グロウが銀河ラボに来てから数週間が経った。 グロウは未だに自分が何者か思い出す気配はないし、銀河管理局からも連絡はないままだった。 「このまま、何の連絡もなくていい」 レイは、いつのまにかグロウがいる生活が、当たり前になってきていることに気がついた。 月うさぎと遊ぶグロウの声で、目を覚まし、時々散歩に行き、眠る前に地球を観測する。 彼が人間か何者かなんて、もはやどうでもよくなっていた。 「ずっと、このまま。このままが続けばいい」 レイが、一人呟いた時。勢いよくドアが開いて、グロウが飛び出してきた。 「ねえ、レイ!見て!ぼくの髪もレイみたいな色になってきたよ!」 大興奮のグロウが、自分の髪を一房掴みながら駆け寄ってきた。 グロウの黒髪が一筋、銀色に輝いていた。 それを見てレイは唐突に、思い出した。 あの人も、銀髪だった。 長く流れるような銀髪を一本に結っていた。 背中が広くて、月うさぎが友達で、銀河ラボに住んでいたあの人。 そしてボクにラボの事、銀河のことを教えてくれた。 あの人は、ボクに言った。 『今日から、きみがレイだ』と。 「綺麗な銀髪だ、グロウ」 グロウ。ぼくがつけた名前。 レイはグロウの頭を、くしゃりとなでた。 「ちょっと、用を思い出した。先にごはんを食べていて」 そう言って、レイは部屋を出た。 ああ、そうか。 やっとわかったよ、ジルコン! レイは、ゆっくり連絡用の水晶を手に取った。 「急に来てもらって、すまないね」 レイとジルコンは、月面の端で落ち会った。 「それで、何かわかったのか?」 ジルコンの問いに、レイは頷く。 「ジルコン、君は最初から気がついていたんだね。ぼくが、死ぬことを」 二人は真っ直ぐ見つめ合った。月草が足元でザワザワと揺れた。 やがて、ジルコンが深いため息をついた。 「私は、レイよりも長生きで、先代のその先代のレイも知っているんだ」 ふっと、ジルコンは目をそらして「すまなかった」と悲しそうに言った。 「一番初めのレイは、私と同じ管理局のものだったと聞いている。変わったヤツで、死者を運ぶうちに、人間に興味を持つようになったらしい」 「それで、月に銀河ラボを?」 「そう。毎日、地球を眺めていた。やがて、レイたちは月面から生をうけるようになった。人間に興味を持つという思考は変わらず持ったまま、代替わりするようになったんだ」 ジルコンは、月うさぎと戯れている男の子に目をやる。 「そして、人間に憧れ続けた為か、姿形も代を重ねるごとに、人間に近づいていった……」 「どんどん、人間に近づいているんだね。ぼくたちは」 「すまなかった。黙っていて」 「いや、いいんだ。お陰でいい"引継ぎ"が出来たよ」 レイは銀河ラボを見上げ、その先にある地球を見た。 「ぼくもすっかり忘れてしまっていたんだ。自分がどう生まれたのか。何のために毎日を繰り返しているのか。だから、グロウが次のレイだって気がつかなかった……。自分はひょっとしたらまだまだ……まだ、生きるんじゃないかって、思ってた」 「グロウ?」 「あの子の名前だよ。ぼくが付けた」 「やっぱりレイは変わり者なんだな」 ジルコンが微笑む。 「まだ時間が許すなら、グロウと最後の引継ぎをしてもいいかな?」 「ああ、かまわない」 「ありがとう、ジルコン」 レイは、ジルコンの手をとってやさしく握った。 「ありがとう」 「ねえ、レイ。あの人は天使?」 戻ってくるレイに、グロウが駆け寄って尋ねた。 「そう。銀河管理局の人だよ」 「銀河……管理局……」 その言葉を聞いて、グロウの顔が曇った。 「ぼくを、迎えに……?」 「いいや。ぼくをだ」 レイは自分の胸に手を置いた。 グロウはポカンとした顔をして、レイを見つめている。 「レイは、死ぬの?」 「ああ、死ぬ」 「あの星が死んだみたいに、虹色になるの?」 「いいや。虹色にはならない」 「それじゃぁ、レイが生きたことは……残らないの?」 「残るさ、グロウやジルコン、月うさぎたちが、生きていたことを知っているから。それで十分さ」 けれど、君は忘れてしまうかもしれない。ぼくのように。 そう、レイは思った。 「今日から、君がレイだ」 博士は、レイの頰に触れた。 初めは人間だと思った男の子。どんどん人間に近づいている、ぼくら。死んだらさみしいと言った君は、心も人間に近づいているのだろうか。 それから、博士はゆっくりと今までのレイについて、銀河ラボについて、レイに話した。 「引継ぎは以上だよ。何か質問は?」 レイは、黙って首を横に振った。 「月うさぎたちを頼むよ」 「わかった」 「ルナは寂しがり屋だから、これからも一緒に寝てあげて欲しい」 「わかった」 「あとは……」 「あとは?」 「楽しかった」 博士は手を差し出した。 「君と一緒にいた少しの時間は、楽しかった」 しばらく俯いてから、まだ幼いレイは顔をあげた。大きな目に、涙が溜まってきらきらと輝いた。 涙を流すまいと、耐えている姿がいじらしく博士は感じた。 「本当に、さようならなんだね」 「さみしいと思ってくれるのかい?」 レイは差し出された手を通り過ぎて、耐えられず博士に抱きついた。 「さみしいよ、とても、とても!」 しばらく二人は抱き合った。そして、どちらともなく離れた。 「さようなら、博士」 「さようなら、レイ」 「最後の引継ぎは終わったのか?」 ジルコンは振り返って、戻ってくる博士を見た。 「ああ。待たせてしまって、すまないね。さあ、行こうか」 ジルコンは羽を広げて、博士の手をとった。 先にジルコンがゆっくり飛翔し、次に博士の体が浮いた。 下を見れば、銀河ラボが離れていくのが見えた。 金色の大地の上で、月うさぎが跳ねている。 ルナを抱いたレイが、博士を見つめていた。 その顔も、どんどん遠ざかっていく。 レイがこの先ずっと、さみしくないといいな。 「ねえ、ジルコン。お願いがあるんだ」 前を見据えたままジルコンは、黙って聞いている。 「時々、レイの様子を見てあげてくれないか?あの子、一人で心配で」 「わかった。約束しよう」 「ありがとう」 やがて、目の前に太陽のように輝く、大きな大きな扉が現れた。 扉が開くと、中から祝福の音楽が流れてきた。 まばゆい光が博士を包み込んでいく。 「ねえ、ジルコン。ぼくはさっきまで、まだあともう少し生きたい、って思っていたけれど、今は変わった。ぼくは、満足している。満ち足りている。長く生きすぎていて、すっかり忘れていたけれど、ぼくは、とっても満足なんだ」
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