花吹雪
第二章 再会 15

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 家に帰ると、夕飯の支度をしている八重婆ちゃんから父さんは少し遅くなるけれど夕飯には間に合うかもしれないと聞かされた。  了承した俺はうがい、手洗いと母さんに挨拶をした後、夕飯の手伝いをしようと居間に戻った。  今夜の献立こんだては昨晩のカレーの残りをつかったカレーうどんだ。 「電話があったのは結構前だったから、そろそろ帰ってくるかもしれないよ」 「三人揃って食べるの久しぶりだね」  はしを並べながら俺が言うと、鍋に残ったカレールーにめんつゆを注いで玉ねぎを入れた八重婆ちゃんは『そうだねえ』と微笑んだ。 「川沿いの桜、少しだけど咲いてたよ」 「そうかい。しばらく暖かい日が続くようだから、すぐに満開かもねえ。みんなに連絡しとかないと」  食器棚から丼を出しながら、満開を迎えた桜がすぐに散ってしまうのははかないなと思った。  でも、一年中見られたらそれはそれで飽きてしまうだろうから、桜の季節は特別なままでいいのかもしれない。  年がら年中お花見ができたら何の特別感も季節感もなくなってしまう。  二人分のうどん玉を鍋に入れた婆ちゃんに丼を手渡しながら、この丼は俺が産まれる前から使っていると母さんが言っていたのを思い出した。 「この丼もそうだけど、うちは長く使ってる食器が多いね」  鍋をかきまぜる手を休めた八重婆ちゃんは、まるで魔女のように笑った。  ひっひっひと意地悪く笑う魔女ではなく、陽だまりのようなあたたかい笑みを浮かべる魔女だ。 「そうだねえ。愛情を込めて大切に使えば百年はもつんだよ」  百年、一世紀とは恐れ入った俺が物を大切にする心に同意して頷くと、婆ちゃんは微笑んで話を続ける。 「どんなものでも百年経つと化ける話を優くんは知ってるかい?」 「知らない。どんなの?」 「婆ちゃんの婆ちゃんが教えてくれた話だけどね。百年過ぎたものには魂がこもって化けるらしいから昔の人は大切に扱ったそうだよ。まあ、信じすぎて怖がって九十九年経つと皿でも壺でも壊してしまう人もいたらしいけどねえ」  何に化けるのか具体的な説明がないので俺は話半分に聞いていたが、ふと思いついたことを言ってみた。 「じゃあ、テレビで鑑定かんていされてる何百年も経った皿とか金庫とかも化けるのかな?」  問いかけに八重婆ちゃんは深く頷くとからから笑った。 「面白いことを言うねえ。婆ちゃんは化けたら面白いなぐらいに思ってるよ」 「なあ、婆ちゃん。化けるって一体どんな風に? まさか妖怪とか?」 「うんにゃ、そういう悪さをするのはろくでなしが後生大事ごしょうだいじに持ってたのが化ける時だろうね。婆ちゃんが聞いたのは人間に化ける話だよ。何でも、百年きよらかで純粋なままでいないと人間にはなれないって聞いたよ」  高校の生物の授業で生命の誕生を学習済みの俺にとって、この話は信じがたい。けれども不可思議ふかしぎな話や伝承でんしょうの類は大好きなので、まだ明確なメカニズムが発見されていないだけで、もしかするともしかするかもと思い、面白い話が聞けて満足だった。 「まあ婆ちゃんも頭から信じてるわけじゃないよ。今は何でもインテレネッターの時代だし、婆ちゃんも友達と携帯電話で連絡とっとるからねえ。でも、面白い話だと思わないかい?」  インテレネッターを訂正するのはやめておいて、俺は頷いて同意した。 「俺もそう思う」  そう言うと、婆ちゃんは『優くんはいくつになっても素直な子だねえ』と笑って丼にカレーうどんをよそりはじめた。  玄関を開く音が聞こえ、俺と婆ちゃんが顔を向けると父さんが帰ってきた。  汚れた作業着姿で居間に入ってくると、俺たちに笑顔を向けてくる。 「ただいま。いい匂いが外に漏れてたぞ」 「おかえり。今日は早かったね」 「仕事も大分落ち着いてきたからな。今日は川沿いの桜も診たけど、どれも元気そうで何よりだ」  川沿いの桜と聞いて、どきっとしたが、緑道はかなり長い距離続いているので父さんと鉢合はちあわせにならなかったのは幸運だった。 「やっぱり桜の手入れは大変かい?」  八重婆ちゃんが訊ねると、冷蔵庫から麦茶を取りだした父さんは難しい顔で頷いた。 「野生の桜は強いけど、都心の桜は傷に弱くてデリケートなんだ。枝が折れるとそこから弱って、最悪枯れてしまうケースもあるから急いで手当てしないといけない。花見シーズンになると一部の心ない人が桜を傷つけることもあるからな。まあ、それは滅多にないにせよ、この時期はケアして回るだけでも大変だよ」  桜の手入れの過酷さを知った俺は、父さんの言葉を心に留め置いた。

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