花吹雪
第三章 親友 17

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 再会から毎日、香純かすみは約束の場所で俺を待っていてくれた。  少しでも心の距離をちぢめたい俺は、質問攻めにならないよう気を配りつつ、香純との会話を楽しんだ。  香純は思慮深しりょぶかい性格らしく、簡単に答えられそうな質問でもゆっくり時間をかけてから慎重に答えてくれる。  好きな科目は生物で苦手な科目は国語だった。  やっぱり国語かと思った心の声が顔に出てしまうと、香純は『言葉は難しいよね』と肩をすぼめるので俺は同意した。  正確な言葉で自分の気持ちを相手に伝えるのはとても大変だ。  趣味は散歩で、都会の歩き慣れた道でも新しい発見がよくあるのが楽しくてたまらないとうきうきした表情で語っていた。その他にも空が広い場所が好きなことや、綺麗な水がある場所、つまり自然が豊富な場所が好きだというのも教えてくれた。  その話を聞いた時、香純の住まいは都内でも奥多摩の方なのかもしれないと俺は漠然ばくぜんと思った。  桜の時期が長い場合はここから車で通うとも言っていたし、あながち的外まとはずれではないかもしれない。  一つ彼女を知るたびに心が震え、新たな一面を知るたびに言葉が胸を踊らせた。  そんな他愛ない会話を続けていたが、香純は特に重要とも思えない質問にあやふやな返答をする場合があり、俺は頭を悩ませる場合がある。  家族について聞こうと思い、兄弟姉妹について訊ねると、香純は『たくさんいるよ』と抽象的ちゅうしょうてきな答えで返してきたので、具体的に何人で年上なのか年下なのか詳細しょうさいを訊くべきか否か悩んでいると、香純は慌てて『お兄さんもお姉さんも弟も妹もいるから、にぎやかで大変なんだ』とはにかんだ笑みを浮かべた。  これ以上はつっこまない方がいいと判断した俺は話を合わせて頷いておいた。  他にも好きなテレビ番組を問うと『テレビは見たことがない』を慌てて『テレビは見ない』と言い直したり、趣味の話で俺が定番の読書の話をすると『本は読んだことがない』を『本はあまり読まないなあ』と言い直すなど、どこか引っかかるような物言いをするのだが、全部ひっくるめて『やっぱりもっと国語勉強しなくちゃ』と肩を落とすので、おっちょこちょいな性格と相まってもたらした言葉なのだろうと俺は結論づけた。  全くいぶからない訳ではなかったが、そう言われると妙に説得力があるので納得せざるを得ない。  香純は大の音楽好きで、会話が途切れる訳でもないのに一日に一回は音楽を聴かせてと必ずせがんだ。  その度に俺は一緒に音楽を楽しんだが、毎日せがむのでレパートリーを増やしておこうと、家で新しいCDを作っておいた。  新しい曲を聴かせると香純は頬を緩ませて喜ぶので、音楽の趣味はどんぴしゃで合うのが俺はとても嬉しかった。  再会した日に約束した通り、白身魚のムニエルと簡素な温野菜を作って持っていくと、香純は大きな両目をぱっちり開き、両手を控えめに叩いて喜んでくれた。  八重婆ちゃんより早起きして料理をしている間、ずっと香純を心に思い浮かべていた。食べてくれる人の幸せを想って料理する幸せを俺は知った。  朝食に食べた八重婆ちゃんのお墨付すみつきをもらった料理を取りだすと、香純は割りばしで白身魚をほんの少し口に運ぶと、ゆっくり味わおうと目をつむる。  期待に打ち震える胸を抑えて待つと、目を開いた香純は『とってもおいしい。どうもありがとう』とにっこり笑った。  食品研究部でよかったと心の中でガッツポーズをとる。  残りは昼に食べようと思っていたけれど、暖かい気温で魚がいたむといけないので俺も一緒になって食べた。  味は悪くないし、初めてにしてはよくできた方じゃないかと思ったが、香純は最初の一口だけで後は温野菜をほんの少し口にする程度なので『口に合わなかった?』と不安になってたずねると 『嬉しすぎて、胸が一杯でこれ以上食べられない。ごめんね』と言われた。  俺は気にしていないのが伝わってほしいと思い、首を横にぶんぶん振った。  作った人が緊張するのは当たり前だけれど、香純はそれ以上に緊張していたのだと思った俺は、野暮な質問で自分の主張を押しつけてしまった気がして残りをばくばくと口に運んだ。  食べている間、香純が『たくさん食べられなくてごめんね』と顔を俯かせるので、少しでも気分を晴らしてあげたいと思った俺は、目の前の桜を示して『香純とお花見ができて嬉しいよ』と伝えた。  連日の好天で次々と花を咲かせた桜は満開までもうすぐになっている。  しばらく黙って桜を見つめていた香純は『ありがとう。私も一緒にお花見できて嬉しいよ』とあたたかい言葉をかけてくれた。  特別にどこかに出かける訳じゃないのに、特別に一緒に何かをする訳じゃないのに、ただ香純が隣にいて一緒に時間を過ごすだけで心が満たされる。  二人で他愛ない会話をして、時々駅前の雑貨店をのぞいてみたり、桜並木を並んで散歩するだけで心が幸せだと快哉かいさいを叫ぶ。  誰かを心から好きだと思うのは、大切だと思うのは、心が安らぐのはこういうことなんだと香純が全て教えてくれた。  桜が咲いている間だけの限られた時間の中で、俺は日に日に増してゆく香純へのいとおしさを抑えながら、彼女と過ごす満ち足りた日々を満喫まんきつしていた。

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