ」 「婆ちゃんの言う通り、今年は早い気がする」  緑茶をぐいっと飲んだ俺が電子ジャーから白米をよそってはしを並べると、八重婆ちゃんはハムエッグと白菜の漬物と味噌汁をささっとテーブルに置いた。  二人で朝食をはじめると、天気予報がしばらく雨の心配はないが、週末には強い風が吹くので花散らしの嵐になるかもしれないと残念そうに話していた。 「あれまあ、婆ちゃんたちも早くお花見に行かないと」 「その方がいいよ」 「テレビで見ても満開だものねえ。ご飯食べたらみんなに連絡してみようかねえ」  その後は桜のコーナーが終わり、八重婆ちゃんが世の中のろくでなしたちに腹を立てるコーナーがはじまったので、俺は適当に相槌あいづちを打ちながら朝食を終えた。  洗い物をすませて出かける準備をしようと部屋に戻った俺は、桜の季節の終わりが近づいているのを寂しく思った。  桜は満開の見頃を迎えると儚くもはらはらと散りはじめる。  桜の季節が終わると同時に、香純に抱いている感情がしぼむ恐れを俺は持っていない。  去年から今年の桜まで気持ちを強く持てたし、もし恐れるなら来年の桜まで再び香純と離れ離れになるだろうという予感だ。  いけない、いけない。  寂寥感せきりょうかんに包まれたままでは一日のはじまりがどんよりしてしまう。  朝の陽光を浴びて深呼吸すると、ざわついた気持ちがなぎの状態になり、気を取り直した俺はてきぱきと出かける準備をはじめる。着替えをすませ、忘れ物はないかトートバッグをのぞくとスマホがブブッと着信を告げた。 『そろそろ家出るけど、優、寝坊してない?』  連続して送られたゆるキャラがうしし、と笑うスタンプに苦笑して返信を書く。 『起きてるよ。俺ももう家出るから後で』  警官が敬礼しているスタンプを見た俺は、こっちも了解だよと思った。  居間に向かうと八重婆ちゃんが友達との電話を終えた所だった。 「明日か、明後日には婆ちゃんもお花見に行ってくるよ」 「うん。婆ちゃんも楽しんできて」  俺がそう言うと八重婆ちゃんはゆっくり頷いた。  そのまま出かけると伝えて背を向けたが、急に胸にきあがった気持ちを放置できずに振り返る。 「婆ちゃん、今年は無理かもしれないけど、父さんと三人でお花見に行こうか?」  思いがけない言葉だったのか、八重婆ちゃんは一瞬きょとんとしたが、やがて柔和にゅうわに微笑むと何度も頷いた。 「そうだねえ。婆ちゃんが一緒に行ったのは優くんがまだ小さい頃だったから。また一緒に行くのもいいねえ」 「きっと父さんは忙しいだろうけど、早めに言っておけば何とかなるかも」 「うんうん。婆ちゃんからも話してみようね。気を遣ってくれてありがとうね、優くん」  八重婆ちゃんがこんなに嬉しそうな顔をするとは思わなかったので、恥ずかしくなった俺は顔を俯かせて再度『行ってきます』と言って逃げるように家を出た。

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