秋は物悲しい季節だとよく言うけれど、それは気温や日照時間の変化のせいにあるらしい。そこから生まれた感覚が身体を伝って心にまで働きかけてしまうそうだ。 秋は寒くて温かい冬の始まる予感。 心悲しいような秋の感覚自体はまるで形を持たない。形を持たないから、冬の予感に不安を覚えているのか期待を抱いているのかもわからない。 遠くの方で小さくなった自転車と後ろ姿を、わたしは曖昧な感触を抱えて見送った。 これから暫くの間、毎日一緒になるのかもしれない。 ふっと息を吐いた。 息を吐いたあと、吸い込むことが出来なかった。吸い込むべきことが何か、見つからなかった。 わたしたちのこの形にならない関係に悩んでいるのは、もしかしたらわたしだけかもしれない。 あの子からわたしはもう離れていて、あの子は見えない振りをしているのではなくて、もう見えていないのかもしれない。 わたしは見えない振りをしている。 会いたいけれど会いたくない。 会いたくないけれど会いたい。 どっち付かずなその理由はぼんやりとしていて、今はくっきり形が見えなくて、だから悩む。 形はきっとあるはずなのだ。 どこかにあるのに掴めないのか、ちゃんと手の内にあるそれをわたしが気付けないでいるだけなのか。 わたしたちの形がはっきりとすれば、少なくともわたしは次の何かへ進めるはず。 進みたいのか立ち止まっていたいのか、わたしはどうしたいのだろう。 それすらもよくわからない。 今のあの子はまだわたしの声を覚えているだろうか。 考えても仕方のないことだと思ったら何も考えたくなくなった。考えるのを放棄して、ぼうと歩き慣れた道を歩む。 耳に流れ込む曲の歌詞が切なく胸に響いた。 巻き戻すことをすっかり忘れていた。 やはり時間が繰り返されることはない。手動で巻き戻した音楽のように時を正確に巻き戻すことは不可能だ。
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