高校の入学式を過ぎた春、一つの別れと一つの出逢いがあった。 永遠の別れは母さんだった。 元々、体が丈夫な方ではなく、あの時もちょっとした体調不良か睡眠不足かもしれないと父さんに付き添われて軽い気持ちで病院に行ったのに、四十歳になったばかりの母さんの診断結果は末期がんだった。 中学三年の受験生だった俺は一人で留守番していて、問題集をいくら解いても帰ってこない両親を心配していた。 数時間後、マンションに帰ってきた二人の顔色を見た俺は、ただごとじゃないとすぐに悟った。 母さんは強い人だった。 隠すことなく、真剣に自分の病気を俺に説明してくれた。 病魔は手がつけられないほど進行していたが、母さんは延命治療を受けない選択をしたため、余命は長くみて半年だった。涙を堪える俺を母さんと目を赤くした父さんが抱きしめてくれた。 医師から思い残すことがないようにやりたいことをしてください、と言われた母さんは自分のことはさておき、残される俺と父さんのために家事全般を優しく教えてくれた。 要領の悪い俺と父さんが何とか一通り覚えると、母さんは困ったことがあったら八重婆ちゃんに訊くように、と隣町に住む姑を頼りにしていた。 八重婆ちゃんと母さんはとても仲がいい。 頼まれた八重婆ちゃんは甲斐甲斐しく母さんを看病し、意気消沈する俺と父さんの日常生活を献身的に支えてくれた。 母さんは自分のことで精一杯のはずなのに、受験生の俺に『大変な時期にごめんね』と謝るので、俺は『大丈夫だから、体を大切にして』としか言えない自分の無力さに打ちのめされた。 それでも入学式を楽しみにしている母さんを想うと、第一志望に合格して安心させるのが最高の親孝行に思えてきて、今まで以上に勉学に励んだ。 担当医師は冬を越えるのは難しいと言っていたが、母さんは『桜が見たいわ。神様もそれぐらいのわがまま許してくれるだろうから、大丈夫でしょ』と笑って受け流し、最後の一時帰宅を使って俺の晴れ姿を見届けてくれた。 車椅子に座った母さんと後ろに立つ父さん、そして俺の三人で校庭に咲く桜を見上げた。 『優、入学おめでとう。桜もお祝いしてくれたわね』 『ありがとう、母さん。桜、綺麗に咲いたね』 『うん。本当に綺麗』 風に舞う桜の花びらをすくい取ろうと、片手をあげた母さんの顔は慈愛に満ちていて、とても幸せそうだった。
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