廃線のホームで君を待つ
第6話 瓦礫の覆う街

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 将来に何の展望もなく、ただ卒業という崖に向けて走るだけ。周りの人間は『内定』という翼を持っていたが、僕にはそれがない。崖から落ちるためだけに、崖に向けて走り続けていた。  そんなある真冬の朝、それはやって来た。  その時、一体僕はどんな夢を見ていたのだろうか。いや、見る夢も無くただ惰眠をむさぼっていただけだったのだろう。そんな僕を、激しい揺れがたたき起こした。  寝ていた僕の顔の真横に、あるはずのない本棚の上板があった。上半身を起こし、真っ暗な部屋を見回す。部屋の中のものがひっくり返したように散乱しているのがうっすらと見えた。電灯のひもを引っ張ったが、点かない。  取り合えず、手探りの状態でガス暖房の元栓を閉めた。しかし何も見えないのではそれ以上動きようもなく、僕は明るくなるまで待つことにし、本とCDが散乱する部屋の中、再び布団に横になって目を閉じた。  次に目が覚めた時には、外はもう明るくなっていた。一体誰がこれを片付けるのだろうかと思いながら、本とCDを踏まないように部屋から出ると、両親が寝ているはずの一階へと階段を降りる。台所は目も当てられないほど散乱していた。両親が寝ている居間を覗くと、両親は、倒れてきた土壁と箪笥の丁度隙間で、動きようのない状態になっていた。  とりあえず、父親と協力して土壁と箪笥を元に戻したところで、電気が点いた。テレビ台から落ちていたテレビを元に戻し、こんな酷い有様になっているのはこの家だけだろうと笑いながらテレビのスイッチを入れると、画面に、広範囲に渡って倒壊してしまった高速道路の高架と、火の手が一面に上がっている町が映し出された。  笑うしかなかった。  僕は、散乱したガラスの破片に気を付けながら台所に進入し、ガスの元栓を閉めた。前日の母親の料理の名残、床にぶちまけられていたてんぷら油を、キッチンペーパーで拭きとる。刺さっているコンセントもできる限り抜いた。  火災の原因になりそうなものを可能な限り排除すると、僕はミニバイクで町へと出かける。  何もかもが変わり果てた姿になっていた。  震災による混乱が落ち着いたのは、それから一か月経ってからだろうか。両親は家業の店舗に住むことになったが、その後しばらくして父親が癌で入院した。僕は傾いた家に一人残り、建て替えが始まるまでの間、留守番をしていた。残しておくべき荷物の整理をしたが、その大半は本だった。  その間に、大学の教授と同級生の一人が、見舞いに来てくれた。おにぎりとパンとお茶を届けてくれたが、その気持ちが有難かった。少し話をしたが、教授とその学生は、別の学生のところにも行くということで、長居はせずに帰っていった。  その後、営業を再開したアルバイト先の本屋と、余震が来れば激しく揺れる家を行き来する毎日が始まった。震災が起ころうが、僕の将来に何の展望も無いのは変わらない。春になって、収入を増やすため別のバイトも始めた。 ※ ※  新年度。僕の身分はフリーターだった。僕を見舞いに来てくれた大学の教授が――彼は僕が所属していたゼミの教授だったが――大学院の授業を受けないかと誘ってくれた。それでフリーターをする傍ら、週に一度、教授の授業を受けに行った。研究室で数人の院生と英語の文献を読み、討論をする。  研究者になりたいと思ったことはあったが、研究したいと思っていたテーマが、僕の大学ではできなかった。もちろん、経済的なこともある。  院に進むことを躊躇していた六月、父親が死んだ。いよいよ危なくなったと聞いて病院に行ったとき、父親は僕を睨んで、死に際を見に来たか、と言った。  余り見舞いに行かなかったからなのか、それとも、小さい頃から僕に掛けていた期待を僕がことごとく裏切ってきたことへの恨み言なのか、それは分からない。  ただ、僕が聞いた父親の最期の言葉が、それになってしまった。  父親の葬式が済んだ後、母親が僕に家を継げと言った。父親がサラリーマンを辞めてまで続けた、祖父から続く新聞配達所。インターネットの登場で、もうその仕事に先はないであろうと思っていただけに、全く継ぐ気はなかったのだが、フリーターという身分でしかなかった僕に断る資格はなかった。  七月、勤めていたバイト先に辞めることを告げた。大学の教授にも連絡を入れようとした矢先、反対に院生の一人から連絡があり、教授が癌で入院したことを知らされた。そのまま研究室は別の教授の研究室に統合されるということだった。  あらゆるものが自分の手の中から消えていく。自分が原因なのか、それとも何か別の力が働いているのか。 「これが死に至る病か」  僕は、その時の心境を表すために、キルケゴールの言葉を借りた。 ※ ※  震災で傾いた家の建て替えが漸くその頃から始まった。別の場所にワンルームマンションを借り、新聞の配達と営業の仕事を始める。慣れない早朝からの仕事、睡眠時間は細切れになり、常に眠気と戦いながら生きることになった。  仕事を始めて二か月以上経った十月のある日、母親が怪訝な表情で僕に白い封筒を渡してきた。 「あなたによ。何それ」 『航空』の文字と仏像の絵の切手、宛先には『日本国』から始まる、建て替え中の家の住所が書いてある。  送り主のところには、『李穎』という文字が綴られていた。

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