灰白かいはくの世界せかいが夜明よあけの朝日あさひに導みちびかれる。 　じりりと鳴なるアラームをフライング気味ぎみに電源でんげんを落おとし、暗闇くらやみで発光はっこうする燐銅りんどうの瞳ひとみがカーテンを開あけ放はなつ。 　まだ夜よるを孕はらんだ童話どうわの世界せかいから現実げんじつを突つきつけるように、残酷ざんこくな太陽たいようが蒼あおを連つれてきた。 　寝不足ねぶそくがちな目めをこすり上あげ、窓まどから入はいり込こむ春はるの空気くうきを吸すい込こむ。 　カレンダーのページをめくり、新あたらしい1日の訪おとずれを感かんじて、じわじわと疼うずく胸焼むねやけを抑おさえた。 　猫ねこに似にた足取あしどりでベッドから跳とんで、階段かいだんを降おりた洗面台せんめんだいに突つっ伏ぷす。 　チェシャの眼め。どこか上うわの空そらのようなそれを鏡かがみで眺ながめ、蛇口じゃぐちを捻ひねる。 　冷水れいすいに浸ひたせば、ぴりっと刺激しげきが頬ほおを触ふれれて、すかさず横脇よこわきのタオルでぬぐう。 　しっかり五秒間ごびょうかん冷ひえに悶もだえてふうと息いきを吐はくと、ようやく寒さむさに慣なれた手てが再ふたたび冷水れいすいに触ふれた。 　いつも通どおりの朝あさ――、なのだろうか。 　着替きがえを済すませてリビングに降おりてテーブルに並ならべられた朝食ちょうしょくを片付かたづける。 　レタスサラダと目玉焼めだまやきをトーストに乗のせ、ニュースを脇目わきめに頬張ほおばる。ばりっ、と焦こげぎみの耳みみがおいしく鳴なった。 　ちょうど天気予報てんきよほうの時間じかんで、キャスターが地方ちほうごとの一週間分いっしゅうかんぶんの雲くもの様子ようすを解説かいせつしていた。 　日常にちじょうというプロセスというのはいささかやることが多おおい。もっと作業さぎょうを省略しょうりゃくしても、生存せいぞんに支障ししょうはないと思おもう。 　サイズぴったりの制服せいふくを身みに纏まとい、なんだか新鮮しんせんな面持おももちで時計とけいを確認かくにんする。7時半、そろそろ出なくては遅刻してしまう。鞄かばんをひったくり、玄関げんかんへ向かう。 「……ごちそうさま」 　ささやき程度に残したそれは、両親かれらに届いていただろうか。 「いってらっしゃい」 　目を合わせないまま、声だけが零こぼれる。 　まるで他人のようなやりとり。新聞に顔を伏ふせる父ちち。汚よごれ一ひとつない食器を洗う母はは。両方ともに一瞥いちべつすることなく踵かかとを靴くつに収めて扉とびらを閉しめた。ひどい虚無感きょむかんに見舞みまわれて肩かたを落おとす。 　穏おだやかな陽ひが眠たげな頭を気持ちよく起おこしてくれる。閉鎖的へいさてきなリビングよりも外のほうが幾分いくぶんかマシだ。 　通とおり慣なれたはずの通学路つうがくろを同じ服の集団を追って歩いていく。 　うっかり見失ってしまうと迷子まいごになりかねない。 　不審ふしんに思われないぎりぎりの距離きょりを保たもってブレザーにしまい込こんであったMP３プレイヤーの電源でんげんを入いれる。 　流れてきた曲はどれも聴いたことがなかったが、気を散らすにはちょうど良かった。 　四月も半ばだというのにこの体は寒がりなのか、何枚重ね着してもまだ肌が冷ひえる。 　バス停が河沿いにあるということで、このみちを通るのはやむをえないのだがやはり寒さむい。 　この街はどこかあべこべだ。ゆっくりと景色を楽しむ路面電車ろめんでんしゃにサラリーマンがわんさか乗のってたり、道路の広さに甘えた車が渋滞じゅうたいを起こしていたり。 　この地域はほとんどが埋立地うめたてちだから、人工的じんこうてきな意図が至る所に張はり巡めぐらされて、見ていてつまらない。どこもかしこも整備され過ぎていて遊びがないのだ。 　河さきに視線をうつすと、季節に遅れた桜木がはらはらとなごりを散らして水面へと堕おちていった。突然の接吻に驚いたせせらぎはやさしく余韻よいんを描く。 「おはよう」 　背後からの声に肩を跳はね上あげた。冷や汗が首筋に伝つたう。驚いたことを悟られないよう、無表情むひょうじょうを取とり繕つくろいながらおそるおそる声がした方向に振りかえる。 　視界の端から華奢きゃしゃな輪郭りんかくが流れ込んだ。蜘蛛くもの巣すのような、視界に這はいなびく黒髪が印象的の大和撫子やまとなでしこ。 「……っ」 　若干の焦りと緊張をない交ぜにした舌打ち。幸い、彼女には聞こえなかった。首筋に伝う戸惑いの汗がうっとうしい。唇を解いて、息を吹き込む。でも、途中でほつれてしまって、また閉じる。 　まごついていると少女は不審げに首を傾けた。途端に罪悪感がこみ上がる。 「あ……」 　漏もれ出だした声こえがひどくうわずっていた。まるで話し方を忘れたみたいに、喉のどが奮ふるえない。 　それでも最低限失礼が及ばないように、慎重しんちょうに言葉を選えらぶ。 「あのっ……だれ、ですか……？」 　言いながら後悔こうかいした。私のボキャブラリーではこれが限界げんかいらしい。少女の笑えみが崩れていく。 「―――――え？」 　戸惑どまどいの声こえ。女の子の表情ひょうじょうが固かたまる。 　予想していた反応に目を当てられなかった。 　唇くちびるを噛かむ。逃にげてしまいたい。 　私は私が嫌きらいだ。 　空っぽの私を、誰だれが満みたしてくれるのだろう。